遼史卷八十九 列傳第十九 庶箴
庶箴
- 庶箴、字は辰冨。属文を善くし、重熙中に本族将軍となった。咸雍元年(1065年)、同知東京留守事となり、間もなく烏延突厥部節度使に徙った。咸雍9年(1073年)、薊州事を知り、翌年都林牙に遷った。
- 表を上して本国の姓氏を広げるよう乞い、「我が朝は創業以来法制修明ですが、姓氏はただ耶律と蕭の二つに分かれるのみです。初め太祖が契丹大字を制した際、諸部郷里の名を取って一篇を続けて巻末に著しました。臣はこれを推広し諸部各々に姓氏を立てさせ、男女の婚媾が典礼に合うようにすることを請います」と言ったが、帝は旧制を軽々しく改められないとして聴かなかった。
- 太康2年(1076年)、耶律伊遜が中京留守として出ると、庶箴は耶律孟簡と共に表を上して賀した。間もなく伊遜が再び樞密使となり専権恣虐すると、庶箴は密かに伊遜に見えて泣いて「以前抗表したのは庶箴の願いではありませんでした」と言い、伊遜はその言を信じ自ら安んじることができた。聞く者はこれを鄙しんだ。
- 太康8年(1082年)、致仕して卒した。子は冨魯。