遼史卷八十九 列傳第十九 冨魯

冨魯

  • 冨魯、字は努展。幼くして聡悟で学を好み、7歳にして契丹大字を誦することができ、漢文を習い十年足らずで経籍に博通した。重熙中、進士に挙げられたが、主文は国制に契丹に進士を試みる条が無いことをもって上に聞し、庶箴が擅に子を科目に就かせたとして鞭200を加えた。
  • 間もなく牌印郎君を命じられ、詔に応じて詩を賦し立ちどころに成して進めると、帝は嘉賞し左右を顧みて「文才がこれほどであれば、必ず武事はできまい」と言った。冨魯は「臣は義方を蒙って以来兼ねて騎射を習い、同輩の中でも周旋できます」と奏したが、帝は未だ信じなかった。折しも狩猟に従い三矢で三兎に中てると、帝はこれを奇として通進に転じた。
  • この時、父庶箴がかつて戒諭の詩を寄せ、冨魯は賦をもってこれに答え、衆はその典雅を称えた。寵遇は次第に隆んになり、清寧初め卒した。