遼史卷八十五 列傳第十五 蕭柳

高麗遠征で大蛇を斬った豪傑

  • 蕭柳、字は圖們。淳欽皇后の弟阿古齊の五世孫で、幼くして伯父巴雅爾の家に養われ、多才多能で文にも長け膂力抜群であった。統和年間、叔父の恒徳が臨終に才を推薦し、侍衛に召された。統和十七年、南伐で宋将范庭召が方陣を敷いて待ち構えた際、皇弟隆慶が先鋒を募ると、柳は「駿馬を得れば先陣を務めたい」と申し出た。隆慶が甲騎を授けると、柳は「陣が動いたら諸君急いで攻めよ」と告げて馳せ、敵をわずかに退けた。隆慶が勢いに乗じて攻めると宋軍は乱れ、柳は流矢を受けながらも創を裹んで戦い続け、敵は総崩れとなった。
  • 巴雅爾が東京留守として柳を四軍兵馬都指揮使に推挙し、翌年北女直詳衮として寛猛よろしきを得た統治で部民に慕われ、東路統軍使に遷り任期満了後も百姓の願いにより留任を許された。高麗遠征に従った際、道に大蛇が現れ前駆の者が避けようとしたが、柳は「壮士たる者、これを恐れるものか」と剣を抜いて蛇を斬った。師の帰還後、致仕した。柳は諧謔を好み、君臣の宴の場でも戯言を辞さず「俳優」と比べられるほどだったが、臨終に人に語った言葉によれば「若い頃から君を輔ける志があったが実現できず、諧謔をもって進言する道を選んだ。それでも万に一つの補いになればと願った」という。まもなく寝衣のまま座り「私は逝く」と言い残して息絶えた。耶律觀音努は柳の詩を集め『嵗寒集』千篇と名付けた。