出自と経歴
- 劉伸は字を濟時といい、宛平の人。若くして聡明で辞翰をもって聞こえ、重熈五年進士第に登った。
- 彰武軍節度使掌書記・大理正を歴任。獄事の奏上のおり、たまたま近臣と語って伸を顧みない帝に対し、伸は進んで「臣は古来帝王は必ず民命を重んじるべきだと聞いております。陛下には臣の奏を省みていただきたい」と述べ、帝は驚いてこれを抜擢し樞密都承㫖・権中京副留守とした。
- 詔により富民を徙して春泰二州を実らせようとしたが、伸は不可として奏じてこれを罷めさせた。大理少卿に遷り、人は冤なしと称した。大理卿に陞り、西京副留守に改まった。父の喪により服を終えた。
- 三司副使となり諫議大夫を加えられ大理寺を提㸃した。伸は法に明るく寛恕をもって冤獄を案じ、多くの者が命を全うした。
- 南京副留守に徙り、まもなく崇義軍節度使に改まった。政務は簡静で民を煩わさず、烏鵲が巣を同じくする瑞事を招き、優詔で褒められた。
- 户部使に改まり、歳入の羨余銭三十萬緡。南院樞密副使を拝す。道宗はかつて大臣に「今の忠直な者は耶律玦・劉伸のみだ」と言い、宰相楊績はその人材を得たことを賀した。
- 叅知政事を拝す。上は「卿は宰相を憚るな」と諭した。当時北院樞密使伊遜の勢は盛んであったが、伸は「臣は伊遜すら畏れません。まして宰相をどうして畏れましょうか」と奏した。伊遜はこれを恨み、ともに排斥・讒言し、保静軍節度使に出された。
- 上は結局大用しようとして守太子太保を加え上京留守に遷らせた。伊遜は事によって鎮雄武に徙された。
- 崇義軍節度使をもって致仕。折しも燕薊の民が飢饉に遭い、伸は致仕した趙徽・韓造とともに日々粥を施し、活かした者は数え切れないほどであった。大安二年卒し、上は震悼して賻贈を加等した。