南史卷七十二 列傳第六十二 紀少瑜
夢に得た筆
- 紀少瑜、字は幼瑒、丹陽秣陵の人、本姓は呉だが紀氏に養われ姓を継いだ。若くして孤児となり志節を慕い、王安期の人柄を敬慕し13歳で文をよくした。京華で学んでいた頃、王僧孺が彼を見て「この子の才は新奇で高名を得るだろう」と評した。少瑜はかつて陸倕が青い鏤管の筆を授ける夢を見て「これを使えばよい、自分でよいものを選べ」と言われ、それ以来文才が進んだという。19歳で太学に遊学し六経を探り、博士東海の鮑皦に深く親しまれ、皦が病んだ際は少瑜が代講した。玄言・談吐に優れ雄弁であった。晋安国中尉(梁簡文帝)に仕え深く恩遇を受け、後に宣城王の侍読に侍した。当陽公が郢州となった際は功曹参軍、輕車限内記室に転じ事件で免職。大同7年(541年)東宮学士に招かれた。邵陵王が郢州にいた頃学士を求め武帝は少瑜を推挙した。少瑜は容貌に優れ草書に巧みで、吏部尚書到溉は「この人には大才がありながら重用されていない、いずれ抜擢しよう」と語ったが溉が離職したため実現せず、武陵王記室参軍で没した。