明史卷一百四十三 列傳第三十一 廖昇

廖昇

  • 廖昇は襄陽の人。出仕の経緯は分からない。学識と徳行でもっとも知られ、方孝孺・王紳と親しかった。洪武の末に左府斷事から太常少卿に抜擢された。
  • 建文の初め、太祖實録の編纂で、董倫・王景が總裁官、昇と髙遜志が副總裁官、李貫・王紳・胡子昭・楊士竒・羅恢・程本立が纂修官となった。いずれも当代の選りすぐりであった。
  • 燕師が長江を渡り、朝廷が使者を遣わして割地を請うたが容れられなかった。昇はこれを聞いて慟哭し、家人に別れを告げて首を吊って死んだ。殉難した諸臣のなかで昇の死がもっとも早い。
  • のち陳瑛が、諸臣は天命に逆らって建文君のために死んだと奏し、追って戮することを請うたが、そのときもまず昇が挙げられたという。

魏冕・鄒瑾・鄒□

  • 当時、陳瑛に追論された者に魏冕らがいる。冕は御史の官にあった。燕兵が闕に迫ったとき、都督の徐増夀が殿廷をうろついて異心を抱いていた。冕は同僚を率いてこれを殴り、大理丞の鄒瑾とともに速やかに誅すべしと大声で請うた。
  • 翌日、宮中から火が上がった。冕に降伏を勧める者があったが、厲しい声で叱りつけ、そのまま自殺した。瑾も死んだ。瑾も冕も永豐の人である。
  • 同郷の鄒□は秦府長史の官にあり、瑾の死を聞いて憤慨し、食を絶って死んだ。一説にこの人物は瑾の子だという。

龔泰

  • 都給事中の龔泰は義烏の人。郷試の推薦で身を起こした。燕王が金川門から入ったとき泰は縛られたが、奸党ではないとして釈され、殺されなかった。しかし自ら城下に身を投げて死んだ。
  • 泰がかつて學宮に遊学したとき、狂人に突き落とされて池に落ち、危うく死にかけたが、とがめ立てしなかった。人々はその度量に感服した。