明史卷一百八十 列傳第六十八 李俊

弊政六事の上疏

  • 李俊は字を子英といい、岐山の人。成化五年(1469年)の進士で、吏科給事中に除せられ、たびたび遷って都給事中となった。
  • 成化十五年(1479年)、帝が李孜省を太常寺丞としたとき、李俊は同官とともに「李孜省はもと贓吏であり、清班を汚して郊廟百神の祀を奉ずべきでない」と言った。御史からも同じ意見があったので、上林監副に改められた。
  • 当時、汪直が権を盗み、馬文升と牟俸を陥れて戍らせた。帝は言官が糾弾しなかったことを責め、李俊および同官二十七人、御史の王濬ら二十九人を杖打った。
  • このころ帝は宴楽に耽り、群小が政を乱し、たびたび災譴を招いた。成化二十一年(1485年)正月朔の申の刻、星が西に流れて白気となり、音は雷のようであった。帝はかなり懼れ、詔して直言を求めた。李俊は六科の諸臣を率いて上疏した。
  • 今の弊政で最も大きく急を要するものは、近幸が紀を犯していること、大臣が職を果たさぬこと、爵賞が濫りに過ぎること、工役が煩わしすぎること、進献に飽くことがないこと、流亡がまだ復業していないことである。天変の来るのはおおむねこれによる。
  • そもそも内侍の設置には国初みな定制があった。今は一つの監に一、二十人が群がり、一つの事に五、六、七人が参与し、あるいは藩郡に分布して王者の奉養を享け、あるいは辺疆を総領して大将の権をほしいままにし、あるいは左右に依って邪佞を引き入れ、あるいは中外に通じて奇巧を献ずる。銭穀を司れば法外に財を取り、方物を貢げば多端に賄賂を責める。兵と民は困り果て、官吏は災いを蒙り、人を殺した者が赦され、事を仕損じた者が罪を逃れる。梁芳・韋興・陳喜の輩は枚挙にいとまがない。どうか陛下は大いに剛断を振るい、紀を犯すことのないようにされたい。外へ使いに出ている者はすべて召し還し、内で用事する者は厳しく省き汰めれば、近幸は慎み天意は回る。
  • 今の大臣は、進む前は内臣に伝手を求めなければ進めず、進んだ後は内臣に依らなければ安んじられない。こちらは財で官を買い、あちらは官を財で売る。四方から漁り取って権貴へ転送するのも無理はない。尚書の殷謙・張鵬・李本、侍郎の艾福・杜銘・劉俊はみな老いてしかも懦弱、尚書の張鎣・張瑄、侍郎の尹直、大理卿の田景暘はみな清議に適わない。どうか大いに黜罰を加え姑息にされぬよう。そうすれば大臣は警め天意は回る。
  • そもそも爵は徳ある者に与え、賞は功ある者に与えるものである。今は理由もなく凡庸な者に爵を与え、功もなく貴幸の者に賞を与えている。雨雪を祈った者が美官を得、金宝を進めた者が厚利を射る。方士は煉服の書を献じ、伶人は曼延の戯を奏し、掾史や胥徒までが官禄を貪り、俳優や僧道までが官位を汚す。一年に伝奉で官を得る者が千人に上ることもあり、数年で数千人になる。数千人の禄は年に数十万を数える。これはみな国の命脈、民の脂膏であり、賢士を養い饑民を活かすことができるものである。まことに惜しい。方士・道流では左通政の李孜省、太常少卿の鄧常恩の輩がとくに誕妄で、これが天変を招く最たるものである。どうか伝奉の官をすべて罷めて朝列を汚さぬようにされたい。そうすれば爵賞は濫りにならず天意は回る。
  • 今、都城の仏寺は工事が絶えることなく、京営の軍士は力を残していない。国師の繼曉のごときは術を借りて私を済まし、糜費はとくに甚だしく、中外は切歯している。どうか陛下は内に資財を惜しみ外に人力を惜しみ、急がぬ役は暫し停止されたい。そうすれば工役は煩わしくなくなり天意は回る。
  • 近ごろ利を図る徒はおおむね進奉に事寄せて国財を耗している。一方の書を録し、一つの玩器を買い、一つの画図を購い、一つの簪珥を作る。費えは多くないのに得る利は十倍である。どうか陛下はこの弊を洞察し、府庫の財を留めて軍国の備えとされたい。そうすれば進献は止み天意は回る。
  • 陝西・河南・山西は赤地千里、屍骸が重なり、流亡は日に増え、盗賊の憂いがある。どうか天心の仁愛を体し、生民の困窮を憫れみ、貴幸の塩課を追徴し、暫し寺を造る資財を借りて饑民に振り向け、かろうじて生き延びさせられたい。そうすれば流亡は復業し天意は回る。
  • そもそも天下は人の身に譬えられる。人主は元首、大臣は股肱、諫官は耳目、京師は腹心、藩郡は軀幹である。大臣が職を果たさねば股肱は痺れ、諫官が黙せば耳目は塞がり、京師が慎まねば腹心が病み、藩郡が災荒に遭えば軀幹は削られる。元首がどうして安然としていられよう。
  • 伏して望むらくは、陛下は言を聴けば必ず行い、天に事えるに実をもってし、群小を斥け賢臣に親しみ、治道の得失を諮り前代の興亡を究め、聖賢の経をもって方書に代え、文学の臣をもって方士に代えられたい。そうすれば正しい議論が聖学を広め、優れた論が天変を究めるに足る者が必ず出る。手足は便利、耳目は聡明、腹心は安泰、軀幹は強健となり、元首はここに大いに明らかとなる、と。
  • 帝は優詔をもって答え、李孜省を上林丞に、鄧常恩を本寺丞に降し、繼曉の国師を革めて民とし、巡按御史にその誥敕を追徴させた。制が下ると朝廷こぞって大いに喜んだ。
  • 五月、李俊は湖広布政司参議として出た。𢎞治年間、たびたび官を経て山西参政となり、卒した。