列女傳卷七 齊東郭姜

出自と生い立ち

  • 斉の東郭姜は棠公の妻で、斉の崔杼の家臣東郭偃の姉であり、美しく色香があった。

崔杼との結婚と荘公の密通

  • 棠公が死ぬと、崔子(崔杼)は弔問して東郭姜を気に入り、東郭偃と謀ってこれを娶った。東郭姜が崔氏の家に入ってから、その家は公宮に近く、斉の荘公はこれと通じ、頻繁に崔氏の家を訪れた。崔子はこれを知っていた。
  • ある日、荘公は崔子の冠を侍人に与えたところ崔子は怒り、病と称して出仕しなかった。荘公は台に登って崔氏の邸を見下ろし、台上から東郭姜と戯れた。荘公が下りて彼女のもとへ近づくと、東郭姜は戸口に走り込んで閉じた。荘公が「開けよ」と言うと、東郭姜は「主人(崔子)がここにおり、まだ髪を整えておりません」と答えた。荘公は「私は崔子の病を見舞いに来たのだ、開けぬのか」と言ったが、崔子と東郭姜は側戸から出て門を閉じ、人を集めて鼓を鳴らした。

荘公殺害

  • 荘公は恐れて柱を抱いて歌い、崔氏に「私に罪があることは分かった。心を改めてあなたに仕えよう。信じられぬなら盟いを立てよう」と請うたが、崔子は「臣はその命を承ることができません」と拒み立ち去った。荘公はさらに崔氏の宰に「先君の廟に赴いて死なせてほしい」と請うたが、宰は「あなたの臣杼は病でここにおらず、侍臣は命を承ることができません」と答えた。
  • 荘公は塀を越えて逃げようとしたが、崔氏の兵が射てかかとに命中し、荘公は転落し、ついに弑された。

東郭姜をめぐる子らの争いと崔氏の滅亡

  • これより先、東郭姜が前夫の子棠毋咎と共に崔氏に入ると、崔子は毋咎を可愛がり相室(家宰)とした。崔子には前妻の子として太子成、少子彊がいた。東郭姜が入ってからは明・成という二子を生んだ。
  • 成が病気になると崔子は成を廃嫡し、明を後継とした。成は人を遣って崔邑を隠居料として求め、崔子は哀れんでこれを許した。棠毋咎と東郭偃は争いに敗れ、成と彊は怒り彼らを殺そうとして慶封に相談した。慶封は斉の大夫で、密かに崔氏と権を争い、崔氏を自滅させようとしていた。慶封は成・彊に「殺せ」と告げ、二人は崔氏の邸で棠毋咎・東郭偃を殺した。
  • 崔子は怒り、慶氏に訴えて「私が不肖で子を教えることができず、このような事態になった。私があなたに仕えていることは国人の知るところだが、使者を辱めることだけはやめさせてほしい」と訴えた。慶封は盧蒲嫳に大勢を率いさせ国人と共に崔氏の倉庫・厩を焼き払い、成と東郭姜を殺した。
  • 崔子の妻(東郭姜)は「このように生きるくらいなら死んだほうがましだ」と言い、自ら首をくくって死んだ。崔子は帰って倉庫と厩が焼かれ妻子がみな死んだのを見て、自らも首をくくって死んだ。
  • 君子は「東郭姜は一国の君を殺し三家を滅ぼし、さらに自らの身も損なった。まことに不祥なことだ」と評した。
  • 『詩経』に「枝葉にまだ害が及ばぬうちに、根がまず先に朽ちる」とあるのは、この東郭姜のことをいう。

史論

  • 頌に曰く、斉の東郭姜は崔杼の妻となり、荘公を惑わし乱した。棠毋咎を頼みとしたため禍は明・成に及び、邑を争って互いに殺し合った。父母は身の置き所を失い、崔氏はついに滅んだ、という。