遼史卷八十 列傳第十 邢抱朴
冤罪をただした能吏
- 邢抱朴、応州の人で刑部郎中邢簡の子。聡明で学を好み博識であった。保寧初年、政事舍人・知制誥となり翰林学士・礼部侍郎を歴任。統和四年、山西の州県が兵禍に遭った際、鎮撫にあたり民心を安んじた。戸部尚書、翰林学士承旨を経て、室昉と共に実録を編纂し、南京の滞獄を審理した。
- 統和十年、参知政事を拝命し、枢密使韓徳讓の推薦により各道の守令の能否を査察して黜陟し、人望を得た。母の喪により官を辞そうとしたが、帝は視事を求め、宰相を通じて意を伝え、抱朴は服喪しながら職務に復帰し人々にその孝を称された。
- 耶律休格が南京留守を務めた際に滞獄が多かったため、再び抱朴に裁定を命じ、冤罪を出さなかった。南院枢密使に改まり、卒後、侍中を贈られた。抱朴は弟の抱質とともに母の陳氏に経学を学び、共に儒術で名を馳せた。抱質もまた侍中に至り、当時の人々に栄誉とされた。