明史卷二百八 列傳第九十六 袁宗儒
袁宗儒
- 袁宗儒は字を醇夫といい、雄縣の人。正徳三年(1508年)の進士となり、御史に任じられた。
- 十二年(1517年)冬、帝が大同にあり、郊祀のために還幸するとしていたのに、その後取りやめとなった。宗儒は同僚を率いて力諫した。
- 翌年(1518年)夏、孝貞純皇后の葬送に当たり帝が京に戻ると、宗儒らは重ねて災異を引いて皇店を廃止し辺兵を帰すよう強く請うた。さらに帝の巡辺を諫め、言葉はきわめて切迫していたが、いずれも返答はなかった。
- 大理寺丞に抜擢された。嘉靖三年(1524年)に大禮を争って廷杖を受けた。
- 右僉都御史・巡撫貴州を歴任した。吏部尚書の桂蕚が宗儒の転任を議したため、職を解かれて帰郷した。
- ほどなく鄖陽で起用され、山東に転じたが、属吏が飢饉の救済に手立てがなかったのを察知できなかった責で罷免された。
- 推薦によって左副都御史として起用され、承天への行幸に扈従して京に還り、卒した。