明史卷一百四十二 列傳第三十 馬宣

馬宣・曽濬

  • 馬宣も出身が分からない。都指揮使の官にあった。宋忠が居庸へ向かったとき、宣も薊州から軍を率いて北平へ赴いたが、変を聞いて引き返した。
  • 燕王は懐來を落とすと軍を返して南下しようとしたが、張玉が「薊州は外で大寧に接し騎士が多い。取らねば後患となりましょう」と進言した。
  • 折しも宣は兵を出して北平を攻めようとし、公樂驛で燕兵と戦って敗れ帰り、瑱撫・曽濬とともに城を守った。玉らが攻めると宣は出撃して捕らえられ、罵り続けて濬とともに死んだ。

卜萬

  • 燕兵が大寧を襲ったとき、守將の都指揮卜萬は都督の劉真・陳亨とともに兵を率いて松亭關を扼していた。亨は燕に降ろうとしたが萬を恐れて動けなかった。
  • 燕は反間の計を行い、萬に宛てた手紙を作って萬を大いに称え亨をひどく謗る内容とし、捕らえた大寧の兵士に厚く賞を与えて手紙を衣の中に縫い込ませ、密かに萬に届けるよう命じた。そのうえで、同じく捕らえた別の兵士にもそれを見せておきながら賞を与えずに放した。賞をもらえなかった者がこの件を暴露した。
  • 真と亨が兵士の衣を探って手紙を得、萬を捕らえて獄に下し、萬は死に、家は没収された。萬は忠勇でありながら反間によって死んだので、論者はこれを惜しんだ。

朱鑑・石撰

  • 大寧が陥落したとき、指揮使の朱鑑は力戦して屈せずに死んだ。
  • 寧府左長史の石撰は平定の人。学識と徳行で知られた。燕王が挙兵すると撰はすぐに守禦の計を立て、つねに臣たる節を寧王に諷諫したので、王も内心敬っていた。城が陥ちると憤って罵り、屈せずに手足を裂かれて死んだ。