遼史卷一百十一 列傳第四十一 耶律托卜嘉
誣告と晩年
耶律托卜嘉、仲父房の後裔。撃鞠に巧みで帝に寵愛され、馬に乗り杖を離さなかった。咸雍初め祗候郎君に補され、耶律伊遜と親しくしたため内外に畏れられた。皇太子が誣告され取り調べても証拠がなかった際、托卜嘉は伊遜に付き従いその誣告を実証しようとし、蕭額圖琿らとともに「太子謀反の事は事実であり、自ら申告しなければ発覚して連座する」と密奏した。帝はこれを信じ太子を廃し、追慶宮副使に改めた。寿隆元年、行宮都部署となった。天祚が即位すると、托卜嘉が伊遜の党であったことにより特們部節度使に出され、樞密使耶律阿蘇が伊遜の旧党を捜索した際も賄賂で免れ、徳哷勒部節度使に遷り、さらに敦睦宮使に復した。天慶元年、西北路招討使に出され、病で没した。