南史卷二十二 列傳第十二 王承

経歴

  • 承、字は安期。初め祕書郎となり中書黄門侍郎・国子博士を兼ねた。当時、名門の子弟は文学を尚び経術を業とする者は少なかったが、承だけは儒業を好んだ。長史に遷り侍中を兼ね、まもなく国子祭酒に転じた。承の祖父儉・父暕がともにこの職にあり、三代にわたって国師となった例は前代になかった。しばらくして東陽太守に出され、寛恵の政を行い吏人に慕われた。郡で卒し諡は章。承は簡素で品格があり、当時権勢を振るった右衛の朱异が休暇の日には車馬が門に満ちたが、魏郡出身の申英という寒門の才俊がいて、危言高論をもって権貴に逆らうことを好み、异の門を指して「ここに集まる者は皆利のために来ているが、来ないのは大小の王東陽(王承)だけだ」と評した。小東陽とは承の弟の穉のことである。承兄弟と褚翔だけが异の門に近づかなかったと世に称された。