遼史卷三十九 志第九 地理志三 中京道
中京大定府
中京大定府は虞では営州、夏では冀州に属し、周では幽州の分、秦は天下を郡県として遼西に属した。漢では新安平県、漢末には歩奚がここに居った。幅員千里、大山深谷が多く険阻で自ら固めるに足りる地。魏の武帝が北征し二十余万を降して松漠に去らせ、その後拓跋氏が遼に乗じてここに建牙した。饒楽河水の南、温渝河水の北にあたる。唐の太宗は高麗を伐つ際ここに駐蹕した。部帥の蘇支は従征に功があり、奚長の可度率は衆を率いて内附し饒楽都督府が置かれた。咸通以後、契丹が大きくなり奚族は抗し得なくなった。太祖が建国すると族を挙げて臣属した。聖宗は常に七金山・土河の浜を過ぎるたびに南に雲気を望み郛郭楼闕の状を見て建都を議し、良工を燕薊に選んで二年役を董させ、郛郭・宮掖・楼閣・府庫・市肆・廊廡は神都(燕京)の制に擬した。統和24年(1006年)、五帳院が故奚王の牙帳地を進め、25年に城を築き漢戸をもって実らせ、中京府と号し大定と称した。 - 皇城の中に祖廟、景宗承天皇后の御容殿がある。城池は湫湿で井を多く鑿って水を泄した。人々はこれを便とした。大同駅は宋使を待ち、朝天館は新羅使を待ち、来賓館は夏使を待つ。七金山・馬盂山・双山・松山・土河があり、統州10県9。
- 大定県:白霫の故地。諸国の俘戸をもって居らせた。
- 長安県:もと漢の賓従県。諸部の人をもって居らせた。
- 富庶県:もと漢の新安平地。開泰2年(1013年)、京民を分けて置く。
- 勧農県:もと漢の賓従県地。開泰2年、京民を分けて置く。
- 文定県:開泰2年、京民を分けて置く。
- 升平県:開泰2年、京民を分けて置く。
- 帰化県:もと漢の柳城県地。
- 神水県:もと漢の徒河県地。開泰2年置く。
- 金源県:もと唐の青山県境。開泰2年、京民を分けて置く。
中京道管内の諸州
- 恩州懐徳軍下刺史:もと漢の新安平県地。太宗が州を建て、開泰中に渤海戸をもって実らせた。初め永興宮、後に中京に属す。統県1(恩化県。開泰中、渤海の人戸を置く)。
- 恵州恵和軍中刺史:もと唐の帰義州地。太祖が漢民数百戸を俘え兎麛山下に城を創建して居らせ州を置き中京に属す。統県1(恵和県。聖宗が上京恵州の民を遷し諸宮院の落帳戸を括って置く)。
- 高州観察:唐の信州地。万歳通天元年(696年)、契丹の伊斯琿部をもって置く。開泰中、聖宗が高麗を伐つに際し俘戸をもって置く。半頂山・楽河があり中京に属す。統県1(三韓県。辰韓は扶余、弁韓は新羅、馬韓は高麗となった。開泰中、聖宗が高麗を伐ち三国の遺人を俘えて置いた県、戸5000)。
- 武安州観察:唐の沃州地。太祖が漢民を俘え木葉山下に居らせるため城を建て杏堝新城と号し、遼西戸を益して新州と改称。統和8年(990年)に今の名に改め、初め刺史、後に昇格。黄柏嶺・約囉水・格黙勒水があり中京に属す。統県1(沃野県)。
- 利州中観察:もと中京の阜俗県。統和26年(1008年)に刺史州を置き、開泰元年(1012年)に昇格して中京に属す。統県1(阜俗県。唐末、契丹が漸く盛んになり奚人を役使して琵琶川に遷居させた。統和4年(986年)に県を置く。初め彰愍宮、後に中京に隷し、後に置州しても中京に属す)。
- 榆州高平軍下刺史:もと漢の臨渝県地、後に右北平驪城県に隷す。唐の載初2年(690年)、慎州を分けて黎州を置き靺鞨部落を処す。後に奚人が拠った。太宗が南征する際、横帳の嘉哩が俘えた慎州民をもって州を置いたが、開泰中に没入され中京に属す。統県2。
- 和衆県:もと新黎県地。
- 永和県:もと漢の昌城県地。統和22年(1004年)置く。
- 澤州広済軍下刺史:もと漢の土垠県地。太祖が蔚州民を俘えて寨を立て居らせ、銀冶を採煉させ中京留守司に隷し、開泰中に澤州を置く。松亭関・神山・九宮嶺・石子嶺・灤河・撒河があり中京に属す。統県2。
- 神山県:神山が西南にある。
- 灤河県:もと漢の徐無県地。永興宮に属す。
- 北安州興化軍上刺史:もと漢の女祁県地、上谷郡に属す。晋では馮跋が拠り、唐では奚王府西省の地。聖宗が漢戸をもって北安州を置き中京に属す。統県1(利民県。もと漢の且居県地)。
- 潭州広潤軍下刺史:もと中京の龍山県。開泰中に州を置き中京に属す。統県1(龍山県。もと漢の交黎県地。開泰2年、習家寨をもって置く)。
- 松江州勝安軍下刺史:開泰中に置き統和8年に一度省き復置。中京に属す。統県1(松江県。もと漢の文成県地。辺は松漠で商賈の会衝。開泰2年に置く。松山川がある)。
宋の王曽が上奏した契丹の道里
宋の王曽は「上契丹事」において、燕京北門から望京館まで50里、順州まで70里、そこから漸く山に入り50里で金溝館(将に館に至ろうとする川原平曠の地を金溝淀と呼ぶ)、そこから山に入り屈曲し登陟して里堠は無く馬行の日数で里数を約す。約90里で古北口(両側は峻崖で車軌をわずかに容れる)、さらに徳勝嶺(盤道数層、俗に思郷嶺)を度り80里で新館、雕窠嶺・偏槍嶺を過ぎ40里で如来館、烏灤河を過ぎ(東に灤州あり)、黒斗嶺を過ぎ雲嶺・芹菜嶺を度り70里で柳河館(松亭嶺は甚だ険峻)、70里で打造部落、東南行50里で牛山館、80里で鹿児峡館、蝦蟆嶺を過ぎ90里で鉄漿館、石子嶺を過ぎこの辺りから漸く山を出て70里で富谷館、80里で通天館、20里で中京大定府に至ると記す。城垣は卑小で方円わずか四里ほど、門はあるが重屋・築闍の制はない。南門は朱夏門といい、内は歩廊が通じ坊門が多く、市楼四つは天方大衢と称し闤(市街)を望む。次いで大同館に至り、その門は正北を陽徳閶闔という。城内西南隅の岡上に寺があり、城南には園圃と宴射の場がある。古北口を過ぎて以後、居人は草庵・板屋で耕種するが桑柘はなく、種えるものはみな壟上にあり風に吹かれた沙が壅ぐ。山上には長松が鬱然と茂り、深谷の中には時に牛馬・槖駝の畜牧が見え、青羊・黄豕が多いという。
成州・興中府等
- 成州興府軍節度:晋国長公主が媵戸をもって置いた。軍を長慶と号し上京に隷したが後に軍名を改め、統県1(同昌県)。
- 興中府(もと覇州彰武軍節度):古の孤竹国、漢の柳城県地。慕容皝が柳城の北・龍山の南の「福徳の地」に龍城を築いて宮廟を構え、柳城を龍城県と改めて遷都、和竜宮と号した。慕容垂もここに居ったが、のち馮跋に滅ぼされ、北魏が取って遼西郡とした。隋は高保寧を平定して営州を置き、煬帝は柳城郡と改称。唐の武徳初に営州総管府と改め、のち都督府となった。万歳通天中に李万栄に陥られ、神龍初に府を幽州に移し、開元4年(716年)に柳城に復治、8年に漁陽に西徙、10年に柳城に還る。のち奚に拠られたが、太祖が奚を平定し燕民を俘えて城を建てようとした際、韓知方に処を選ばせて柳城を完葺し、覇州彰武軍節度と号した。統和中に建・霸・宜・錦・白川等五州を制置したが後に制置を落とし積慶宮に隷し、後に興聖宮に属し、重熙10年(1041年)に興中府に昇格。大華山・小華山・香高山・麝香崖(天授皇帝の刻石がある)・駐龍峪・神射泉・小霊河があり統州2県4。
- 興中県:もと漢の柳城県地。太祖が漢民を掠めここに居らせ霸城県を建て、重熙中に府を置いて改名。
- 営丘県:霸城を分けて置く。
- 象雷県:開泰2年、麦務川をもって置く。初め中京、のち属す。
- 閭山県:もと漢の且慮県。開泰2年、羅家軍をもって置き中京に隷し、のち属す。
- 安徳州化平軍下刺史:霸州の安徳県をもって置き来属。統県1(安徳県。統和8年、霸城東南の龍山・徙河境の戸を析いて置き乾州に隷したが、のち霸州に属して置州し来属)。
- 黔州阜昌軍下刺史:もと漢の遼西郡地。太祖が渤海を平定して俘戸をここに居らせ黒水河提轄司に隷し、世宗が州を置き宜・霸二州の漢戸を析いて益した。初め永興宮、後に中京に隷し、のち府を置いて来属。統県1(盛吉県。太祖が渤海を平定し興州の盛吉県民を俘えて来居させ置いた)。
- 宜州崇義軍上節度:もと遼西絫県地。東丹王が毎秋ここで畋猟した。興宗が定州の俘戸をもって州を建てた。墳山・松栢が百余里連亘し樵採を禁じ、河を浚え石を累ねて堤とした。積慶宮に隷し統県2。
- 弘政県:世宗が定州の俘戸をもって置き、民は織絍に工み技巧が多い。
- 聞義県:世宗が置く。初め海北州に隷し後に来属。
- 錦州臨海軍中節度:もと漢の遼東無慮県。慕容皝が西楽県を置いた。太祖が漢の俘虜をもって州を建てた。大胡僧山・小胡僧山・大査牙山・小査牙山・淘河島があり弘義宮に隷し統州1県2(永楽県・安昌県)。
- 厳州保粛軍下刺史:もと漢の海陽県地。太祖が渤海を平定して漢戸を興州境に雑居させ、聖宗がここに城を建てた。弘義宮に隷し来属。統県1(興城県)。
- 川州長寧軍中節度:もと唐の青山州地。太祖の弟の明王安図が置き、会同3年(940年)に白川州と詔された。安図の子の察克は大逆で誅され没入されて白川州は省かれた。初め崇徳宮に隷し、統和中に文忠王府に属す。統県3。
- 弘理県:統和8年、諸宮提轄司の戸をもって置く。
- 咸康県。
- 宜民県:統和中に置く。
- 建州保静軍上節度:唐の武徳中に昌黎県を置く。太祖が故壘を完葺して州を建てた。漢の乾祐元年(948年)、故石晋の太后が世宗を訪ねて漢城の側で耕墾し自贍することを求め、建州の南40里に地50頃を給わり房室を営構し宗廟を創立した。州は霊河の南にあり屡々水害を被ったため聖宗が河北の唐の崇州故城に遷した。初め武寧軍に属し永興宮に隷し、後に敦睦宮に属す。統県2(永霸県・永康県。もと唐の昌黎県地)。
- 来州帰徳軍下節度:聖宗が女直五部の飢饉に際し来帰させ州を置いて居らせた。初め刺史、後に昇格。永興宮に隷し三州山・六州山・五脂山があり統州2県1(来賓県。もと唐の来遠県地)。
- 隰州平海軍下刺史:慕容皝が集寧県を置いた。聖宗が帳戸を括り信州に遷そうとした際、大雪で進めず城をここに建てて置いた。興聖宮に隷し来属。統県1(海陽県。もと漢の県、瀕海の地で鹹鹵が多く塩場をここに置く)。
- 遷州興善軍下刺史:もと漢の陽楽県地。聖宗が大延琳を平定して帰州の民を遷しここに置く。来属し箭笴山がある。統県1(遷民県)。
- 潤州海陽軍下刺史:聖宗が大延琳を平定して寧州の民を遷しここに置く。統県1(海濱県。もと漢の陽楽県地。遷潤州はもと東京城内の渤海民戸が叛移してできた)。