耶律斡拉
- 耶律斡拉、字は斯寧。奚徳哷勒の人。趫捷で力があり騎射を善くした。保寧初め、護衛に補された。車駕が頡山で狩をした際、豪猪が叢莽に伏しており帝が射て猪に中てると猪は突出し御者図們が轡を捨てて避け、廐人鶴骨がこれを翼っていたところ、斡拉が再び射てこれを斃した。帝は嘉賞した。
- 赤山で狩をした際、奔鹿が角を奮って突進し路が隘くて避けようもなく蹕を犯そうとしたが、斡拉は身をもってこれに当たり鹿は触れて顛れた。帝は「朕は狩猟により両度危うきに瀕したが、そなたに頼って免れた。初めてそなたの心が分かった」と言い、護衛太保に遷した。
- 樞密使耶律色珍に従い宋将楊継業の軍を山西で破った。統和13年(995年)秋、行軍都監となり都部署奚王和碩鼐に従い烏舎を伐ち、烏哲図を数月包囲してその城に至った。烏哲図は降を請うたが、和碩鼐はその俘掠を利として四面に急攻させると烏哲図は死守し、方に随って捍禦し埤堄に依って虚しく戦棚を構え我が軍を陴に登らせて誘い、間もなく支柱を撤して登った者は尽く覆った。
- 和碩鼐は下すことができないと知り退こうとしたが、蕭恒徳は「師が久しく功が無いのにどうして口実にできようか。深く入って大掠する方が空しく返るよりまだましだ」と言った。斡拉は「深く入れば恐らく得る所が損なう所に償わないだろう」と言ったが、恒徳は従わず地を東南に略し高麗北鄙を巡って還った。道は遠く粮が絶え人馬の多くが死に、詔して諸将の官を奪ったが斡拉だけは前議によって免れた。間もなく同政事門下平章事を加えられ東京留守となり、開泰中卒した。