明史卷二百八 列傳第九十六 韋商臣

大禮の獄囚の赦免を請う

  • 韋商臣は字を希尹といい、長興の人。嘉靖二年(1523年)の進士となり、大理評事に任じられた。
  • 翌年(1524年)冬、大禮がひとまず定まって廷臣で吏に下され貶謫される者が絶えなかったので、上疏して言った。臣の官は獄を公平にするのを職としている。任について以来見るところ、群臣で禮を議して旨に逆らった者のうち、左遷は吏部侍郎の何孟春一人、戍に謫されたのは學士の豐熙ら八人、杖で打ち殺されたのは編修の王思ら十七人、中使に逆らって逮捕・尋問されたのは副使の劉秉鑑、布政の馬卿、知府の羅玉・査仲道ら十人、儀を失して繋がれたのは御史の葉竒、主事の蔡乾ら五人、京朝官で属官に暴かれ奏されて下獄したのは少卿の樂頀、御史の任洛ら四人である。
  • これはみな不公平のはなはだしいもので、上は天象を犯し下は衆心を驚かせる。臣はいずれも赦されるべきだと考える。まして近ごろ水害・旱魃・疫癘、星の隕落、地震、山崩れ、泉の湧出、風雹、蝗の害が天下にほぼ遍く、識者で寒心せぬ者はない。いまのうちに諸々の獄を見直し、戍に流された者を官に復し、死んだ者の子孫を録用し、逮捕・拘留された者を釈放し、密告した者の罪を正すことも、災いを消し禍を祓う一つの道である、と。
  • 帝は名を売り正直を売り物にしていると責め、清江丞に落とした。

地方官としての務めと晩年

  • 徳安推官に移され、河南僉事に遷った。永寧の大盗を討ち平らげ、功によって賞を受けた。
  • 伊王がその妃を虐殺したとき、商臣は法のとおりに論断した。
  • かつて郷里にいた給事中の杜桐の殺人の罪を裁いたことがあり、桐は吏部尚書の汪鋐に讒言を構えた。四川參議に遷ったばかりのところで、考察によって職を落とされて帰郷した。
  • 言官の薛宗鎧・戚賢・戴銑らが章を重ねて救ったが容れられなかった。
  • 郷里に数十年住んで卒した。