南齊書卷十三 志第五 天文下

総説

史臣曰く、天文は内外両宮の象を備えるべきものであるが、災異の現れる場所は必ずしも全天をあまねく巡るわけではなく、五星の精光は日月と合わせて七曜となり、妖祥や暦数を司る点で他の列宿とは異なる。北辰が杠軸(天の枢軸)に位置して動かない一方、衆星は動流し、天体そのものに繋がる。五星の伏見・順逆は、日月とは異なる二義に関わる。徐顕思は「五星は星にあらず」と論じ、虞喜がこれを詳しく検討したとされる。

五星の相犯・列宿雑(太白・熒惑・歳星・辰星・填星)

  • 建元元年から隆昌元年にかけて、太白・熒惑・歳星・辰星・填星が軒轅・太微・南斗・東井・氐・房・畢・輿鬼・羽林など多数の星宿を犯し、あるいは互いに合宿した詳細な記録が続く。
  • 太白の昼見(経天)はしばしば記録され、永明十一年五月戊午には「名づけて経天と為す」と明記される。
  • 永明九年四月癸未には、太白が暦の予測より先んじて西方に見えたことが特記されている。

流星災

  • 建元元年から永元三年にかけて、大小・色・軌跡の異なる流星が多数記録され、色は白・赤・黄など様々で、飛行方向や消失の様子(「没後如連珠」「散如遺火」等)が詳述される。永明七年十月壬辰には音響を伴う流星が「天狗」と名付けられたと記される。
  • 永元三年、夜空が黄色く輝き瓮のような赤い物体が太湖に墜落し雷鳴のような音を立て、野雉が鳴いたため世人はこれを「木殃」と呼んだ。史臣は『春秋緯』『漢史』『天官』『洛書』『河図』などの説を引いて論じ、乱亡の運の兆かと結んでいる。

老人星

  • 建元元年から永明十一年にかけて、老人星が南方丙上に見えた記録が続く。建元元年八月には老人星を祠ったとの記録もある。

白虹・雲気

  • 建元四年・永明十年・十一年に白虹貫日、西方の白虹の出現が記録され、建元四年から永明十一年にかけて黒気・白気・陣雲・梗雲などの雲気の異変が多数記録されている。

陽の精(日)は火の鏡、陰の霊(月)は水に存する。禀(受くる)あり射(放つ)ありて代わる代わる明暗をなし、光を垂れて満ち、列景は渾天を周る。具位の星は臣輔を象り街門を備える。災いは霣薄(薄食)に生じ、祟りは飛奔(流星)に起こる。人は瑕疵を畏れることを忘れず、天道に任せるかを論ずれば竈もまた多言である。