遼史卷五十三 志第二十二 禮志六 嘉儀下

皇太后生辰朝賀儀

当日、臣僚が入朝し国使が幕次に至り班齊することは常儀のとおり。皇太后は殿に登り坐し、皇帝は東面して側坐する。契丹の舎人が殿上で通名し、契丹・漢人の臣僚・宋使副は翰林学士の班に連なり東西の両洞門から入り合班して賀を称える。班首は殿に上って寿を祝し分班して退出することはすべて正旦の儀のとおり。教坊の起居七拝、契丹・漢人の臣僚が入って酒を進めることも正旦の儀のとおりだが、宣答は「聖旨」と称する点が異なる。皇帝は御座を降り皇太后生辰の禮物を進め終えると、皇帝は殿上で再拝し殿下の臣僚も皆再拝する。皇帝は御座に登り臣僚を分班して出す。中書令・北大王を西階から殿に上らせ契丹臣僚の進奉を奏させ、次いで漢人臣僚と諸道の進奉について、控鶴官が擔牀を置いて起居四拝すると、進使が「文武百僚某官某以下、高麗・夏国・諸道の進奉」と鞠躬して通じ、宣徽使が殿上で進奉をそれぞれ所司に付すことを告げ、控鶴官が声喏し擔牀が過ぎ終えると、契丹・漢人の臣僚は順に謝礼五拝し、それぞれ祗候して退出する。教坊・諸道進奉使の謝礼も同様。契丹臣僚が宣宴を謝すことは殿に上って位に就くことも同様。漢人臣僚と宋使副は東洞門から入り西に面して宣宴を謝すことは正旦の儀と同様で、殿に上って祗候するよう告げると、臣僚・使副は殿に上って位に就くことも同様。監琖・教坊・上殿の従人が東廊に入ることも同様。御牀が入り皇帝が初めて酒を進めると、臣僚は位に就いて陪拝し、皇太后が酒を飲むと殿上の坐に着くべき臣僚・侍立の臣僚は皆拝して万歳を称え、それぞれ祗候して立つ。皇太后が飲み終えると手ずから皇帝に酒を賜り、皇帝は跪いて飲み終えて褥位に戻り再拝すると臣僚も皆陪拝する。もし皇帝が親しく使相・臣僚・宋使副に酒を賜れば皆立って飲む。皇帝が座に登ると坐に着くべき臣僚と使副に拝礼を促し万歳を称えさせ、それぞれ坐に着く。方裀朶殿の臣僚に酒を進めることは正旦の儀のとおり。一度酒を進めると両廊の従人が拝礼して万歳を称え、それぞれ坐に着く。親王の進酒は正旦の儀のとおりで、もし皇太后が手ずから親王に酒を賜れば跪いて飲み終え、露台上で五拝すると祗候するよう告げる。殿上で三度酒を進め、餅茶を供し終えると教坊が跪いて致語し、臣僚・使副・廊下の従人はみな立ち、口号が終わると拝礼を促されることも同様。茶・肴膳を供することも同様。大饌が入り粥椀を供すると殿上で七度目の酒を進め、使相の楽曲が終わると廊下の従人を起立させ拝礼を促し万歳を称え「好去」と告げられ、承受官が両門から出す。曲が破れると臣僚・使副を起立させ鞠躬させ、拝礼を促されみな万歳を称えると、それぞれ祗候して臣僚・使副を殿を降ろす。契丹臣僚が宴を謝して退出し、漢人臣僚・使副は舞蹈五拝を終えると「好去」と告げられ洞門を出て終われば閤門に無事を報告し、皇太后・皇帝が起座する。応聖節は宋が使を遣わし生辰・正旦を賀すことに始まり、この儀を制定したため賓儀に詳しく見える。五拝は「拝・興・再拝・興」に続き「跪・搢笏・三舞蹈・三叩頭・出笏」を行い「就拝・興・拝・興・再拝・興」とする。その「就拝」も「俛伏興」という。賓儀では臣僚は皆「坐」と称するが、この儀では「高裀」と称し「方裀」と区別する。

皇帝生辰朝賀儀

臣僚・国使の班齊が終わると、皇帝は殿に登り坐し、臣僚・使副が入り合班して賀を称え合班して出ることはすべて皇太后生辰の儀のとおり。中書令・北大王が諸道進奉の表目を奏し、教坊の起居七拝、臣僚が東西門から入って合班・再拝し、酒を進めることを促され班首が殿に上って酒を進め、宣徽使が宣答し群臣が宣諭を謝し、分班・奏楽・皇帝が飲み終えると合班し班首が殿を降り分班・出ることもすべて正旦の儀のとおり。進奉も皇太后生辰の儀のとおり。皇帝は皇太后の殿に詣で、近くの皇族・外戚・大臣は皆従い奉迎する。太后が皇帝の殿に着くと坐し、皇太后は小輦に乗り皇帝は輦の側を歩き従い、臣僚は分かれて列を成し導く。宣徽使・諸司・閤門が隊を連ね前導し、教坊が楽を動かし、控鶴官が起居四拝すると、駕を導く臣僚は山楼の南方に立って皇太后を待つ。皇太后が閤に入ると使副・臣僚を幕次に入れて揖する。皇太后が殿に登り坐すと皇帝は東方に側坐する。契丹・漢人の臣僚・使副を両洞門から導き入れ合班して起居し舞蹈五拝すると、それぞれ祗候して殿に面して立つ。皇帝は御座を降り殿上に立ち、皇太后生辰の物を進め終えると皇帝は殿上で再拝し殿上下の臣僚も皆拝する。皇帝は御座に登り臣僚を分班して出す。契丹臣僚が入って宣宴を謝し、漢人臣僚・使副が入って通名し宣宴を謝すことは殿に上って位に就くことも同様。坐に着かない臣僚は退出し、従人が入ることも皆同様。御牀が入り皇帝が初めて皇太后に酒を進め、皇太后が皇帝に酒を賜ることは皇太后生辰の儀のとおり。それぞれ坐に着き酒を進め、飲み尽くすよう宣ずれば位に就いて謝礼することは同様。殿上で一度酒を進め終えると従人が入り位に就くことも同様。親王の進酒、餅茶を供し教坊が致語することも同様。茶・肴膳を供することも同様。七度目の酒が進められると使相の楽曲が終わり従人が起立し、曲が破れると臣僚・使副が起立すること以下はすべて正旦の儀のとおり。

皇后生辰儀

臣僚は未明に皇帝・皇后の大帳前で日を拝する朝を行い、契丹・漢人の臣僚が陪拝する。皇帝は殿に登り坐し、皇后が再拝すると臣僚は殿下で合班して陪拝する。皇帝が皇后に生辰の禮物を賜ると、皇后は殿上で謝礼再拝し臣僚も皆拝す。契丹の舎人が通名し、契丹・漢人の臣僚が順に入って賀を進め琖が入ると、舎人が舞蹈五拝を促し起居は聖躬万福を表さず再拝を促す。班首が殿に上って拝跪し自ら全銜を通じ祝寿を述べ終えると殿を降りて位に戻り鞠躬・舞蹈五拝を促され、それぞれ祗候する。宰臣一員を殿に上らせ百僚・諸道の進表目を奏させ、教坊の起居七拝は賀を行わず、控鶴官の起居四拝、諸道の押衙が附奏して起居し賜宴を告げると合計八拝、契丹・漢人が合班して寿酒を進め舞蹈五拝すると、大臣一員を殿に上らせ欄外の褥位で搢笏し台琖を執って酒を進める。皇帝・皇后が琖を受け褥位に戻ると台を授け笏を出し、欄内で拝跪し自ら全銜を通じて「臣ら謹んで千万歳の寿酒を進めます」と述べ終えると殿を降り位に戻り舞蹈五拝・鞠躬する。宣徽使が宣答を奏し常儀のとおり応じると、殿に上って搢笏し台を執り皇帝・皇后が飲む間、殿下の臣僚は分班して教坊が楽を奏し皆拝して万歳を称え飲み終えると、皇帝・皇后は琖を授け殿を降り舞蹈五拝すると祗候して退出する。臣僚の進奉も常儀のとおりで、宣宴・教坊の監琖・臣僚の殿上での祗候もすべて常儀のとおり。皇后が皇帝に酒を進めると殿上で拝礼を促し侍る臣僚は皆拝し、皇帝が琖を受けると皆拝し、皇后が坐すと契丹の舎人・漢人の閤使が殿上で拝礼を促しみな拝して万歳を称え、それぞれ坐に着く。大臣が皇帝・皇后に酒を進め酒を行うことも常儀のとおり。酒は三巡・肴・膳を供し、また皇帝・皇后に酒を進め酒は再び二巡、大饌が入り粥を供すると教坊が致語し、臣僚は皆起立し口号が終わると拝礼を促され万歳を称え、殿を降り宴を謝して退出することもすべて常儀のとおり。

進士接見儀

当日、挙人は時の宰相に従い御帳の側に至り通名の榜子を時の宰相の榜子と合わせて奏する。時の宰相が朝見することは常儀のとおりで終わると、進士第一名以下を丹墀内で殿に面して鞠躬・通名させ四拝すると、それぞれ祗候して皆退く。もし文字(上奏文)を進める者があれば退かず巻を捧げて平立し、閤門が受けることを奏すると跪いて左膝を屈し授け終えると直ちに起立して退き礼を終える。

進士賜等甲敕儀

臣僚の起居が終わると、読卷官が奏し終え、左方で等甲(合格順位)に従い姓名を唱えて序立する。閤使が敕牒を交収し、閤使が丹墀に導き等甲の順に序立させると、閤使が「有敕」と称し再拝・鞠躬すると、舎人が敕を宣し「各々等甲に従い卿に敕牒一道を賜る。承知せよ」と告げると、拝を揖して各々左膝を跪いて敕を受け終えると鞠躬して皆再拝し、それぞれ祗候して左右に分かれて相向かい侍立し、奏事が終わるのを待つ。両階から殿に上らせて位に就くと共に声喏し、坐して酒を三巡賜ると起立して声喏することも初めと同様で、退いて揖して出て礼を終える。牌印郎君が酒を行い閤使が飲むよう勧める。

進士賜章服儀

皇帝が殿に御し、臣僚は公服で進士を導いて東方で西に面させ再拝すると揖して丹墀の位に就かせ殿に面して鞠躬させる。閤使が「有敕」と称すると再拝・鞠躬し、舎人が敕を宣し「各々等甲に従い卿に敕牒一道を賜り、あわせて章服を賜る。承知せよ」と告げると揖して再拝し跪いて敕を受け終えると再拝して退き、章服所に導いて着替えを終えると揖して丹墀の位に復し鞠躬させ、謝恩を告げると舞蹈五拝しそれぞれ祗候して殿東の亭内に序立し声喏して坐し宴を賜り簪花する。閤使一員・閤門三人あるいは二人が宣し終日飲むよう勧めて礼を終える。

宰相中謝儀

皇帝は常服で殿に登り坐し、諸班の起居は常儀のとおり。坐に着くべき臣僚が殿に上り、他の臣僚は殿下で東西に侍立することは宋使初見の儀と同様。中謝の官を左から入れ丹墀に至り西に面させる。舎人が殿の当面で鞠躬し「新たに具官の姓名を受け祗候して中謝す」と通じると、宣徽が殿上で通班を索める。舎人が贊礼の位に就き「某官」と通じ宣徽に至ると通班の舎人二人が対立して揖する。中謝官が鞠躬すると拝位に就くよう促され、舎人二人が導いて殿に面して鞠躬し拝礼を促すと、中謝官は舞蹈五拝、班を出ずに聖躬万福を奏し再拝・揖・班を出て叙官の致詞を述べ終えると俯伏して興り位に戻り拝礼・舞蹈五拝を促され、また班を出て中謝の致詞を初めのように述べ合計十七拝すると、祗候して右階から殿に上らせ位に就く。坐に着くべき臣僚に声喏・着坐を揖すると供奉官が酒を行い、飲み尽くすよう宣ずると臣僚は搢笏し琖を執って位の後ろに立ち飲み終えると琖を置き笏を出し、拝礼を促されると臣僚は皆再拝し「各々坐に着け」と促され搢笏して琖を執り供奉官に授ける。酒は三巡進み、坐に着くべき臣僚に声喏・起立を促すと、中謝官を右陛から殿を降ろし丹墀に至り殿に面して鞠躬させ、拝礼を促すと舞蹈五拝し右から退出させる。臣僚も皆退出する。丞相・枢密使は他の官と同じく殿には上らず酒も賜らない。節度使を帯びない者は通班せず通名のみで七拝とし、衆が謝すときは班首一人が班を出て中謝する。

拝表儀

当日、まず東上閤門に氈位を陳設し、南北の臣僚・諸国使副を氈位に分けて導いて合班させる。通事舎人二人が表案を舁いで班首の前に置くと揖して鞠躬・再拝・平身し、中書舎人が案の側に立つ。班首は跪いて搢笏し興って表を捧げ跪いて左膝を屈し表を中書舎人に授け笏を出すと拝・興・再拝する。中書舎人は表を案の上に戻し、通事舎人が表案を舁いで東上閤門から入り捲班して分けて出し礼を終える。元日に皇帝が座に御さない場合はこの儀を行い、他に上表の理由がある場合も皆これに倣う。

賀生皇子儀

当日、先帝の御容を正殿に設け、皇帝は八角殿に御して座に登る。声警が終わると北南の宣徽使が殿の階上左右に立ち、北南の臣僚が金冠盛服で合班して入る。班首二人が表を捧げて立ち、読表官はまず左階上の側に立つ。二人の宣徽使が東西階から殿を降りて表を受け、捧表者が左膝を屈して授け終えると拝・興・再拝しそれぞれ祗候する。二人の宣徽使は共に左階から殿に上り読表官に授け、読み終えると臣僚を揖して鞠躬させ、北面の班首を左階から殿に上らせ欄内で賀を称え終えると左階から殿を降ろし復位して舞蹈五拝し礼を終える。

賀祥瑞儀

声警すると北南の臣僚は金冠盛服で合班して立ち、班首二人がそれぞれ表を奉じて賀を告げる。北南の宣徽使が左階から殿を降りて表を受け殿に上り読表の大臣に授け、読み終えると殿下の臣僚を揖して鞠躬させ五拝すると鞠躬し、班首二人を左階から殿に上らせ欄内で拝跪して賀の致詞を述べ終えると左階から殿を降ろし復位して五拝すると鞠躬・宣答を聴き終えると再拝・鞠躬し、宣諭を謝すこと五拝を終えるとそれぞれ祗候して分班して侍立し礼を終える。両府が奏事することは常儀のとおり。乾統六年、木葉山に瑞雲が現れ初めてこの儀を行った。天慶元年、天が穀を降らせたことを謝し宣諭の後、趙王が酒を進め教坊が楽を動かすと臣僚は酒を一巡行い礼を終えて奏事する。

賀平難儀

皇帝・皇后は殿に登り坐し、北南の臣僚と命婦は合班して五拝すると、班首二人が班を出て俯跪して搢笏し表を執って案を舁いで前に進む。閤使が表を受けて案に置くと皆再拝し、通事舎人二人が案を舁いで左階から殿に上り露台上に置く。読表官が受け取り殿に対して読み終えると、臣僚は殿下で五拝・鞠躬すると、班首二人を左右階から殿に上らせ欄内に並んで立たせる。まず北面の班首を少し前に進ませ致詞を終えると退いて褥位に戻り、次に南面の班首も同様にすると、左右階から殿を降りて位に戻り五拝・鞠躬すると、宣徽が「有敕」と称し宣答すると「内難已に平ぎ、公らと内外ともに慶ぶ」と告げ、宣諭を謝すこと五拝すると捲班し、臣僚は皇帝に、命婦は皇后に従い皇太后の殿に詣で先帝の御容を見て陪位して皆再拝する。皇太后が正坐すると賀を称え合計十拝し共に殿に上らせて宴を賜ることは常儀のとおり。平難の儀は、道宗の清寧九年に太叔重元が謀反を起こし、仁懿太后が自ら衛士を率いて逆党と戦い事が平定されたことにより制定された。

正旦朝賀儀

臣僚および諸国使は未明に入朝し班齊を奏すると、皇帝は殿に登り坐す。契丹の舎人が殿上で通じ終えると契丹臣僚を東洞門から入れ、漢人臣僚・諸国使を西洞門から入れて合班・舞蹈五拝・鞠躬・平身させる。親王を東階から殿に上らせ欄内の褥位で俯伏跪き自ら全銜を通じ「臣某ら祝寿します」と述べ終えると伏して興り、東階から殿を降ろし復位して舞蹈五拝すると鞠躬し、宣徽使が殿上で鞠躬して臣が宣答することを奏すると「有敕」と称し、班首以下は聴制が終わると再拝・鞠躬する。宣徽が「新年の慶びを公らとともにする」と伝宣すると、舎人が宣諭を謝すことを促し拝・舞蹈五拝すると「各々祗候せよ」と告げ分班して出す。班首を西階から殿に上らせ表目を奏させ終えると教坊が起居して賀すること十二拝、それぞれ祗候して契丹・漢人臣僚と諸国使を東西洞門から入れ合班・再拝すると酒を進めることを促され、親王を東階から殿に上らせ欄内の褥位で搢笏し台琖を執って酒を進め終えると褥位に戻り台を置き笏を出し少し前に進み俯跪して自ら全銜を通じ「臣某ら謹んで千万歳の寿酒を進めます」と述べ終えると伏して興り褥位に戻り殿下の臣僚とともに皆再拝・鞠躬する。宣徽使が殿上で鞠躬して臣が宣答することを奏すると「有制」と称し親王以下再拝すること初めのとおり。伝宣に「公らの寿酒を飲み公らと内外ともに慶ぶ」と告げると、舎人が宣諭を謝すことを初めのように促しそれぞれ祗候する。親王が搢笏して台を執ると殿下の臣僚は分班し皇帝が酒を飲むと教坊が楽を奏し殿上下の臣僚は皆拝して万歳を称え、それぞれ祗候すると楽が止み教坊が再拝する。皇帝が飲み終えると親王が進んで琖を受け褥位に戻り台琖を置き笏を出す。臣僚を揖して合班し親王を東階から殿を降ろし復位すると鞠躬・再拝し、それぞれ祗候して分班・出す。皇帝は起立して皇太后の殿に詣で、臣僚・諸国使は皆従う。皇太后が殿に登ると皇帝は東方に側坐する。契丹・漢人臣僚・諸国使を両洞門から入れ班を整えて賀を称え酒を進めることはすべて皇帝の儀のとおり。終われば出し教坊が入り起居・酒を進めることも同様。皇太后は「聖旨」と称して宣答する。契丹の班は宣宴を謝し殿に上って位に就く。漢人臣僚・諸国使は東洞門から入り丹墀の東方で西に面して鞠躬すると、舎人が「文武百僚宰臣某以下、宣宴を謝す」と鞠躬して通じ再拝・班を出て致詞を終えると位に戻り舞蹈五拝すると、それぞれ祗候して殿に上らせる。宰臣以下と諸国使副を方裀朶殿の臣僚とし西階から殿に上らせ位に就かせ、坐に着かない臣僚は西洞門から出す。二人が監琖し教坊が再拝すると、それぞれ殿を降りて祗候し宴を謝すことは皇太后生辰の儀のとおり。

冬至朝賀儀

臣僚の班齊は正旦の儀と同様。皇帝・皇后が日を拝すと臣僚は陪位して再拝する。皇帝・皇后が殿に登り坐すと契丹の舎人が臣僚の入るのを通じ合班し、親王が寿を祝い宣答することはすべて正旦の儀のとおり。謝礼が終わると舞蹈五拝・鞠躬すると班を出て聖躬万福を奏し位に戻って再拝・鞠躬する。班首が班を出て俯伏跪いて寿を祝い終えると伏して興り舞蹈五拝・鞠躬すると、それぞれ祗候して分班し合班を出ず、御牀が入ると再拝・鞠躬すると酒を進めることを促され、臣僚が平身すると親王を左階から殿に上らせ欄内の褥位で搢笏し台琖を執って酒を進め、皇帝・皇后が琖を受け終えると褥位に戻り台を置き笏を出し俯伏跪いて少し前に進み自ら全銜を通じ「臣某ら謹んで千万歳の寿酒を進めます」と述べ終えると伏して興り褥位に戻り再拝・鞠躬すると殿下の臣僚も皆再拝・鞠躬する。宣答は正旦の儀のとおり。親王が搢笏して台を執り分班すると、皇帝・皇后が酒を飲み楽を奏すると殿上下の臣僚は皆拝して万歳を称え、楽が止むと教坊が再拝し、臣僚が合班すると親王が進んで琖を受け褥位に戻り台琖を置き笏を出す。左階から殿を降ろすと御牀が出され、親王は丹墀の位に戻り再拝・鞠躬すると祗候して分班・出す。班首が右階から殿に上り表目・進奉、諸道の進奉、教坊の進奉を奏し終えると、進奉を収めることを促され班首は舞蹈五拝・鞠躬すると、それぞれ祗候して班首が出る。臣僚は再び入って合班し謝礼として舞蹈五拝・鞠躬すると、それぞれ祗候して分班・出す。声警すると皇帝・皇后は起立し北殿に赴く。皇太后が御容殿にいると、皇帝・皇后は臣僚を率いて再拝し、皇太后が香を上げると皆再拝し、それぞれ祗候して矮官以上が殿に上る。皇太后が三たび御容に酒を進めると陪位の者は皆拝す。皇太后が殿に登り坐すと、皇帝は露台上の褥位に就き、親王が北南の臣僚の班を率いて丹墀内に立つ。皇帝が再拝すると臣僚は皆拝して鞠躬し、皇帝は欄内で跪いて皇太后の寿を祝い終えると位に戻り再拝する。拝はすべて万歳を称え、それぞれ祗候して臣僚は出ず、皇帝・皇后は側坐する。親王が酒を進め臣僚が陪拝し、皇太后が宣答することはすべて正旦の儀のとおり。臣僚は分班して出ず、班首が右階から殿に上り表目を奏し、合班して宣宴を謝し殿に上って位に就くことも常儀のとおり。御牀が入り皇帝が皇太后に酒を進めることは初めのとおりで、それぞれ坐に着き酒を行い飲み尽くすよう宣ずることは皇太后生辰の儀のとおり。皇后の進酒も皇帝と同様。三度酒を進め茶を供し、教坊が致語し肴膳・大饌を供すると七度目の酒を進める。曲が破れると臣僚は起立し御牀が出されて宴を謝すことはすべて皇太后生辰の儀のとおり。

立春儀

皇帝は内殿に出て先帝の御容を拝し、北南の臣僚は丹墀内で合班して再拝し、矮官以上は殿に入って坐を賜る。帝が御容に酒を進めると陪位の者と侍立の者は皆再拝し、一度酒を進めると臣僚は殿を降りて左右に相向かって立つ。皇帝は幡勝を戴き、順に幡勝を臣僚に賜り簪し終えると、皇帝は土牛の前で香を上げ三たび酒を奠じるが拝はしない。教坊が楽を動かし、侍儀使が跪いて綵杖を進め、皇帝が土牛を鞭打つと、矮官以上・北南の臣僚は丹墀内で合班し跪いて左膝を屈して綵杖を受け直ちに起立して再拝すると、それぞれ祗候して司辰が春の到来を報じる。土牛を鞭打つこと三巡で矮官が鞭を止め、節度使以上を殿に上らせ穀豆を撒いて土牛を撃たせる。穀豆を撒くと衆に奪わせてもよい。臣僚は位に従って坐し、酒二巡、春盤が入り酒三巡すると茶を供し皆起立して礼を終える。

重午儀

当日、臣僚は未明に御帳に赴き、皇帝は長寿の綵縷を繋いで輦に登り坐す。北南の臣僚を合班させることは丹墀の儀のとおり。有司はそれぞれ寿縷を賜り、臣僚は跪いて受け再拝すると導いて退き、駕に従って膳所に至り酒を三巡する。宴を賜る場合は臨時に敕を聴く。

重九儀

北南の臣僚は朝、御帳に赴き駕に従って囲場に至ると茶を賜る。皇帝が坐に就くと臣僚を御前の班に導いて立たせ、有司がそれぞれ菊花酒を賜り、跪いて受け再拝すると酒三巡で揖して起つ。

藏鬮儀

当日、北南の臣僚は常服で入朝し、皇帝は天祥殿に御し、臣僚は位に従って坐を賜る。契丹は南面、漢人は北面に分かれ、朋(組)に分かれて鬮(籤)を行うこと五巡あるいは七巡、膳が賜られて食事が終わると皆起立し、しばらくして再び坐して鬮を初めのように行う。夕方には茶を三巡あるいは五巡賜り、終わると教坊が承応する。もし帝が鬮を得れば臣僚が酒を進め、終われば順に酒を賜る。太康十年十二月二十二日に初めてこの儀を行い、この日は朝を御さない。

歳時雑儀

正旦には国俗として糯飯(もち米の飯)に白羊の髄を和えて拳のように丸めた餅を作り、帳ごとに四十九枚を賜る。戊夜(五更)にそれぞれ帳内の窓から外へ丸を投げ、偶数であれば楽を動かして飲宴し、奇数であれば十二人の巫に鈴を鳴らし箭を執って帳を巡らせ歌わせ、帳内で塩を爆ぜさせ地を焼いて鼠を打つ真似をする。これを「驚鬼」と呼び、七日間籠って出る。国語で正旦を「アニヤイヌイ」と呼ぶ。

立春には婦人が春書(立春を祝う飾り物)を進め、青い繒(絹)を刻んで幟とし龍を象って御し、あるいは蟾蜍(ひきがえる)を象り幟に「宜春」と書く。

人日(正月七日)は、正月一日を鶏、二日を狗、三日を豕、四日を羊、五日を馬、六日を牛とし、七日を人の日とする。晴れれば吉、曇れば災いの兆しとされ、俗に餅を庭で煎り食べる。これを「薫天」と呼ぶ。

二月一日は中和節とし、国舅族の蕭氏が宴を設けて国族の耶律氏を招き、毎年これを常例とする。国語ではこの日を「ザラバ」と呼ぶ。

二月八日は悉達太子の生誕日とし、京府および諸州では木を彫って像を作り、儀仗・百戯が導いて城内を巡り楽しむ。悉達太子とは西域浄梵王の子で姓は瞿曇氏、名は釈迦牟尼、その覚性をもって仏と称される。

三月三日は上巳の節とし、国俗として木を刻んで兎を作り朋に分かれて馬で駆け射させ、先に中てた方が勝ちとし、負けた朋は馬を下りて跪いて列び、勝った朋が馬上で酒を飲む。国語でこの日を「タオラガルブガ」と呼ぶ。

五月五日には午の刻に艾(よもぎ)の葉を採り綿と和えて衣に七箇所著けて天子に奉る。北南の臣僚にはそれぞれ三箇所を賜り、君臣が宴楽する。渤海の膳夫が艾餻(よもぎ餅)を進め、五色の絲を索にして腕に纏うことを「合歓結」と呼び、また綵絲を宛転させて人の形にし簪すことを「長命縷」と呼ぶ。国語でこの日を「トプイヌイ」と呼ぶ。

夏至の日は俗に「朝節」と呼び、婦人は綵扇を進め粉脂の入った袋を互いに贈り合う。

六月十八日は国俗として耶律氏が宴を設けて国舅族の蕭氏を招く。これも「ザラバ」と呼ぶ。

七月十三日の夜、天子は宮の西三十里に帳を張り宿す。前日に酒饌を備え、翌日は諸軍・部落の従者が皆蕃楽を動かして飲宴し、夕暮れに行宮に戻る。これを「迎節」と呼ぶ。十五日の中元には漢楽を動かして大宴を催す。十六日の未明には再び西方へ赴き、行に従う諸軍・部落が三度大いに叫ぶ。これを「送節」と呼ぶ。国語ではこれを「サインイヌイ」と呼ぶ。

八月八日は国俗として白犬を寝帳の前七歩の所で屠って埋め、その口を露出させる。七日後の中秋には寝帳をその上に移す。国語でこれを「イククヌル」と呼ぶ。

九月九日には天子が群臣・部族を率いて虎を射り、少なく獲った者には罰を科す。重九の宴で射が終わると高地を選んで帳を張り、蕃・漢の臣僚に菊花酒を賜り、兎の肝の膾、鹿の舌の醬を供し、また茱萸(グミの実)を研いだ酒を門戸に撒いて禍を祓う。国語でこの日を「ボロリウチュリ」と呼ぶ。

十月には五京から紙で作った小さな衣甲・槍刀の器械万副を進め、十五日には天子が群臣とともに木葉山を望んで祭り、国字で書いた状をともに焼く。国語でこれを「ダルガハク」と呼ぶ。

冬至の日は国俗として白羊・白馬・白鴈をそれぞれ屠って血を酒に和え、天子は北方の黒山を望んで拝する。黒山は国境の北にあり、俗に国人の魂魄をその神が司るとされ、中国の泰山にあたる。毎年この日、五京から紙で作った人馬万余を進め、山を祭って焼く。俗にはこれを厳粛に畏れ、祭りでなければ山に近づかない。

臘の辰の日、天子は北南の臣僚を率いてともに戎服を着け、五更に朝に坐して楽を作し飲酒し、等第に従って甲仗・羊馬を賜る。国語でこの日を「チョハヤブ」と呼ぶ。

再生儀

十二年ごとに、皇帝の本命の年の前年の季冬の月に吉日を選ぶ。前もって禁門の北の地を掃き清め再生室を設け、母后の室とする。先帝の神主を載せた輿はこの再生室の東南に置き、三又に分かれた木を逆さに植える。当日、童子および産婆・産医を室中に置き、一人の婦人が酒を執り、一人の老人が矢箙(矢筒)を持って室外に立つ。有司が神主を輿から降ろすことを請い、奠を捧げ終えると皇帝は寝殿を出て再生室に詣で、群臣が迎えて再拝する。皇帝は室に入り服を脱ぎ裸足になり、童子を従えて三度三又の木の下を過ぎる。過ぎるたびに産婆が祝辞を述べ帝の体を拭う。童子が木を過ぎること七回で皇帝は木の側に横たわり、老人が矢筒を打って「男児が生まれた」と告げると、太巫は皇帝の頭を覆い、群臣は起立して賀を称え再拝する。産婆は酒を執る婦人から酒を受けて進め、太巫が襁褓(産着)・綵結などの品を捧げて祝う。あらかじめ選んでおいた七人の老人がそれぞれ御名を立てて綵に結び、皆跪いて進み、皇帝はよい名を選んで受ける。品を賜り再拝して退くと、群臣は皆襁褓・綵結などの品を進める。皇帝は先帝の御容を拝し、群臣に宴を賜る。

ウェイ汗が後の世に垂れた教えは善いものである。幼子は誰しも親を慕うものだが、嗜欲が深まれば愛は浅くなり、妻子ができれば孝も衰えるのが人の常であろう。まして天子ならばなおさらである。再生の儀は十二年に一度、天子が自らこの礼を行い、孝心を起こすためのものである。体でこれを知れば思いも切実になる。幼子が親を慕う心が中から油然と発するさまは、言語や文字の及ぶところではない。ウェイ汗が後嗣に垂れた教えは善いものであった。まず三たび三又の木を過ぎることで母の苦労を思わせ、終わりに先帝の御容を拝することで宗廟を敬い承ることを教える。まことにそうあるべきであろう。詩に「爾の祖を念うこと無かれ、厥の徳を聿に修めよ」というのは、このことをいうのである。