明史卷一百五十 列傳第三十八 劉辰

出自と国初の事績

  • 劉辰は字を伯静といい、金華の人。
  • 国初、署典籤として方國珍のもとに使いした。方國珍が二人の姫を飾り立てて差し出したが、叱って退けた。
  • 李文忠が嚴州に駐屯したとき、幕下に招かれた。元帥葛俊が廣信を守り、真冬に民を徴発して城の濠をさらわせたので、李文忠が止めたが聴かなかった。李文忠が怒って兵をもって臨もうとしたところ、劉辰が行って諭したいと願い出た。葛俊は悔いて謝り、事はそれで済んだ。
  • 親が老いていることを理由に辞して帰った。

鎮江知府としての水利

  • 建文年間、推薦により監察御史に抜擢され、出て鎮江知府となった。職事に勤勉であった。
  • 江に臨む田八十余頃が久しく水没していたのに賦は元のままであったが、劉辰の建言により免除された。
  • 京口の閘が廃れて漕運の者は新河を通って江に出ていたが、舟がしばしば壊れた。劉辰が旧来の閘を修理したので、公私ともに便利になった。
  • 漕河は涸れやすく、練湖に頼って水を足していたが、三つの水門が久しく廃れていた。劉辰がこれを修築したので、運送船が通じ、湖の下手の田もいっそう実るようになった。

永樂朝と晩年

  • 永樂の初め、李景隆が「劉辰は国初のことを知っている」と述べたので召され、『太祖實録』の編修に加わった。
  • 江西布政司參政に移り、九郡の荒田の糧を免除するよう奏した。凶作の年には富民に飢えた者へ貸し与えるよう勧め、その徭役を免じて利息の代わりとし、官が証文を立てて一年後に償わせた。
  • 劉辰は官にあって清廉勤勉であったが、気を尚び、都司・按察使と折り合わず、しばしば争ったため罷免された。
  • 永樂十四年(1416年)、起用されて行部左侍郎となり、さらに南京に留まること三年。帝はその老いを思いやり、敕と鈔幣を賜って致仕させたが、帰る途中で没した。年七十八。