出自と呉軍による陥落
- 伯嬴は秦の穆公の娘で、楚の平王の夫人、昭王の母である。昭王の時、楚は呉と柏舉で戦い、呉が勝って郢に攻め入った。昭王は逃亡し、呉王闔閭は後宮の女たちをことごとく妻にしようとした。
刃を持って正論を説き、身を守る
- 伯嬴の番になると、伯嬴は刃を手に「天子は天下の模範であり、公侯は一国の儀範です。天子が制を失えば天下が乱れ、諸侯が節を失えばその国が危うくなります。夫婦の道は人倫の始まりであり、王道の端緒です。だからこそ明王の制度では、男女は互いに直接物を授受せず、席を同じくせず、器を共にせず、衣掛けを別にし、手拭いや櫛を別にしています。諸侯で外を犯す者は絶たれ、卿大夫で外を犯す者は追放され、士庶人で外を犯す者は宮刑に処されます。それは仁を失っても義で補い、義を失っても礼で補うためです。男女の秩序が乱れるところから、乱亡が生じるのです。乱亡の端緒を開くことは、公侯なら絶たれ、天子なら誅されるべきことです。今、君王が模範たる行いを捨て、乱亡の欲を放ち、誅されるべき事を犯すなら、何をもって命令や訓えを行き渡らせるのですか。しかも、辱めを受けて生きるより、栄えある死のほうがましと聞いております。もし君王が模範を捨てるなら、国に臨む資格を失います。私に淫らな端緒があれば、世に生きる資格を失います。一挙にして双方の辱めとなります。私は死をもってこれを守り、あえて命令をお受けしません。しかも、私を求める理由は快楽のためでしょう。近づいて死なれては、何の快楽がありましょう。先に私を殺したとしても、君王に何の益がありましょうか」と述べた。
- 呉王は恥じて退いた。伯嬴は保母とともに永巷の門を閉じ、武器を手放さず三十日を過ごした。秦の救援が至り、昭王は復位した。君子は伯嬴を勇敢で一途な人物と評した。
史論
- 頌に曰く、闔閭が楚に勝ち、宮室に入って後宮の女たちを妻にしようとしたとき、誰もが恐れ震えたが、伯嬴だけは自ら守り、堅く一途を貫いた。君子はこれを称え、節義ある人物とした、という。