出自と初期の言論
- 楊恂、字は伯純、代の人。萬厯十一年(1583年)の進士。行人を授かり刑科給事中に抜擢された。錦衣の冗官が二千人にも達したので、大いに整理することを請うたが用いられなかった。累遷して戸科都給事中。
- 朝鮮の用兵で帑金をごまかし費やすことが甚だしかったので、恂は辺の臣を厳しく敕することを請い、武庫郎の劉黄裳の侵耗の罪を弾劾した。黄裳はついに罷められた。まもなく節財の四議を上げたが、はねられて行われなかった。
趙志臯・張位を論ずる
- 王錫爵が政を辞し、趙志臯が代わって首輔となった。御史の柳佐・章守誠がこれを弾劾し、志臯は罷免を乞うたが許されなかった。御史の冀體が志臯を去らせぬわけにはいかぬと極論した。帝は怒って答弁を責めたが、體は抗弁して屈しなかったので三秩を貶して外に出された。救いを論ずる者が多かったので、結局は庶民に斥けられた。
- 恂はまた志臯を論じ、あわせて張位にも及んだ。その要旨は次のとおり。
- 今、執政を議する者はみな「擬旨が失当だ」「貪鄙で為すところがない」と言う。それも憂うべきだが、それより大きな憂いがある。
- 許茂橓は閑職に罷められた錦衣であるが、金玉を厚く贈って奸を働いているところを人に取り押さえられた。大臣の清節が平素から人に信じられていれば、彼がどうしてこれほど無謀なことをしようか。ところが取り押さえた者が責められ、賄を行った者は問われぬ。天下を澄清しようとしてできようか。憂うべきことの一である。
- 楊應龍は険に拠って服さぬのに、執政はその重い餌を貪って通じている。近ごろ綦江で奸人を捕らえたところ、本兵および提督巡捕あての私書が見つかり、そのほかに四通の封書と黄金五百・白金千・虎豹の皮数十があったが、誰に贈るものかを言わなかった。臣が播の人に詳しく問うたところ、口ごもりながら「票擬を求めるためだ」と言った。そもそも票擬は輔臣の事である。それを小醜が利をもって動かせるのか。憂うべきことの二である。
- 推陞は吏部の職である。近ごろ「専擅」の説を創って聖聡を蠱惑し、陛下はその言を容れて吏部を疑われる。そこで内には上意に託し外には廷推に諉し、正推にせよ陪推にせよ意のままにし、両方とも意に当たらなければ駁して推し直させ、少しでも意に沿わねば譴謫を加える。もし「簡は帝心にあり政府の関与するところでない」と言うなら、用いられる者がみな同郷の姻戚か門下の親密な者であるのはなぜか。それでもなお吏部の専擅と言えようか。憂うべきことの三である。
- 言官は天子の耳目であり、糾し正し献納するのがその職である。近ごろ「朋党」の説を進めて聖怒を激し、陛下はその讒を納れて言官を憎まれる。そこで天威に託して胸臆を肆にし、建白のときにあからさまに斥けなければ、遷除の日にひそかに中傷する。もし「断は宸衷から出て挽救しようがない」と言うなら、斥けられる者がみな宿年の積怨か近日の深讐であるのはなぜか。それでもなお言官が党を結ぶと言えようか。憂うべきことの四である。
- 首輔の志臯は日が西山に薄るごとくで、もとより責めるに足りぬ。位は素より人望を負っていたのに為すところがこのありさまで、しかもその機械はことに深く、朋邪は日に多い。将来の禍はさらに言いがたいものがある。志臯を罷め、位を防ぎ、陳于陛・沈一貫を厳しく飭して二人の所業に倣わせぬようにされたい。
- 疏が入って旨に忤い、一級を削って外に出すよう命ぜられた。志臯・位が疏で弁じ、かつ恂を宥すことを乞い、于陛・一貫も救いを論じたので、原品のまま陝西按察経歴に調された。病と称して帰った。久しくして吏部尚書の蔡國珍が詔を奉じて廃せられた者を起用したが、恂は召される前に卒した。
冀體・朱爵
- 冀體は武安の人。廃せられてのち、たびたび薦められたが起たず、家で卒した。
- 当時、志臯を論じて譴を受けた者にはまた朱爵がいる。開州の人。茌平知縣から吏科給事中に召された。かつて時政の欠失を論じ、志臯・位が閣を寝させ壅蔽している罪を疏したが報ぜられなかった。まもなく三王並封を切諫し、あわせて朱維京・王如堅らを救い、さらに志臯・位が同年の羅萬化を吏部に据えたことを私すると弾劾した。坐して山西按察知事に謫され、家で卒した。天啓中に太僕少卿を贈られた。