明史卷二百六十三 列傳第一百五十一 龍文光

四川巡撫として成都に殉ずる

  • 龍文光は馬平の人。天啟二年(1622年)の進士。崇禎十七年(1644年)に川北参政から右僉都御史に抜擢され、陳士竒に代わって四川を巡撫した。命を聞くと總兵官の劉佳引とともに兵三千を率いて順慶から駆けつけたが、部署も定まらぬうちに数日で城が陥ちた。賊は文武の将吏および軍民の男女をことごとく東門の外へ追い立てて殺そうとしたが、たまたま龍の尾が垂れ下がるのが見え、賊は瑞兆だとして刑を止めた。文光と佳引はついに屈しなかった。賊は文光を濯錦橋で殺し、佳引は自ら浣花溪に身を投げた。