列女傳卷六 齊孤逐女

郷里から追われ続けた孤女

  • 孤逐の女は斉の即墨の女で、のちに斉の宰相の妻となった。もとは孤児で父母もなく、容姿は甚だ醜く、郷では三度追われ、里では五度追われ、いつまでも受け入れられなかった。斉の宰相の妻が死んだとき、逐女は襄王の門を訪れ、取次に「私は郷で三度、里で五度追われ、孤児で父母もなく、野に打ち捨てられ身を置く場所もありません。王の御前で、この愚かな言葉を尽くしたく存じます」と願った。

王の面会と国の柱の議論

  • 左右が王に取り次ぐと、王は食事の箸を置いて立ち上がった。左右の者は「郷で三度追われたのは不忠のため、里で五度追われたのは礼を欠くためです。不忠で礼を欠く者に、王はなぜ急いで会おうとなさるのですか」と問うた。王は「お前たちには分からぬのだ。牛が鳴いても馬は応じないが、それは馬が牛の声を聞かないのではなく、種類が違うからだ。この者には人と異なるところが必ずあるはずだ」と答え、三日にわたって語り合った。
  • 一日目、逐女は「大王は国の柱をご存知ですか」と問い、王が知らないと答えると、「柱とは相国のことです。柱が正しくなければ棟は安定せず、棟が安定しなければ垂木は落ち、屋根は崩れかけましょう。王は棟であり、庶民は垂木であり、国家は屋根です。屋根が堅いか堅くないかは柱にかかっています。国家が安らかであるかどうかは相にかかっているのです。今、大王は明らかな知恵をお持ちですが、国の相は慎重に選ばねばなりません」と説いた。王は「なるほど」と応じた。

相国の登用を説く

  • 二日目、王が「私の国相はどうか」と問うと、逐女は「王の国相は比目の魚のようなもので、外にも内にも並び立ってこそ事を成し功を挙げられます」と答えた。「側近を明らかにし、妻子を賢くすることが、外にも内にも並び立つということです」と説明した。
  • 三日目、王が「私の相は代えるべきか」と問うと、逐女は「今の相は中程度の才で、これに勝る者を求めても得られてはいません。もし勝る者がいれば、代えないわけがございません、今はまだそういう者がいないだけです。明王が人を用いるときは、一人を推し立てて用いるものと聞きます。楚は虞邱子を用いて孫叔敖を得、燕は郭隗を用いて楽毅を得ました。大王が誠実にこれを励行なさるなら、この道は必ず活きましょう」と答えた。
  • 王が「どうすればよいか」と問うと、逐女は「かつて斉の桓公は九九算術しか知らない者すら尊んだので、道のある士がこぞって集まりました。越王は蟷螂が怒りをあらわにする姿を敬い、勇士がそのために死をも厭わなくなりました。葉公は龍を好んだので、本物の龍が現れました。物事の応じ方は、決して遠回りするものではありません」と答えた。王は「善い」と応じた。

王が相を重んじ、逐女を妻に迎える

  • 王は相を尊び敬い、逐女をその妻とした。三日のうちに四方の士がこぞって斉に帰服し、国は治まった。『詩経』に「すでに君子にまみえ、並んで座り琴瑟を弾く」とあるが、まさにこのことである。

史論

  • 頌に曰く、斉の孤逐の女が襄王の門を訪ねた。女は五度追われた身であったが、王はなお会おうとした。国の政について語る言葉はまことに文があり、三日語り合ってついに相国の妻となった、という。