耶律罕巴
- 耶律罕巴、字は嘲隱。北院詳衮古の五世孫。倜儻で大志があった。太平中、京師に遊び行宮の側に寓居していたが、囊衣匹馬のみであった。帝は微服で狩猟に出た際にこれを見て「そなたは何者か」と問うと、罕巴は初め帝と知らず漫然と「私は北院部の人、罕巴。官を求めに来ただけです」と答えた。帝は語らって長才があることを知り密かにこれを記した。
- 折しも北院が南京の疑獄を奏上して久しく決しないでいると、帝は罕巴を召して駅を馳せて審録させ、朝廷は皆驚いた。罕巴は情を量って処理し寃を蒙る者はなかった。上はこれを嘉した。群牧馬を籍した際に二頭欠けており、同事の者が考尋しても止まなかったが、罕巴は詰めることなく先に馳せて奏し、帝はますます信任を加えた。
- 景福元年(1031年)、左伊勒希巴となり、北面林牙に徙り、眷遇はことに優異であった。重熙中、北院大王に改まり務は寛仁であった。再び左伊勒希巴となり、重熙12年(1043年)再び北院大王として入朝すると、帝は従容として「そなたは辺を守る任は重い、府庫を実らせ貧乏を振うことをもって朕に報いよ」と言った。詔を受けてますます忠謹を竭くし、知って言わぬことはなく便益とすることが多かった。
- 卒した。年55。上はこれを聞いて悼惜した。死の日、篋に旧蓄なく椸に新衣なく、使を遣って弔祭し葬具を給した。罕巴は平居において細務を屑とせず、喜怒を形に表さなかった。かつて乗馬を失った際、家僮が同色の馬で代えたが数月気づかなかった。