出自と婚姻
- 伯姫は魯の宣公の娘、成公の妹である。母は繆姜といい、伯姫を宋の恭公に嫁がせた。恭公が自ら迎えに来なかったため、伯姫は父母の命にやむなく従って嫁いだ。
- 宋に入って三月の廟見の後、夫婦の道を行うべきところ、伯姫は恭公が自ら迎えに来なかったことを理由に、命に従うことを拒んだ。宋の人がこれを魯に告げると、魯は大夫季文子を宋に遣わして伯姫に意を伝えさせた。季文子が帰って復命すると、成公は彼をもてなし、繆姜は部屋から出て「大夫が遠路をご苦労なさり、私の子のもとへ足をお運びくださったことは、先君を忘れず後嗣に及ぶものであり、亡き先君も喜んでおられよう」と拝礼して謝意を述べた。
- 伯姫は恭公に嫁いで十年後、恭公が没して寡婦となった。
火事の夜、傅母を待ち続けて死す
- 景公の代、伯姫は夜に火事に遭った。左右の者が「夫人、少し火を避けてください」と勧めたが、伯姫は「婦人の道として、保母と傅母がそろわなければ、夜に堂を下りず、傅母が来るのを待つものです」と言った。保母は来ていたが、傅母はまだ来ていなかった。
- 重ねて避難を勧められても、伯姫は「傅母が来ない以上、夜に堂を下りることはできません。義を越えて生きながらえるより、義を守って死ぬほうがましです」と答え、ついに火に巻かれて死んだ。
- 『春秋』はこの事を詳しく記し、伯姫を賢と称え、貞節を守り通した婦人と評した。当時、諸侯はこれを聞いて悼み、死者は生き返らせられないが財物は補えるとして、澶淵に集まり、宋の失った物を償った。『春秋』もこれを善しとした。
- 君子は「礼では、婦人は傅母がいなければ夜に堂を下りず、外出には必ず灯りを持つとされる。伯姫はまさにこれを体現した」と評した。
史論
- 頌に曰く、伯姫は心を専一にし礼を守り抜いた。宮中で夜に火事が起きたとき、保母と傅母がそろわなかったため、火に巻かれて死んでもその心に悔いはなかった。『春秋』はこれを賢と称え、詳しくその事を記した、という。