耶律華格
- 耶律華格、字は弘隠。孟父楚国王の後で騎射を善くした。乾亨初め、北院林牙となった。統和4年(986年)、宋を南侵する際、華格は諜者を擒えて敵が海路より来襲することを知り、先に平州の要地に拠り、事が平ぐと上京留守を拝し北院大王に遷った。
- 統和16年(998年)、再び宋を侵すに際し先鋒として遂城で敵を破り、その功により南院大王に遷り、間もなく北院樞密使に改まった。開泰元年(1012年)、準布を伐つと準布は輜重を棄てて逃走し俘獲甚だ多かった。帝はこれを嘉し豳王に封じた。
- 後、辺吏が奏して華格が還ってから粮乏しく馬弱く勢は守り難いとしたため、上は再び華格を遣って西境を経略させ、華格は辺将と共に深く入り、番部が命に逆らい伊済水に居ると聞くと徐に兵を進め、敵は望風して奔潰し羊馬及び輜重を獲た。
- 路が白拔烈を由ってアルスラン回鶻に遭遇しこれを掠めたところ、都監紐斡哩が華格に「君は誤っている。この部は実に順に効している者だ」と言い、華格は俘えた諸番を悉く還したが、これによりかえって不附となった。上はこれを案問させ王爵を削り侍中をもって大同軍節度使を遙領させ、卒した。