遼史卷九十二 列傳第二十二 蕭烏頁

蕭烏頁

  • 蕭烏頁、字は草隠。その先は興聖宮分観察使塔哩済の孫より出た。性は孝悌で礼法を尚び、雅に郷党に称された。重熙中、護衛に補され、興宗はその勤恪を見て護衛太保に遷した。耶律仁先を佐けて重元の乱を平らげ、その功により団練使を加えられた。
  • 時に徳哷勒がしばしば隣部の侵擾を為し民の多くが困弊していたため、烏頁を徳哷勒節度使に命じ、困窮を恤み徭役を省くと数月ならずして部人は安んじた。間もなく母老をもって家に帰って養い、母が亡くなると特に哀毁を極めた。服闋して興聖・延慶の二宮使を歴任し卒した。

史論

  • 論じて言う。烏爾古徳哷勒は大部である。道拉は統軍して敵を克って功があり、布逹は辺に居り人を悦ばせて使い、西北の重鎮であった。浩善は辺を巡って廉をもって称され、古雲は鎮撫して民を富ませ、圖丹は金肅に駐まって夏人が敢えて東を狩らなかった。ああ、部人が内附し方面が寧んじたのは、朝廷の処置が宜を得たとはいえ、諸将の力もまたどうして少なくてよかろうか。