遼史卷三十五 志第五 兵衛志中
総説(親軍の沿革)
- 漢の武帝は行幸のことを多く行い、期門・佽飛・羽林の職を置いて、天子は初めて親軍を持つに至った。唐の太宗は親勲翊・千牛の衛を加えて腹心を身近に置き、防衛はますます厳重になった。
- 太祖の代には宗室が盛んで、徳哷勒部を二つに分けたが、宮衛の内はなお手薄で、四方の経営に追われて集めきれずにいた。皇后舒嚕氏が留守を守っていた頃、番・漢の精鋭を摘んで舒新軍を編成した。太宗はさらに天下の精甲を選んで爪牙として配し、皮室軍とし、合わせて騎兵五十万を数えるに至り、国威は大いに壮んになった。
御帳親軍
- 大帳皮室軍:太宗が置いた。凡そ三十万騎。
- 舒新軍:地皇后(応天皇太后)が置いた。二十万騎。
宮衛騎軍
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太祖は徳哷勒部の禅譲を受けて本部を五院・六院に分けたが、親衛が手薄であったため、鄂爾多の法を立てて州県を裂き戸丁を割き、幹を強くし枝を弱めて後嗣に伝える謀を立てた。世々宮衛を建て、入りては居守し出でては扈従し、葬送には陵を守る役に当たった。兵事があれば五京・二州の各提轄司が檄を伝えて集結し、調発を待たずとも州県・部族の十万騎の軍がただちに整った。恩義は篤く兵甲は鋭く、教練は行き届き、天下の精鋭を腹心の中に集めていたので、旧来の者は年々増え新たな者も代々盛んになった。これは軍制の優れたものである。
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弘義宮:正丁1万6千、番漢転丁1万4千、騎軍6千。
- 長寧宮:正丁1万4千、番漢転丁1万2千、騎軍5千。
- 永興宮:正丁6千、番漢転丁1万4千、騎軍5千。
- 積慶宮:正丁1万、番漢転丁1万6千、騎軍8千。
- 延昌宮:正丁2千、番漢転丁6千、騎軍2千。
- 彰愍宮:正丁1万6千、番漢転丁2万、騎軍1万。
- 崇徳宮:正丁1万2千、番漢転丁2万、騎軍1万。
- 興聖宮(底本では宮名を欠くが、正丁2万・番漢転丁4万・騎軍5千という数値と、他の史料に見える宮の並び順から興聖宮に当たると判断される)。
- 延慶宮:正丁1万4千、番漢転丁2万、騎軍1万。
- 太和宮:正丁2万、番漢転丁4万、騎軍1万5千。
- 永昌宮:正丁1万4千、番漢転丁2万、騎軍1万。
- 敦睦宮:正丁6千、番漢転丁1万、騎軍5千。
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文忠王府:正丁1万、番漢転丁1万6千、騎軍1万。
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十二宮一府は、上京から南京に至る要地にそれぞれ提轄司を置いた。重要な地には各宮がいずれも内地に一、二か所を置くにとどまった。太和・永昌の二宮は興聖・延慶の二宮と同様であるべきだが、旧史には提轄司が見えず、おそらく欠文であろう。
- 南京:弘義宮提轄司・長寧宮提轄司・永興宮提轄司・積慶宮提轄司・延昌宮提轄司・彰愍宮提轄司・崇徳宮提轄司・興聖宮提轄司・延慶宮提轄司・敦睦宮提轄司・文忠王府提轄司
- 西京:弘義宮提轄司・長寧宮提轄司・永興宮提轄司・積慶宮提轄司・彰愍宮提轄司・崇徳宮提轄司・延慶宮提轄司・文忠王府提轄司
- 奉聖州:弘義宮提轄司・長寧宮提轄司・永興宮提轄司・積慶宮提轄司・彰愍宮提轄司・崇徳宮提轄司・興聖宮提轄司・延慶宮提轄司・文忠王府提轄司
- 平州:弘義宮提轄司・長寧宮提轄司・永興宮提轄司・積慶宮提轄司・延昌宮提轄司・彰愍宮提轄司・興聖宮提轄司・延慶宮提轄司・文忠王府提轄司
- 中京:延昌宮提轄司・文忠王府提轄司
- 上京:文忠王府提轄司
- 諸宮衛の丁は合計40万8千、うち騎軍は10万1千を出した。
大首領部族軍
- 遼の親王・大臣は国を家のように大切にし、征伐に際してはしばしば私兵を組織して王に従わせた。大きな者は千余騎、小さな者は数百人で、皇府に籍を置いた。国に軍事があれば三、五千騎を借り、常に余兵を残して部族の根本とした。
- 太子軍・偉王軍・永康王軍・裕悦王軍・瑪達軍・烏雅軍
衆部族軍
- 諸々の部族はそれぞれ南府・北府に分隷し、四辺を守衛した。それぞれの担当は次の通りである。
北府(凡そ二十八部)
- 侍従宮帳:奚王府部
- 鎮南境:五院部・六院部
- 東北路招討司:威部
- 東北路統軍司:約囉部・伯特部・敖拉部・南尅部・北尅部・図嚕部・珠展達嚕噶部・河西部
- 西北路招討司:図魯卜部・阿雅女直部・室韋部
- 西南路招討司:納喇部・烏庫哩部・納喇裕爾庫部・黙古斯部・吉達部・鼐奇特唐古部・和拉唐古部
- 黄龍府都部:烏延突厥部・阿雅突厥部・北唐古部・五国部
- 烏爾古徳哷勒統軍司:達魯徳哷勒部
- 威烏爾古部:北徳哷勒部
南府(凡そ一十六部)
- 鎮駐西南境:伊実部
- 西南路招討司:丕勒部・達勒達徳哷勒部・丕勒達嚕噶部・伊徳女直部
- 西北路招討司:卓特部
- 東北路統軍司:塔瑪布古徳部
- 東北路女直兵馬司:伊実阿爾威部
- 東京都部署司:卓特阿爾威部・揚結部・実保部・哈準部
- 戍倒塌嶺:卾博庫部
- 屯駐本境:薩拉噶部・南唐古部・色克図部