南齊書卷五十四 列傳第三十五 劉虯

『法華経』を講じた隠士

  • 劉虯、字は霊預、南陽湼陽の人で江陵に移住した旧族。学を好み節を抗し、禄を得ればすぐ隠れる性であった。劉宋泰始中(465-471年)、晋平王驃騎記室・当陽令を経て罷官後、穀を断ち术や胡麻を服した。
  • 建元初(479年)、荆州の豫章王の辟召や、同郡の宗測・庾易とともに礼を尽くした招請にも応ぜず、永明三年(485年)、刺史廬陵王子卿の推薦で劉虯・宗測・宗尚之・庾易・劉昭の5人に蒲車束帛の礼を加えるよう上表され、通直郎に徴されたが応じなかった。竟陵王子良の書に答え「四季病に伏し三時田を営み、山沢に余生を託し魚鳥に暮情を寄せる」と述べた。
  • 釈氏を篤く信じ麤布の衣で長斎し『法華経』に自ら注を付して講じた。江陵の西沙洲が人里離れているためそこに移った。建武二年(495年)、国子博士の徴にも応じなかった。その冬、病臥中に白雲が檐戸を漂い香気・磬声があり、その日、58歳で卒した。
  • 同宗の劉昭も州の祭酒従事の辟に応ぜず山中に隠居した。