遼史卷四十七 志第十七上 百官志三 南面

南面官の沿革

  • 契丹国は、唐の太宗が都督・刺史を置いたのに始まり、武后がこれに王封を加え、玄宗が経略使を置いたことで、初めて唐の官爵を有するに至った。その後、河北の藩鎮が唐の官名を受けるのに慣れ聞き及んで、太師・太保・司徒・司空が部族に施されるようになり、太祖はこれを踏襲した。大同元年(947年)、世宗は初めて北院樞密使を置き、翌年、世宗は高勲を南院樞密使とした。樞密の設置は、思うに太宗が汴(開封)に入ったことに始まる。天禄四年(950年)、政事省を建てたことで、南面の官僚を初めて記録することができるようになった。
  • 漢人樞密院は尚書省を兼ね、吏・兵・刑の各房には承旨があり、戸・工の各房には主事があった。中書省は礼部を兼ね、別に戸部使司を置き、営州の地に幽・冀の半分を加えれば十分な規模であった。時代が下るとともに制度も整備されていった。耶律楊魯が太傅となったことで三師の存在が知られ、和爾郭勒済が太尉となったことで三公の存在が知られる。於韓庫徳が常侍となり、劉涇が礼部尚書となったことで門下省・尚書省の存在が知られる。庫部・虞部・倉部の員外郎が出使したことから郎官が列宿(諸官庁)に備わっていたことが知られる。室昉が監修国史となったことから国史院の存在が知られ、程翥が舎人となったことから起居に注記する官があったことが知られる。邢抱朴が承旨となり、王言敷が学士となったことから翰林の内制(詔勅起草)の存在が知られ、張幹が政事舎人となったことから中書の外制の存在が知られる。大理・司農には卿があり、国子・少府には監があり、九卿・列監の存在が見える。金吾・千牛には大将軍があり、十六衛の存在が見える。太子には上に師保、下に府率があり、東宮の官が備わっていたことが知られる。節度・観察・防禦・団練・刺史は各方州にあり、唐の制度そのままであった。おおよそ唐の官で考証しうるものは本篇に列挙し、徴証の無いものは書かない。

南面朝官

  • 遼にはすでに北面朝官があったが、燕・代の十六州を得るに及んで、唐の制度を用いて南面に三省・六部・台・院・寺・監・諸衛・東宮の官を改めて設けた。これはまことに帝王の盛んな制度を志したものであり、また中国の人々を招き寄せるためでもあった。三師府はもと三公と称し、漢では丞相・太尉・御史大夫を三公としたため、三師と称した。
  • 三師府: 太師(穆宗応暦三年〈953年〉に太師唐古特の名が見える)/太傅(太宗会同元年〈938年〉に馮道を太傅とした)/太保(会同元年、劉昫が太保となった)/少師(耶律資忠伝に少師蕭巴格が見える)/少傅/少保/掌印(耶律伊遜が重熙中に太保の印を掌った)
  • 三公府(漢の丞相・太尉・御史大夫、後漢では大司徒・大司馬・大司空、唐では太尉・司徒・司空といい三司ともいう): 太尉(太宗天顕十一年〈936年〉に太尉趙思温の名が見える)/司徒(世宗天禄元年〈947年〉に司徒華沙の名が見える)/司空(聖宗統和三十年〈1012年〉に司空邢抱質の名が見える)
  • 漢人樞密院(もと兵部の職。周では大司馬、漢では太尉、唐末には宦官がこれを掌ったが、のち士人に改めた。後晋の天福年間に廃され、開運元年〈944年〉に復置された。太祖の初め漢児司があり韓知古が漢児司の事を総知した。太宗が汴に入ったのち晋の制にならって樞密院を置き、漢人の兵馬の政を掌らせ、当初は尚書省を兼ねた): 樞密使(太宗大同元年に樞密使李崧の名が見える)/知樞密使事/知樞密院事/樞密副使(楊遵勗は咸雍中に樞密副使となった)/同知樞密院事(聖宗太平六年に同知樞密院事耶律黙爾吉の名が見える)/知樞密院副使事(楊晳は興宗重熙十二年に知樞密院副使事となった)/樞密直學士(聖宗統和二年に樞密直学士郭嘏の名が見える)/樞密都承㫖(聖宗開泰九年に樞密都承旨韓紹芳の名が見える)/樞密副承㫖(楊遵勗は重熙中に樞密副承旨となった)/吏房承㫖/兵刑房承㫖/户房主事/㕔房主事(工部にあたる)
  • 中書省(もと政事省。太祖が官を置き、世宗天禄四年〈950年〉政事省を建て、興宗重熙十三年〈1044年〉中書省と改めた): 中書令(韓延徽は太祖の時に政事令となり、韓知古は天顕初年に中書令となった。会同五年〈942年〉に政事令趙延寿の名が見える)/大丞相(太宗大同元年に大丞相趙延寿の名が見える)/左丞相(聖宗太平六年に左丞相張倹の名が見える)/右丞相(聖宗開泰元年に右丞相馬保忠の名が見える)/知中書省事(蕭孝友は興宗重熙十年に知中書省事となった)/中書侍郎(韓資譲は寿隆初年に中書侍郎となった)/同中書門下平章事(太祖は王郁に同政事門下平章事を加えた。太宗大同元年に平章事張礪の名が見える)/參知政事(聖宗統和十二年に参知政事邢抱朴の名が見える)/堂後官(太平二年に堂後官張克恭の名が見える)/主事/守當官(いずれも耶律儼建官制度に見える)/令史(耶律儼は道宗咸雍三年に中書省令史となった)
  • 中書舎人院: 中書舍人(室昉は景宗保寧年間に政事舎人となり、道宗咸雍二年に中書舎人馬鉉の名が見える)
  • 右諫院: 右諫議大夫(聖宗統和七年に諫議大夫馬得臣の名が見える)/右補闕/右拾遺(劉景は穆宗応暦初年に右拾遺となった)
  • 門下省: 侍中(趙思忠は太宗会同中に侍中となった)/常侍(興宗重熙十四年に常侍額古徳の名が見える)/散騎常侍(馬人望は天祚乾統中に左散騎常侍となった)/給事中(聖宗統和二年に給事中郭嘏の名が見える)/門下侍郎(楊晳は清寧初年に門下侍郎となった)
  • 起居舎人院: 起居舍人(聖宗開泰六年〈1017年〉に起居舎人程翥の名が見える)/知起居注(耶律迪里は重熙末年に知起居注となった)/起居郎(杜防は開泰中に起居郎となった)
  • 左諫院: 左諫議大夫/左補闕/左拾遺(統和三年に左拾遺劉景の名が見える)
  • 通事舎人院: 通事舍人(統和七年に通事舎人李琬の名が見える)
  • 符寶司: 符寶郎(耶律玦は重熙中に符宝郎となった)
  • 東上閤門司(太宗会同元年置): 東上閤門使(韓延徽伝に東上閤門使鄭延豊の名が見える)/東上閤門副使
  • 西上閤門司: 西上閤門使(統和二十一年に西上閤門使丁振の名が見える)/西上閤門副使
  • 東頭承奉班: 東頭承奉官(韓徳讓は景宗の時に東頭承奉官となった)
  • 西頭承奉班: 西頭承奉官
  • 通進司: 左通進/右通進(耶律揚珠は景宗の時に右通進となった)
  • 登聞鼓院: 登聞鼓使
  • 匭院: 知匭院使(太平三年に知匭院事社防の名が見える)
  • 誥院: 誥院給事(耶律都勒斡は重熙末年に誥院給事となった)
  • 尚書省(太祖はかつて左右尚書を置いた): 尚書令(蕭思温は景宗保寧初年に尚書令となった)/左僕射(太祖の初め康黙記が左尚書となり、太祖三年に左僕射韓知古の名が見える)/右僕射(太宗会同元年に右僕射羅索の名が見える)/左丞(武白は尚書左丞となった)/右丞/左司郎中/右司郎中/左司員外郎/右司員外郎
  • 六部(職名総目): 某部尚書(聖宗開泰元年に吏部尚書劉績の名が見える)/某部侍郎(王観は興宗重熙中に兵部侍郎となり、李澣は穆宗朝に累進して工部侍郎となった)/某部郎中(劉輝は道宗大安末年に礼部郎中となった)/某部員外郎(開泰六年に礼部員外郎王景運の名が見える)/某部郎中(聖宗統和九年に虞部郎中崔祐の名が見える。諸曹の郎官は未詳)
  • 御史臺(太宗会同元年置): 御史大夫(会同九年に御史大夫耶律嘉哩の名が見える)/御史中丞/侍御(重熙七年に南面侍御準格爾の名が見える)
  • 殿中司: 殿中(聖宗開泰元年に殿中髙可恒の名が見える)/殿中丞
  • 尚舎局(遼朝雑礼に見える): 奉御。尚乗局・尚輦局・尚食局・尚衣局にもそれぞれ奉御が置かれた。
  • 翰林院(天子の文翰の事を掌る): 翰林都林牙(興宗重熙十三年に翰林都林牙耶律庶成の名が見える)/南面林牙(耶律穆爾古は聖宗統和初年に南面林牙となった)/翰林學士承㫖(趙延寿伝に翰林学士承旨張礪の名が見える)/翰林學士(太宗大同元年に和凝が翰林学士となったことが見える)/翰林祭酒(韓徳崇は景宗保寧初年に翰林祭酒となった)/知制誥(室昉は太宗が汴に入った際に知制誥に詔された)
  • 翰林畫院: 翰林畫待詔(聖宗開泰七年に翰林画待詔陳升の名が見える)/翰林醫官(天祚保大二年に提挙翰林医官李爽の名が見える)
  • 國史院: 監修國史(聖宗統和九年に監修国史室昉の名が見える)/史館學士(景宗保寧八年に史館学士の名が見える)/史館修撰(劉輝は大安末年に史館修撰となった)/修國史(耶律玦は重熙初年に修国史となった)
  • 宣政殿: 宣政殿學士(穆宗応暦二年に宣政殿学士李澣の名が見える)
  • 觀書殿: 觀書殿學士(王鼎は寿隆初年に観書殿学士となった)
  • 昭文館: 昭文館直學士(楊遵勗の子晦が昭文館直学士となった)
  • 崇文館: 崇文館大學士(韓延徽は太祖の時に崇文館大学士となった)
  • 乾文閣: 乾文閣學士(王観は道宗咸雍五年に乾文閣学士となった)
  • 宣徽院(太宗会同元年置): 宣徽使/知宣徽院事(馬得臣は統和初年に知宣徽院事となった)/宣徽副使/同知宣徽使事/同知宣徽院事
  • 内省: 内省使(聖宗太平九年に初めて内省使の名が見える)/内省副使
  • 内藏庫: 内藏庫提㸃(道宗清寧九年に内蔵庫提点耶律烏爾古の名が見える)
  • 内侍省: 黄門令/内謁者/内侍省押班/内侍左廂押班/内侍右廂押班/契丹漢兒渤海内侍都知/左承宣使/右承宣使
  • 内庫: 都提㸃内庫
  • 尚衣庫: 尚衣庫使
  • 湯藥局: 都提㸃勾當湯藥(内侍省の官はいずれも王継恩・趙安仁の伝に見える)
  • 客省(太宗会同元年置): 都客省(興宗重熙十年に都客省回鶻重格の名が見える)/客省使(会同五年に客省使耶律華格の名が見える)/左客省使(蕭和斯は応暦初年に左客省使となった)/右客省使/客省副使
  • 四方館: 四方館使(高勲は太宗が汴に入った際に四方館使となった)/四方館副使(道宗咸雍五年、四方館副使は契丹人のみを任用するよう詔された)
  • 引進司: 引進使(聖宗統和二十八年に引進使韓杞の名が見える)
  • 㸃簽司: 同簽㸃簽司事(興宗重熙六年に同簽点签司事耶律円寧の名が見える)
  • 禮信司: 勾當禮信司(興宗重熙七年に勾当礼信司古雲の名が見える)
  • 禮賔使司: 禮賔使(大公鼎の曽祖忠が礼賓使となった)
  • 寺官(職名総目): 某卿(興宗景福元年に重禄卿李可封の名が見える)/某少卿(耶律儼の子処貞が太常少卿となった)/某丞/某主簿。太常寺には博士・賛引・太祝・奉礼郎・恊律郎がある。
  • 諸署(職名総目): 某署令/某署丞。個別: 太樂署/鼓吹署/法物庫(遼朝雑礼に法物庫があり図籍を掌るとある。法物庫使・法物庫副使)
  • 崇祿寺(もと光祿寺。太宗の諱により改称)/衞尉寺/宗正寺(職は大特哩衮司にある)/太僕寺(乗黄署がある)/大理寺(提点大理寺・大理正があり、聖宗統和十二年〈994年〉に置かれた)/鴻臚寺/司農寺
  • 諸監(職名総目): 某太監(興宗景福元年に少副監馬憚の名が見える)/某少監(興宗重熙十七年に将作少監王企の名が見える)/某監丞/某監主簿。祕書監には秘書郎・秘書郎正字がある。
  • 著作局: 著作郎/著作佐郎(楊晳は聖宗統和十一年に著作佐郎となった)/校書郎(楊佶は統和中に校書郎となった)/正字(開泰元年に正字李万の名が見える)
  • 司天監(太史令・司暦・霊台郎・挈壺正・五官正丞主簿・五官霊台郎・保章正・司暦監候・挈壺正・司辰刻漏博士・典鐘・典鼓がある)
  • 國子監(上京国子監。太祖が置いた): 祭酒/司業/監丞/主簿
  • 國子學: 博士(武白は上京国子博士となった)/助教
  • 太府監/少府監/將作監/都水監(以上、文官)
  • 諸衞(職名総目): 各衛の大將軍(聖宗開泰七年に皇子宗簡右衛大将軍の名が見える)/上將軍(王継忠は統和二十二年に左武衛上将軍を加えられた)/將軍(聖宗太平四年に千牛衛将軍蕭順の名が見える)/折衝都尉/果毅都尉。個別の衛: 親衞/勲衞/翊衞/左右衞/左右驍衞/左右武衞/左右威衞/左右領軍衞/左右金吾衞/左右監吾衞/左右千牛衞/左右羽林軍/左右龍虎軍/左右神武軍/左右神䇿軍/左右神威軍(以上、武官)

東宮官・諸王府官

  • 東宮三師府(東宮の官の多くは遼朝雑礼に見える): 太子太師(太宗大同元年に太子太師李崧の名が見える)/太子太傅(世宗天禄五年に太子太傅趙瑩の名が見える)/太子太保(大同元年に太子太保趙瑩の名が見える)/太子少師(聖宗太平十一年に太子少師蕭従順の名が見える)/太子少傅(耶律哈里は重熙中に太子少傅となった)/太子少保(大同元年に太子少保馮玉の名が見える)
  • 太子賔客院: 太子賔客
  • 太子詹事院: 太子詹事/少詹事/詹事丞/詹事主簿
  • 太子司直司: 太子司直
  • 左春坊: 太子左庶子/太子中允(聖宗太平五年に太子中允馮若谷の名が見える)/太子司議郎/太子左諭徳/太子左贊善大夫
  • 文學館: 崇文館學士/崇文館直學士/太子校書郎(聖宗太平五年に太子校書郎韓灤の名が見える)
  • 司經局: 太子洗馬(劉輝は大安末年に太子洗馬となった)/太子文學/太子校書郎(聖宗太平五年に太子校書郎張昱の名が見える)/太子正字
  • 典設局: 典設郎
  • 宮門局: 宮門郎
  • 右春坊: 太子右庶子/太子中舍人/太子舍人/太子右諭徳/右贊善大夫/太子通事舍人
  • 太子家令寺: 太子家令/丞/主簿
  • 太子率更寺: 太子率更令/丞/主簿
  • 太子僕寺: 太子僕/丞/主簿
  • 太子率府(職名総目): 某率(興宗重熙十四年に率府率錫哷の名が見える)。個別: 太子左右衞率府/太子左右司禦率府/太子左右清道率府/太子左右監門率府/太子左右内率府(以上、東宮官)
  • 王傅府: 王傅(蕭惟信は重熙十五年に燕趙王傅となった)
  • 親王内史府: 内史(道宗太康三年に内史呉嘉努の名が見える)/長史/參軍
  • 諸王文學館: 諸王教授(姚景行は重熙中に燕趙国王教授となった)/諸王伴讀(聖宗太平八年、長沙郡王宗允らが諸王伴読を選ぶことを上奏した)(以上、諸王府官)

南面宮官

  • 漢兒行宮都部署院(南面行宮都部署司とも。聖宗開泰九年〈1020年〉左僕射に改める): 漢兒行宮都部署(開泰七年に漢児行宮都部署石用中の名が見える)/漢兒行宮副部署(興宗重熙十五年に漢児行宮副部署耶律迪里の名が見える)/知南面諸行宮副部署(重熙十年に知南面諸行宮副部署耶律紐斡哩の名が見える)/同知漢兒行宮都部署事(道宗太康三年に同知漢児行宮都部署事蕭托卜嘉の名が見える)/同簽部署司事(耶律儼は太康中に同簽部署司事となった)/都部署判官(耶律儼は咸雍中に都部署判官となった)
  • 十二宮南面行宮都部署司(職名総目): 某宮漢人行宮都部署/某宮南面副都部署/某宮同知漢人都部署。十二宮: 弘義宮/永興宮/積慶宮/長寧宮/延昌宮/彰愍宮/崇徳宮/興聖宮/延慶宮/太和宮/永昌宮/敦睦宮