明史卷一百九 表第十 宰輔年表一

表の序――中書省の廃止から内閣の成立へ

  • 明の太祖は天下を統一した当初、元の制度をそのまま用いて中書省を置き、政務全般を統括させた。その官には丞相・平章・左右丞・㕘政があり、吏・戸・禮・兵・刑・工の六尚書が実務の官にあたった。
  • これを一紀(十二年)行ったのち中書省を廃し、その政務を六部に帰した。そこで四輔官を設け、また宋の制度にならって殿閣大學士を置いた。ただしその官職はそろっておらず、任にあたった人物にも見るべき事績がなく、政を調え治める働きは伝わっていない。政治の根本にどれほど関わったといえようか。前代の宰執とは大きく様相を異にする。
  • 成祖は翰林の官を選んで文淵閣に宿直させ、機密の政務に参与させた。順次昇進して大學士に至る者も出た。しかしこの時期、上奏文は天子の前に直接届き、決裁の多くは天子自身の判断によっていて、儒臣は宿直して顧問に応じる立場にとどまっていた。
  • 仁宗より後になると、諸大學士は次々に尚書や保傅へと進んで品位が高く尊いものとなり、天子の身近に位置するようになった。詔勅の文言や上奏への裁可、政務の裁決はことごとく票擬(内閣の草案)を経るようになり、内閣の権限の重さは漢・唐の宰輔そのままで、ただ丞相という名を帯びていないだけであった。
  • 諸輔の中でも首揆(首席の大學士)がとりわけ重んじられた。
  • 政治の得失、人材の登用と罷免、治乱興衰は宰臣にかかっている。その賢愚・忠佞・清廉と貪欲は白と黒のように判然としており、百世を経ても覆い隠せるものではない。
  • 個々の事績は本紀・列伝に見えるが、任免の年月までは尽くしがたい。そこでこの表に詳しく並べた。
  • 昔の言葉に「宰相が賢いかどうかを知りたければ、天下が治まっているか乱れているかを見よ」とある。この表を見る者は、それを確かめることができよう。

表の本体

  • 底本の表は欄内が翻刻されておらず、丁付けだけが並んでいる。掲げられているのは「紀年」「宰輔拜免」という欄の見出しのみで、各年の宰輔の任免の記載は読み取れない。推定で表を復元することはしない。