明史卷一百四十一 列傳第二十九 茅大芳
秦府長史から副都御史へ
- 茅大芳は名を誧といい、字で通っている。泰興の人。博学で詩文をよくした。
- 洪武年間に淮南の學官となり、召し出されての応対が旨にかなって秦府長史に抜擢された。任命の制詞に董仲舒が引かれていたので、大芳はいっそう奮い立ち、心を尽くして輔導し、その堂に「希董」と額を掲げた。方孝孺がその記を作った。
- 建文元年(1399年)、副都御史に遷った。燕の軍が起こると、淮南の守将である梅殷に詩を贈った。辞意が激烈で、聞く者は壮とした。
周璿(茅大芳に附す)
- 周璿は洪武の末に天策衞知事から建言によって左僉都御史に抜擢された。燕王が帝を称すると、大芳とともに捕らえられ、屈せず死んだ。
- 大芳の子の順童・道壽もともに誅に処せられ、二人の孫は獄中で死んだ。