王璡
- 王璡は字を器之、日照の人。経史に博く通じ、とくに春秋に長じた。はじめ教授となったが事に坐して遠方に流された。洪武の末に賢能として推薦され、寧波知府に任じられた。
- 夜は四更に灯を執って読書し、その声は役所の外まで届いた。時に學に赴いて諸生に課したので、諸生もみな四更に起きて誦習し、怠る者はなかった。
- 領内の淫祠を毀ち、三皇祠もその中に含まれた。疑問を呈する者に璡は言った。「祀るべきでないのに祀るのを淫といい、祀る資格がないのに祀るのを潰という。三皇を祭れるのは天子だけで、士庶人にはかかわりがない。毀つのに何の疑いがあろう」と。
- 身の暮らしは倹約で、ある日、膳に魚の羮が出た。璡は妻に「お前は私が草の根を食べていたころを覚えていないのか」と言い、下げさせて埋めさせた。人は「埋羮太守」と呼んだ。
- 燕師が長江に臨むと、璡は舟艦を造って勤王を図ったが、衛の兵に縛られて京に送られた。成祖が舟を造って何をするつもりだったかと問うと、「舟を浮かべて瓜洲に趨り、軍が南に渡るのを阻もうとしました」と答えた。帝も罪せず、郷里に放し、天寿を全うした。