列女傳卷一 魏芒慈母

出自と前妻の子との関係

  • 魏の芒慈母は魏の孟陽氏の娘で、芒卯の後妻である。自身に三人の子があったが、前妻の子は五人おり、みな慈母を慕わなかった。慈母は彼らを大変よく扱ったが、それでもなお慕われなかった。
  • 慈母は自分の三人の子に、前妻の子と同じ衣服・飲食を与えず、日常の起居も大きく差をつけるよう命じたが、それでも前妻の子はなお慈母を慕わなかった。

前妻の子の罪を救う

  • あるとき、前妻の中子が魏王の法令に触れて死罪に問われた。慈母は憂え悲しみ、帯が緩むほど痩せ、朝夕勤め励んでその罪を救おうとした。ある人が「あの子たちはこれほどまでにあなたを慕わないのに、なぜそこまで骨を折って心配するのか」と尋ねると、慈母は「もし私が生んだ子であれば、たとえその子が私を慕わなくても、私はその禍を救い害を除くでしょう。それを継子だからといってしないのは、普通の母と何が違うでしょうか。彼らの父は彼らを孤児にすることを恐れて、私を継母としたのです。継母は実母と同じ、人の母となって子を愛さないなら、慈と言えるでしょうか。実子だけを愛し継子を差別するなら、義と言えるでしょうか。慈も義もなければ、この世に身を立てることができません。彼らが私を慕わなくとも、私が義を忘れることなどできましょうか」と答え、ついに訴えを起こした。

表彰

  • 魏の安釐王はこれを聞き、その義を高く評価して「これほどの慈母がいながら、その子を救わずにいられようか」と述べ、罪を赦して家を復興させた。これ以来、五人の子は慈母に親しみ懐き、和やかに一つにまとまった。
  • 慈母は礼義の教化を漸進的に施し、八人の子をみな魏の大夫・卿士に育て上げ、それぞれ礼義を成就させた。君子は慈母の心が一つであったと評した。

史論

  • 『詩経』に「尸鳩(かっこう)は桑の木にいて、その子は七羽いる。善良な君子は、その振る舞いが一つである」とあるが、これは心の均一さを言うものである。尸鳩は一つの心で七羽の子を養い、君子は一つの心構えで万物を養う。一つの心があれば百人の君に仕えられるが、百の心があれば一人の君にも仕えられない、というのはこのことを言う。
  • 頌に曰く、芒卯の妻は五人の継子の母となり、慈しみ深く仁義をもって継子を養った。慕われなくとも我が子のように大切にし、継母としてこれほどであれば、まことに尊ぶべきである、という。