遼史卷八十四 列傳第十四 耶律穆濟

白馬嶺で危うく難を逃れた将

  • 耶律穆濟、字は留隱。仲父隋国王の後裔で、皇族として景宗に近侍し林牙となり幹事の才で知られた。保寧年間、枢密副使に遷る。宋が河東を攻めた際、南府宰相耶律沙が都統として援軍を率い穆濟が監軍として従ったが、白馬嶺の敗戦では辛くも身を以て逃れた。宋が勢いに乗じて燕を攻めた際、奚兵を率いて休格に撃退され、帝は前の過失を許した。
  • 統和十一年、都統韓匡嗣の宋討伐に従い満城で戦った際、宋将に欺かれ諸軍が潰走したが穆濟の部隊のみ乱れず、旗鼓を整えて帰還し璽書で褒められ南海軍節度使に改まった。乾亨二年、枢密副使を拝命。統和初年、南京留守として曹彬・米信らの侵攻に対処、防備を整え、帝の親征に際し休格と共に涿の東で敵を破り開遠軍節度使に遷った。旧慣で州民は毎年斗粟あたり五銭の税を折納していたが、穆濟は六銭への改正を上表し民の便宜となった。統和末年に卒した。