南齊書卷五十四 列傳第三十五 臧榮緒

『晋書』百十巻を編む

  • 臧栄緒、東莞莒の人。祖父の臧奉先は建陵令、父の臧庸民は国子助教。幼くして孤児となり自ら灌園して祭祀に供した。母の喪の後「嫡寝論」を著し、堂宇を掃除して筵を設け、朔望に必ず拝し珍味を先に供えてから食した。
  • 東西の晋の史を集めて紀伝志を合わせ110巻の書に編纂した。京口に隠居して教授し、南徐州の辟召・秀才の挙にも応じなかった。太祖の揚州主簿の徴にも応じず、司徒褚淵が若い頃に自ら訪ねたこともあった。建元中(479-482年)、太祖に「栄緒は朱方の隠者。かつて臧質が国戚として彭岱の牧を出た際に招かれた行佐だが好まず、疾と称して免れ、蓬廬に志を守り漏湿にも安んじ蔬を植え老いた。友の関康之と典籍を深く究め、晋史十袠を著し、無逸の才はなくとも一代を彌綸するに足る」と啓した。太祖は「その史翰は天禄閣に入れたい」と答えた。
  • 五経を篤く敬愛し「昔呂尚が丹書を奉じ武王が斎を致し位を降った」故事を引き「拝五経序論」を著し、孔子の生誕日(庚子)に五経を陳べて拝し「被褐先生」と号した。飲酒による徳の乱れを常に戒めた。永明六年(488年)、74歳で卒した。
  • 関康之(字は伯愉、河東の人)とともに「二隠」と称された。丹徒に世居し墳籍に専念して40年、州府の辟にも応ぜず、劉宋泰始中(465-471年)の通直郎徴にも応じなかった。晩年、母の老いにより嶺南の小県を求め、清約に独居し、妻子とも稀にしか会わず、弟子には左氏春秋を伝えた。太祖(領軍時代)が春秋五経を送って点定させ、上表の礼記の条数を得て世祖は珍重し、遺詔で経本を玄宮に納めさせた。劉宋末に卒した。