南史卷七十五 列傳第六十五 朱百年

朱百年

  • 朱百年、会稽山陰の人。祖の凱之は晋の左衛将軍、父の濤は揚州主簿。若くして高い志を持ち、親の喪が明けると妻の孔氏とともに会稽南山に入り箬(竹の葉)採りを業とした。採った箬を道端に置くとすぐに行人に取られるので怪しまれたが、朱隠士の売り物と知られると、堪えられる分だけ銭を置いて持ち去るようになった。寒雪で箬が売れない時は舟を漕いで妻を実家の孔氏に送り、晴れれば迎えに行き、山陰に出て妻に絹布を買い与えることもあった。酒を好み酔って物を失うこともあり、玄理を語り高勝な詩を詠んだ。人と交わらず、同県の孔顗とのみ親しく酒を酌み交わした。家は貧しく、母が冬に亡くなった時に綿の入った衣がなかったことから以後綿帛を身につけなかった。寒い時に孔顗の宿で夾布の衣のまま眠り酔いつぶれると、顗が臥具を掛けてやったが、目覚めて臥具を取り除きながら「綿は実に暖かい」と語って涙を流した。太子舎人に召されたが応じなかった。顔竣が東陽州から穀五百斛を贈ったが受けず、同郷の寒人姚吟にも米二百斛が贈られたが同じく辞退した。百年が山中で没した後、会稽太守蔡興宗が妻に米百斛を贈ると、妻は婢を郡門に遣わして固く辞退し、人々はこれを梁鴻の妻に比した。