南史卷七十五 列傳第六十五 雷次宗

出自と行状

  • 雷次宗、字は仲倫、豫章南昌の人。若くして廬山に入り釈慧遠に事え、篤志好学で三礼・毛詩に明るく、隠退して徴辟を受けなかった。宋元嘉十五年(438年)、都に徴され鶏籠山に館を開き徒を集めて教授し、生徒は百余人に及んだ。会稽の朱膺之・潁川の庾蔚之がともに儒学を総監した。当時国子学は未だ立たず、上(文帝)は芸文に留意し、丹陽尹何尚之に玄学を、太子率更令何承天に史学を、司徒参軍謝元に文学を立てさせ、四学が並び建った。車駕がたびたび次宗の館に至り資給は厚かった。しばらくして廬山に帰ると公卿以下が祖道の礼を設けた。再び都に招かれ鍾山西巌下に室を築かせ「招隠館」と称し、皇太子・諸王に喪服経を講じさせたが、次宗は公門に入らず華林東門から延賢堂に就いた。二十五年(448年)鍾山で卒し、子の肅之がその業をよく伝えた。