南史卷六十六 列傳第五十六 黄法氍

黄法氍は字を仲昭といい、巴山新建の人。侯景の乱を機に郷里で挙兵し陳武帝に仕えた武将で、周廸討伐・熊曇朗討伐などで功を重ね、太建五年の北伐でも歴陽・合肥を平定した。

年表(5件)
  • 太平元年高州刺史となり巴山を鎮める
  • 永定三年周廸を援けて李孝欽・樊猛・余孝頃を捕らえ、平南将軍・開府儀同三司となる
  • 天嘉三年周廸の反乱平定に功を挙げる
  • 太建五年北伐で歴陽・合肥を攻略する
  • 太建七年豫州刺史・夀陽鎮となり薨じる

黄法氍

  • 黄法氍は字を仲昭といい、巴山新建の人である。若くして勁捷で胆力があり、日に二百里を歩き三丈を跳躍できたため、書疏にも通じ簿領にも明るく郷閭で憚られた。侯景の乱で郷里で徒衆を集め、太守賀詡が江州に下ると法氍が郡事を監督した。
  • 陳武帝が嶺を越え建鄴救援に赴く際、李遷仕が道中を妨げたため、武帝は周文育に西昌を守らせ、法氍も兵を出して文育を助けた。当時法氍は新淦県に駐屯し、景の行台于慶が新淦を襲うとこれを破った。梁元帝の承制により交州刺史・領新淦県令・巴山県子に封じられ、敬帝即位後、新建県侯に改封。太平元年、江西四郡を分けて高州が置かれると法氍が刺史となり巴山を鎮した。蕭勃・欧陽頠が攻めるとこれを破った。
  • 永定三年、王琳が李孝欽・樊猛・余孝頃を遣わして周廸を攻め法氍も奪おうとした際、法氍は廸を援け孝頃ら三将を捕らえ、功により平南将軍・開府儀同三司を授けられた。熊曇朗が金口で周文育を害すると法氍は周廸とともにこれを討伐平定した。天嘉三年、周廸の反乱では呉明徹とともにこれを平定、法氍の功が最も多かった。
  • 廃帝即位後、爵を公に進め、太建五年の大規模な北伐では都督として歴陽に出、抛車と歩艦を建てて竪拍で城を攻め、砲で楼堞を破ってこれを平定、戍卒を悉く討ち取り合肥に進むと望旗で降伏、法氍は略奪を禁じ自ら労わり撫でその上で北へ帰らせた。功により侍中を加えられ義陽郡公に改封。七年、豫州刺史・夀陽鎮となり薨じた。司空・諡威を贈られ、子の玩が嗣いだ。