明史卷一百三十八 列傳第二十六 薛祥

漕運と淮安の治績

  • 薛祥は字を彦祥といい、無為の人。俞通海に従って帰順し、渡江して水寨の管軍鎮撫となり、たびたび従軍して功があった。
  • 洪武元年(1368年)、河南への漕運に転じた。夜半に蔡河に至ったとき賊が急襲したが、祥は動じず、穏やかに言い諭して解散させた。帝はこれを聞いて大いに喜び、用兵中で兵糧の供給が困難であることから、特に京畿都轉運使に任じ、淮安に分司させた。
  • 河を浚え堤を築き、揚州から済まで数百里に及んだが、徭役は均平で民に怨む者がなかった。功のあった者は直ちに奏上して官を授けた。
  • 元の都の官民が南遷して淮安を通ったとき、祥は手を尽くして救恤した。山陽・海州の民が乱を起こし、駙馬都尉の黄琛が捕らえて処断した際、巻き添えの者がきわめて多かったが、祥は取り調べて証のない者をことごとく赦した。
  • 淮安を治めること八年、民は互いに勧めて善をなした。考満で京に還るとき、皆が香を焚いて再来を祈り、像を作って祀る者もあった。

工部尚書として工匠を救う

  • 洪武八年(1375年)、工部尚書に任じられた。当時、鳳陽の宮殿を造営していたが、帝が殿中に座っていると、殿の棟で兵を持って闘う者があるかのようであった。太師の李善長は、工匠が厭鎮の法を用いたのだと奏した。
  • 帝がこれを皆殺しにしようとすると、祥は交替で工事に出ていない者を区別し、鉄工・石工とともに巻き込まれないようにした。助かった者は千数に及んだ。
  • 謹身殿の造営で、担当官が中等の工匠を上等として届け出た。帝はその欺きに怒って棄市を命じたが、祥はそばで諫めて「奏対が事実に反したというだけで人を殺すのは、法にかなわぬのではないか」と争った。腐刑に処せとの旨が下ると、祥はさらに静かに「腐刑では人を廃してしまう。杖で打って工事に使うにしかず」と奏し、帝はこれを許した。
  • 翌年、天下の行省を承宣布政司に改めるにあたり、北平は要地であるとして特に祥を任じ、三年で治績は第一と称された。
  • 胡惟庸に憎まれ、営建で民を煩わせたと咎められて嘉興知府に貶された。惟庸が誅されると再び工部尚書に召された。帝が「讒臣がおまえを害したのに、なぜ言わなかったのか」と問うと、「臣は存じませんでした」と答えた。翌年、累に坐して杖のもとに死んだ。天下の人が哀しんだ。

薛祥の子孫――薛遠

  • 子四人は瓊州に謫せられ、そのまま瓊山の人となった。
  • 孫の薛遠は正統七年(1442年)の進士。景泰年間に戸部郎中となり、天順元年(1457年)に同部右侍郎に抜擢され、工部に改められた。
  • 詔を奉じて開封の決壊した河を塞ぎ、還って再び戸部に改められた。成化の初めに両廣の軍餉を監督し、位は南京兵部尚書に至ったが、汪直に逆らって免官となった。

秦逵(薛祥に附す)

  • 薛祥に続いて工部尚書となった者のうち名の知られたのが秦逵らである。逵は字を文用といい、宣城の人。洪武十八年(1385年)の進士。
  • 都察院で実務を経験し、檄を受けて囚徒を整理し、寛厳よろしきを得た。帝はその能を嘉して工部侍郎に抜擢した。当時は営繕の事が繁多で部に尚書が欠けており、造営の事はすべて逵が統べた。
  • 当初、四方の工匠を登録してその丁の力を検め、三年を一班として交代で京に赴かせ三か月で交代する制――輪班匠――を議していたが、まだ実施されていなかった。
  • ここに至って逵は、土地の遠近によって班次を定め、名簿を作って勘合を交付し、期日に携えて部に至らせ、その家の徭役を免ずるよう建議し、令として定められた。帝は逵の勤勉を常々思い、有司に命じてその家の徭役を免除した。
  • 洪武二十二年(1389年)に尚書に進み、翌年に兵部へ改められ、まもなく再び工部に改められた。
  • 帝は、学校は国家の人材の備えであるのに士子の衣冠が胥吏と変わらぬのは改めるべきだとして、逵に様式を作って進めるよう命じた。三度改めてようやく定まり、監生に藍衫と縧をそれぞれ一つずつ賜って天下の先例とした。明代の士子の衣冠は逵に始まるという。

趙翥・趙俊(薛祥に附す)

  • 趙翥という者は永寧の人。志節があり、学行で知られた。訓導から賢良に挙げられ、贊善大夫に抜擢され、工部尚書を拝した。天下の年ごとの軍器製造の数を定めることを奏請し、また藩王の宮城の制度を議定した。
  • 趙俊という者は出自が明らかでない。工部侍郎から尚書に進んだ。帝が、國子監所蔵の書板が年を経て損壊しているとして、諸儒に考証補訂させ、工部に工匠を監督して修治させると、俊は詔を奉じて監理し、古籍がはじめて備わった。
  • 洪武十二年(1379年)、翥は刑部の署に改められ、まもなく致仕して去った。俊は洪武十七年(1384年)に免ぜられ、逵は洪武二十五年(1392年)九月に事に坐して自殺した。