南史卷五十五 列傳第四十五 蔡道恭

蔡道恭、字懐儉、南陽冠軍の人(?–504年、司州籠城中に病没)。梁武帝挙兵を支えたのち司州刺史となり、魏軍の包囲下で百餘日にわたり籠城戦を指揮した忠烈の将。

年表(4件)

出自と司州刺史

  • 蔡道恭は字を懐儉といい、南陽冠軍の人。父の蔡那は宋の益州刺史。道恭は寛厚で度量大きく、齊で西中郎中兵參軍・輔國将軍。梁武帝挙兵に際し蕭穎胄が威略ある道恭に専任を委ねた。齊和帝即位後は右衞将軍、後に司州刺史となり、天監初め(502年)漢壽縣伯に封じられ平北将軍に進んだ。

司州籠城戦

  • 天監三年(504年)魏が司州を包囲、城中兵は五千に満たず、糧食は半年分のみ。魏軍は昼夜攻め、大車に土を積んで壕を埋めようとしたが、道恭は壕内に艨艟闘艦を構えて防ぎ、また魏軍の伏道による決壕を土豚で塞ぎ、百餘日相持して斬獲は数えきれなかった。魏の梯衝攻撃が急を告げると、道恭は四石烏漆大弓を用い、一発で二人を貫くほどの威力で敵を退けた。また城内に土山を築き二丈五尺の長槊で壮士に敵を刺させ、魏軍は畏怖して退却しかけた。
  • 道恭は病篤くなり、兄の子蔡僧勰・従弟蔡霊恩・諸将に「私の病は長くは持たぬ、汝らは死を以て節を守れ」と遺言し、節を僧勰に授けて「命を受け国境に出た以上、朝廷に還り仕えられぬなら、棺と共に携えたい」と言い、皆涙した。その年五月に卒すると、魏軍の攻勢は一段と急になり、朝廷が遣わした郢州刺史曹景宗は進まず、八月に糧尽きて司州は陥落した。道恭には鎮西将軍が贈られ、遺骸を購う使者が送られた。天監八年(509年)魏が喪柩を返還を許し、家族は女楽と交換して襄陽に葬った。爵位は孫の蔡固に伝わったが早卒し、国は除かれた。