南史卷六十三 列傳第五十三 羊鴉仁
羊鴉仁、字は孝穆、泰山鉅平の人。北魏から梁に帰順し都督北司州刺史等を歴任した武将。侯景の乱で東府城の戦いに敗れたのち、五兵尚書に任じられるも報国を果たせぬまま江陵へ逃れる途中、旧怨により殺害された。「心は鉄石の如し」と評された忠義の士。
羊鴉仁
- 羊鴉仁は字を孝穆といい、泰山鉅平の人。若くして驍勇、郡の主簿を務めた。普通年間、兄弟を率いて魏から梁に帰順し廣晉侯に封じられ、青斉方面の征伐でしばしば功をあげ、都督北司州刺史に至った。侯景が降伏すると、鴉仁は督土州刺史桓和・仁州刺史湛海珍らとともに縣瓠へ進んで景を迎え入れ、都督司豫二州刺史として縣瓠を鎮めた。侯景が渦陽で敗れ魏軍が迫ると、糧道の途絶を恐れて北司州へ退き、表を上げて事情を釈明したが帝は激怒。恐れた鴉仁は淮上に軍を留めた。
- 侯景が反すると鴉仁は本隊を率いて援軍に赴いた。太清二年、景が盟約を破ると鴉仁は趙伯超・南康王蕭會理とともに東府城で景と戦ったが敗れ、台城陥落後、景は鴉仁を五兵尚書に任じた。鴉仁は常に「凡流の身で朝廷の寵を受けながら報いることができず、このまま終われば恨みが残る」と親しい者に語り、涙を流した。三年、江西へ逃れ江陵に赴こうとしたが、東莞で旧北徐州刺史荀伯道の子・荀晷に殺された。臨終に「報効を全うできなかった」と泣いたという。のち鴉仁の兄の子・羊海珍がこの事を知り、荀晷とその伯父・祖父・生母の五つの遺骨を掘り出しそれぞれ半分を合わせ一つの棺に納めて焼き、残り半分は五つの袋に分け「荀晷祖父母某之骨」と銘打って報復とした。
- 鴉仁の子・羊亮は、侯景の乱後、王琳に従い名将の子として厚遇されたが、酒好きで無頼な人柄が災いし、酔って宦官に殺された。
史論
- 王神念・羊侃・羊鴉仁は北から南に帰し、いずれも寵任を受けた。侃と鴉仁は晩年に艱難に遭ったが、侃は危難に臨んで屈せず、鴉仁は義を守って命を落とし、古人のいう「心は鉄石の如し」とはまさにこの二人を指すというべきである。
- 王僧辯は風格秀でて文武の奇才を備え、酷烈な危難に遭いながらも辛くも首領を全うし、ついに大功を樹てた。人に仕える道はこの点で得ていたといえる。しかし時が国家喪乱に及び、地位が宰相にありながら内には猜疑する主君を抱え、外には君主を求めた結果、尊卑が入れ替わり親疎の序が乱れ、あたかも児戯や碁のように扱われ、これが敵に付け入る隙を与える端緒となった。国を喪い宗族を滅ぼし天下の笑いものとなった――これは陳の興隆を天が啓いたためであろうか、それともこの人物の誤りに過ぎぬのか。哀しいことである。