南史卷四十三 列傳第三十三齊髙帝諸子下 桂陽王鑠
桂陽王鑠
- 字は宣朗、高帝の第八子。永明七年中書令散騎常侍を加えられた。当時鄱陽王鏘は文章を好み鑠は名理を好んだため人は「鄱桂」と称した。鑠は病弱で冷疾があり常に臥せ、武帝が見舞い牀帳衾褥を賜った。性は偏頗で興が乗れば詩酒を連日楽しんだが廃れると兄弟とも通じなかった。隆昌元年前將軍を加えられ油絡車と扶二人を給された。鄱陽王が害されると鑠は中軍將軍開府儀同三司に転じ、身の不安から東府に至り明帝に会い、出て存亡の計を処分するにあたり侍読山悰に「私が先日王(明帝)に会うと王は涙して鳴咽していた。鄱陽・隨郡が誅されて今日また王に会うと王は涙して恥じ入るような様子であった、次は私の番だろう」と語った。その夜三更、兵が至り殺害された。