南史卷七十六 列傳第六十六 張孝秀

張孝秀

  • 張孝秀、字は文逸、南陽宛の人。尋陽に徙居した。曽祖の須無、祖の僧監、父の希はいずれも別駕従事。孝秀は身長六尺余、色白く美しい鬚眉で、州中従事史として仕えたが、刺史陳伯之が叛いた際、州の士大夫と謀って襲おうとし、事が発覚して盆水のほとりに逃れ、商人に護られながら東林に転じた。伯之はその母郭氏を捕らえ蝋を灌いで殺した。孝秀は妻妾を匡山に遣わし修行学道させ、喪が明けると建安王が別駕に招いたためこれを機に職を辞して山に帰り東林寺に居した。田数十頃、部曲数百人を有し、力田で山衆を養い、遠近から慕われ市のように人が集まった。孝秀は性が通率で浮華を好まず、常に穀皮巾を冠り蒲履を履き并閭皮の麈尾を執り、寒食散を服して盛冬にも石の上に臥した。群書を博渉し釈典に専精し、戒律を犯した僧があれば衆と仏前に集めて羯磨(懲戒の儀式)を行い笞打った上で改過を促した。談論に長じ隷書を工み、諸々の芸能に通じた。普通三年(522年)卒した際、室中に非常な香気が漂い、梁簡文帝は深く傷悼し劉慧斐への書にその貞白ぶりを述べた。