明史卷七十五 志第五十一 職官四

この巻の目次

  • 南京宗人府、吏部、戸部(總督糧儲を附す)、禮部、兵部、刑部、工部、都察院(提督操江を附す)、通政司、大理寺、詹事府、翰林院、國子監、太常寺、光禄寺、太僕寺、鴻臚寺、尚寶司、六科、行人司、欽天監、太醫院、五城兵馬司、應天府(上元・江寧の二縣を附す。以上が南京官)。
  • 王府長史司、布政司、按察司、各道、行太僕寺、苑馬寺、都轉運鹽使司、鹽課提舉司、市舶提舉司、茶馬司、府、州、縣、儒學、巡檢司、驛、税課司、倉庫、織染局、河泊所(閘壩官を附す)、批騐所、遞運所、鐡冶所、醫學、陰陽學、僧綱司、道紀司。

南京宗人府

  • 經厯司に經厯一人。南京の官の品秩はいずれも北京と同じである。

南京吏部

  • 尚書一人、右侍郎一人。割注に、六部の侍郎は𢎞治より後にはじめて右のみを専設し、萬厯三年(1575年)にいずれも廃止、十一年(1583年)に復置、天啓年間に部ごとに侍郎一人を増置し、崇禎年間に廃止したという。
  • 属官として司務㕔に司務一人。文選・考功・驗封・稽勲の四清吏司にそれぞれ郎中一人・主事一人(驗封・稽勲の二司の主事は後に廃止)。
  • 南京の官の六年ごとの考察は考功司が管掌し、北京の吏部を経由しない。

南京戸部

  • 尚書一人、右侍郎一人、司務一人、照磨一人。十三清吏司に郎中十三人、員外郎一人。
  • 員外郎の割注――浙江・江西・湖廣・廣東・廣西・福建・山西・陜西・雲南の九司に各一人。嘉靖三十七年(1558年)に山西・陜西二司の員外郎各一人を廃止、隆慶年間にさらに廣西・雲南二司の員外郎各一人を廃止した。
  • 主事十七人(山西・廣東・廣西・雲南の四司に各二人。隆慶三年〔1569年〕に廣東司主事一人を廃止)。
  • 管轄下に寶鈔提舉司提舉一人。廣積庫・承運庫・贓罰庫・甲乙丙丁戊の五字庫・寶鈔廣恵庫・軍儲倉に各大使一人。長安門倉・東安門倉・西安門倉・北安門倉に各副使一人。龍江鹽倉檢校・批騐所に各大使一人。隆慶三年に寶鈔司提舉と軍儲倉大使を廃止した。
  • 總督糧儲一人。嘉靖以前は都御史を特設していたが、二十六年(1547年)に廃止し、戸部右侍郎に都御史の銜を加えてこれを領させた。

南京禮部

  • 尚書一人、右侍郎一人、司務一人。儀制・祠祭・主客・精膳の四司に各郎中一人、儀制・祠祭の二司に各主事一人。
  • 管轄下に鑄印局副使一人、教坊司右韶舞一人、左右司樂各一人。

南京兵部

  • 尚書で㕘贊機務を兼ねる者一人、右侍郎一人、司務一人。武選・職方・車駕・武庫の四司に郎中四人、員外郎二人(武選・武庫には員外郎を置かない)、主事五人(車駕の主事は二人)。
  • 管轄下に典牧所提領一人(正八品)、㑹同館・大勝闗に各大使一人。
  • 㕘贊機務は宣徳八年(1433年)の黄福に始まる。成化二十三年(1487年)から敕諭により本部尚書だけが㕘贊機務にあたることとし、内外の守偹官とともに軍を操練し馬を調え、人民を撫恤し、盗賊を取り締まり、諸般の政務を振興させた。そのため職掌の重みは他の五部に比べて格別だったという。

南京刑部

  • 尚書一人、右侍郎一人、司務・照磨各一人。十三司に郎中十三人、員外郎五人(浙江・江西・河南・陜西・廣東の五司にのみ置く)、主事十四人(廣東司は二人)。
  • 南京の諸司および公・侯・伯の五府、京衛所の刑名の事を分掌する。司獄二人。

南京工部

  • 尚書一人、右侍郎一人、司務一人。營繕・虞衡・都水・屯田の四司に郎中四人、員外郎二人(營繕司一人・都水司一人。嘉靖三十七年に都水の員外郎を廃止)、主事八人(營繕司三人、屯田司一人、他は各二人)。
  • 管轄下に營繕司所の所正・所副・所丞各一人。龍江・清江の二提舉司に各提舉一人(副提舉は後に廃止)。文思院・寶源局・軍器局・織染所・龍江抽分竹木局・瓦屑壩抽分竹木局に各大使一人(嘉靖三十七年に文思院大使を廃止)。

南京都察院

  • 左都御史一人、右副都御史一人、右僉都御史一人。司務・經厯・都事・照磨各一人、司獄二人(嘉靖三十七年に司獄一人を廃止、隆慶四年〔1570年〕に都事を廃止)。
  • 浙江・江西・河南・山東・山西・陜西・四川・雲南・貴州の九道に各御史一人。福建・湖廣・廣東・廣西の四道に各御史三人(嘉靖より後は全員は置かず、常に一人が数道を兼ねた)。
  • 刷卷・巡倉・巡江・巡城・屯田・印馬・巡視糧儲・監収糧斛・㸃閘軍士・管理京營・比騐軍器は、いずれも序列に従って差遣する。軍籍の整理は兵部・兵科と、後湖の黄册の照合は戸部・戸科と共同で行う。
  • 提督操江一人。副都御史または僉都御史をこれに充て、上流下流の江防の事を領する。

南京通政使司

  • 通政使一人、右通政一人、右㕘議一人。呈狀を受け取って刑部に回し審理させることを掌る。經厯一人。

南京大理寺

  • 卿一人、右寺丞一人、司務一人、左右の寺正各一人、左右の評事各三人(隆慶三年に左右の評事各一人を廃止)。

南京詹事府・翰林院

  • 詹事府は主簿一人。
  • 翰林院は學士一人(常置ではなく、翰林の坊局官が職を署理する)、孔目一人。

南京國子監

  • 祭酒一人、司業一人、監丞一人、典簿一人、博士三人、助教六人、學正五人、學録二人、典藉一人、掌饌一人。
  • 嘉靖三十七年に助教二人と掌饌を廃止し、隆慶四年に博士一人・學正一人を廃止した。

南京太常寺

  • 卿一人、少卿一人、典簿一人、博士一人、協律郎二人、贊禮郎七人(嘉靖年間に贊禮郎一人を廃止)、司樂二人。各祠祭署に奉祀あわせて八人、祀丞七人。
  • 割注――天地壇は奉祀一人・祀丞一人、山川壇と耤田は奉祀一人、祖陵は奉祀・祀丞各一人、皇陵は奉祀・祀丞各二人、孝陵・揚王墳・徐王墳は各奉祀一人・祀丞一人。嘉靖より後、天地壇・祖陵・揚王墳の三祠祭署の祀丞を廃止した。

南京光禄寺

  • 卿一人、少卿一人(隆慶四年に少卿を廃止)、典簿一人。大官・珍羞・良醖・掌醢の四署に各署正一人・署丞一人(嘉靖年間に良醖・掌醢二署の署丞を廃止、萬厯年間に珍羞署の署丞を廃止)。

南京太僕寺・鴻臚寺・尚寶司

  • 太僕寺は卿一人、少卿二人、寺丞二人(隆慶年間に少卿一人・寺丞一人を廃止)、主簿一人。
  • 鴻臚寺は卿一人、主簿一人。司儀・司賓の二署に各署丞一人。鳴贊四人、序班九人。
  • 尚寶司は卿一人。

南京六科・行人司

  • 吏・戸・禮・兵・刑・工の六科に給事中六人。ほかに戸科給事中一人を置き、後湖の黄册を管理させる。
  • 行人司は左司副一人。

南京欽天監・太醫院

  • 欽天監は監正一人、監副一人、主簿一人、五官正一人、五官靈臺郎二人、五官監候一人、五官司厯一人。
  • 太醫院は院判一人、吏目一人。恵民藥局・生藥庫に各大使一人。

南京五城兵馬司・應天府

  • 五城兵馬司は指揮各一人、副指揮各三人、吏目各一人(萬厯年間に副指揮を城ごとに二人ずつ廃止)。
  • 應天府は府尹一人、府丞一人、治中一人、通判二人、推官一人、經厯・知事・照磨・檢校各一人、儒學教授一人、訓導六人(底本は「教授一人人訓導六人」と「人」を重ねる)。
  • 管轄下の上元・江寕の二縣に各知縣一人、縣丞一人、主簿二人、典史一人、司獄一人。織染局大使一人・左右副使各一人。都税司と宣課司(龍江・江東・聚寳門・太平門の四か所)、税課局(龍江・龍潭の二か所)に各大使一人、副使は一人または二人。龍江遞運所に大使・副使各一人、批騐所に大使一人、河泊所に官一人、龍江闗・石灰山闗に各大使一人・副使四人。
  • 洪武三年(1370年)に應天府の知府を府尹と改め、秩を正三品として銀印を賜わった。十三年(1380年)にはじめて儒學を立てた。

南京官の沿革

  • 永樂四年(1406年)、成祖が北京へ赴くにあたり行部尚書を置き、行在の九卿の印を備えて随行させた。当時は皇太子が監國し、大小の庶務はすべて委ねられ、封爵・大辟・三品以上の文武職の除拜だけは六科都給事中が奏聞した。政の本は南にあったのである。
  • 十八年(1420年)に官属をことごとく北へ移し、南京六部に残ったのは禮・刑・工の三部の各侍郎一人だけとなった。南に在る官は職銜の上に「南京」の字を加えた。仁宗のとき官属を補設して「南京」の字を除いたが、正統六年(1441年)の定制でふたたび永樂のときの形に戻した。

王府長史司

  • 左右長史各一人(正五品)。属官に典簿一人(正九品)。
  • 管轄下――審理所は審理正一人(正六品)・副一人(正七品)。典膳所は典膳正一人(正八品)・副一人(從八品)。奉祠所は奉祠正一人(正八品)・副一人(從八品)、典樂一人(正九品)。典寶所は典寶正一人(正八品)・副一人(從八品)。紀善所は紀善二人(正八品)。良醫所は良醫正一人(正八品)・副一人(從八品)。典儀所は典儀正一人(正九品)・副一人(從九品)。工正所は工正一人(正八品)・副一人(從八品)。以上の各所の副官は嘉靖四十四年(1565年)にすべて廃止した。
  • 伴讀四人(從九品。後に一人だけを置く)、教授は定員なし(從九品)、引禮舎人三人(後に二人を廃止)、倉大使・副使各一人、庫大使・副使各一人(倉庫の副使は後にいずれも廃止)。郡王府に都授一人(從九品)、典膳一人(正八品)。鎮國將軍に教授一人(從九品)。
  • 職掌――長史は王府の政令を掌り、輔佐し規諷して王の過失を正し、府僚を統率してそれぞれの職務に当たらせ庶務を総べる。請名・請封・請婚姻・恩澤および陳謝・進獻の表啓書疏は長史が王に代わって上申する。王に過ちがあれば長史を詰問する。前科のある者をこの職に選任してはならない。
  • 審理は刑獄の推按を掌り、横暴で國紀に触れる者を取り締まる。典膳は祭祀・賓客および王・妃の膳羞を掌る。奉祠は祭祀の樂舞を掌る。典寶は王の寶・符牌を掌る。紀善は禮法を諷導し、古の道理と國家の恩義・大節を説き諭して王に善を進言する。良醫は醫を掌る。典儀は儀式の設営を掌る。工正は宫邸・廨舎の造営修繕を掌る。伴讀は侍從・起居・陳設・經史を掌る。教授は徳義で士を導き經籍を校勘することを掌り、宗室で十九歳以上の者が宗學に入るとき教授と紀善がその師となる。引禮は賓客の接對と威儀の贊相を掌る。
  • 沿革――洪武三年に王相府を置き、左右相各一人(正二品)、左右傅各一人(從二品)、㕘軍府に㕘軍一人(正五品)、録事二人(正七品)、紀善一人(正七品)を設け、それぞれ品秩に従って朝官に次ぐ席次とした。また典籖司・諮議官を置いた。まもなく王府の武相はみな勲臣であるとして文相の上に居らせ、王相府の官属はなお朝官と交互に除授した。この年、王府教授を置いた。
  • 四年(1371年)に官制を改定した。割注――左右相は正二品、文武の傳は從二品、㕘軍は從五品、録事は正七品、審理正は正六品・副は正七品、紀善は正七品。各署の典祠正・典寶正・典儀正・典膳正・典服正・工正・醫正はいずれも正七品、副はいずれも從七品。牧正は正八品、副は從八品。引禮舎人は省注(品を省く)。
  • 九年(1376年)に㕘軍を長史と改め、王傅府および典籖司・諮議官を廃止した。伴讀四人を増設し、老成で經に明るく行いの慎み深い士を選んで任じ、侍讀四人を置いて文籍を収掌させ、人が少なければ欠員のままとした。まもなく王相府所属の奉祠・典寶・典膳・良醫・工正の各所の正と紀善を、そろって正八品・副は從八品とした。
  • 十三年(1380年)に王相府を廃し、長史司を正五品に昇格させ、左右長史各一人・典簿一人を置き、王府の孳牲所・倉庫などの官はすべて雜職とした。二十八年(1395年)に靖江王府の諮議所を置き、諮議・記室・教授各一人を設けた。
  • 建文年間には親王に賓輔二人、伴讀・伴講・伴書各一人、長史三人を増置し、郡王に賓友二人、教授一人、記室二人、直史一人、左右直史各一人、吏目一人、典印・典祠・典禮・典饌・典藥の五署官各一人、典儀二人、引禮舎人二人、儀仗司吏目一人を置いた。その賓輔・三伴・賓友・教授は進見のとき着座を許され、名を称して臣と称せず、礼遇は賓師のようであった。
  • 成祖の初めに旧制へ復し、靖江王府の諮議所を長史司と改めた。萬厯年間に周府が宗正一人を置き(その役は各府にも次第に置かれた)、郡王府に教授一人を増設した。
  • また洪武七年(1374年)、公主府に家令一人(正七品)、司丞一人(正八品)、録事一人(正九品)を設けた。二十三年(1390年)に家令司を中使司と改め、内使をこれに充てた。

承宣布政使司

  • 左右布政使各一人(從二品)、左右㕘政(從三品)、左右㕘議は定員なし(從四品。㕘政・㕘議は事に応じて添設し、省ごとに数が異なる。詳細は諸道の項)。
  • 經厯司に經厯一人(從六品)、都事一人(從七品)。照磨所に照磨一人(從八品)、檢校一人(正九品)。理問所に理問一人(從六品)、副理問一人(從七品)、提控案牘一人。司獄司に司獄一人(從九品)。庫大使一人(從九品)・副使一人、倉大使一人(從九品)・副使一人。雜造局・軍器局・寶泉局・織染局に各大使一人(從九品)・副使一人(管轄の衙門は省ごとに異なり、詳細は雜職の項に見える)。
  • 職掌――布政使は一省の政を掌る。朝廷の徳澤・禁令を承けて宣布し有司へ下す。僚属が任期を満たせばその称職・不稱職を審らかにして考課を上下し、撫按に報告して吏部・都察院へ達する。三年に一度、府州縣の正官を率いて京師に朝覲し察典を聴く。十年ごとに戸版を集計して民数・田数を登録する。賓興・貢挙では一省の士を集めて提調する。宗室・官吏・師生・軍伍には時に応じて祿俸・廩糧を班給する。祀典の神祗にはその時々の祀りを謹み、民の鰥寡孤獨を養い、孝弟貞烈の者を表彰し、水旱疾疫や災異があれば上に請うて蠲免・賑恤する。貢賦・徭役は府州縣の土地・人民の豐瘠多寡を見て数を均す。大きな興革や諸政務は都司・按察司と会議して計画を定め、撫按もしくは總督に請う。國慶・國哀には僚属の次官を遣わして京師で朝賀・弔祭させ、天子の即位のときは左布政使が自ら赴く。
  • 㕘政・㕘議は各道を分守し、また糧儲・屯田・清軍・驛傳・水利・撫民などの事を派管し、あわせて分司して京畿を協管する(両京には布政司・按察司を置かないため㕘政・㕘議・副使・僉事がなく、近隣の布按の分司が帯管する。詳細は各道の項)。經厯・都事は文書の受発を掌るが、巡按・巡鹽御史あての文書には經厯の印を用いる。照磨・檢校は勘合と巻宗の整理を掌り、理問は刑名を掌る。
  • 沿革――はじめ太祖が集慶を下すと自ら江南行中書省を領し、戊戌の年(1358年)に婺州へ中書分省を置いた。以後、地方を平定するたびに行省を置き、その官は平章政事以下おおむね中書省と同じであった。行省には平章政事(從一品)、左右丞(正二品)、㕘知政事(從二品)、左右司郎中(從五品)、員外郎(從六品)、都事・檢校(從七品)、照磨・管勾(從八品)、理問所の正理問(正四品)・副理問(正五品)、知事(從八品)を設け、まもなく知事を提控案牘と改めた(品は省注)。
  • 洪武九年、浙江・江西・福建・北平・廣西・四川・山東・廣東・河南・陜西・湖廣・山西の諸行省をすべて承宣布政使司と改め、行省の平章政事・左右丞などの官を廃し、㕘知政事を布政使と改めて秩を正二品、左右㕘政を二品とし、左右の二司を經厯司と改めた。十三年に布政使を正三品、㕘政を從三品とした。十四年(1381年)に左右㕘議(正四品)を増置し、まもなく左右布政使各一人を増設した。十五年(1382年)に雲南布政使を置いた。二十二年(1389年)に秩を從二品と定め、建文年間に正二品へ昇格し一人を裁減したが、成祖が旧制に復した。
  • 永樂元年(1403年)に北平布政司を北京とした。五年(1407年)に交阯布政司、十一年(1413年)に貴州布政司を置いた(貴州は使一人だけを置き、他の官は各布政司と同じ)。宣徳三年(1428年)に交阯布政司を廃し、両京を除いて十三布政司と定めた。
  • 当初は藩司と六部が同等に重んじられ、布政使が入って尚書・侍郎・副都御史となり、彼らが出て布政使となることが宣徳・正統の間まで行われたが、それ以後は絶えた。

提刑按察使司

  • 按察使一人(正三品)、副使(正四品)、僉事は定員なし(正五品。詳細は諸道の項)。經厯司に經厯一人(正七品)、知事一人(正八品)。照磨所に照磨一人(正九品)、檢校一人(從九品)。司獄司に司獄一人(從九品)。
  • 職掌――按察使は一省の刑名と弾劾の事を掌り、官吏の非行を糺し奸暴を抑え、獄訟を一にして冤罪を雪ぎ、風紀を振るって吏治を澄ませる。重大な案件は都司・布政司とあわせた三司の会議にかけ、撫按に告げて部院の裁定を仰ぐ。朝覲・慶弔の礼は布政司と同じ。副使・僉事は道を分けて巡察し、兵偹・提學・撫民・巡海・清軍・驛傳・水利・屯田・招揀・監軍のそれぞれに専任を置き、あわせて分員して京畿を巡偹する。
  • 沿革――明初に提刑按察司を置き、吳元年(1367年)に各道の按察司を置いて按察使(正三品)・副使(正四品)・僉事(正五品)を設けた。十三年に使の秩を正四品と改め、まもなく廃止した。十四年に復置し、あわせて各道の按察分司を置いた。十五年にはさらに天下の府州縣に按察分司を置き、儒士の王存中ら五百三十一人を試僉事とし、一人あたり二縣を按察させ、官吏の賢否・軍民の利病をすべて調査し糺挙させた。
  • 十六年(1383年)に試僉事をことごとく廃し、按察司を從三品、副使二人を從四品、僉事を從五品と改め、その数は分道の数に従わせた。二十二年に按察使をふたたび正三品と定めた。
  • 二十九年(1396年)に按察分司を四十一道に改めた。割注――直𨽻は六道で淮西道・淮東道・蘇松道・建安徽寧道・常鎮道・京畿道。浙江は二道で浙東道・浙西道。四川は三道で川廣道・川西道・黔南道。山東は三道で濟南道・海右道・遼海東寧道。河南は二道で河南道・河北道。北平は二道で燕南道・燕北道。陜西は五道で闗内道・闗南道・河西道・隴右道・西寧道。山西は三道で冀寧道・冀北道・河東道。江西は三道で嶺北道・兩江道・湖東道。廣東は三道で嶺南道・海南道・海北道。廣西は三道で桂林蒼梧道・左江道・右江道。福建は二道で建寜道・福寜道。湖廣は四道で武昌道・荆南道・湖南道・湖北道。
  • 三十年(1397年)にはじめて雲南按察司を置いた(それ以前は布政司に兼理させていた)。建文のとき十三道肅政按察司と改めたが、成祖の初めに旧に復した。永樂五年に交阯按察司を置き、また各按察司の使・僉事を増設した(軍衛の屯糧を督するためで、浙江・江西・廣東・廣西・湖廣・湖南・雲南・四川に各一人、陜西・福建・山東・山西に各二人。これが監司増設の始まりである)。十二年(1414年)に貴州按察司を置き、宣徳五年(1430年)に交阯按察司を廃した(両凉を除いて置かず、合わせて十三按察司。「兩凉」は兩京の誤りか)。
  • 正統三年(1438年)に理倉の副使・僉事を増設し、また僉事と布政司㕘議を各一員、甘肅に置いて倉糧の監収に当たらせた。八年(1443年)に屯田を専管する僉事を増設した。景泰二年(1451年)に巡河僉事を増した。以後は各省が事に応じて添設し、置いたり廃したりして数え切れない。いま布政・按察の二司が分掌する諸道を次に詳述する。

布政司㕘政㕘議が分司する諸道

  • 督糧道――十三布政司に各一員、いずれも省城に駐する。
  • 督册道――江西・陜西などで随時置く。
  • 分守道――浙江は杭嘉湖道・寧紹台道・金衢嚴道・温處道(いずれも省城に駐する)。江西は南瑞道(省城)・湖東道(廣信)・湖西道(臨江)・饒南九江道(九江)・贑南道(南安)。山東は濟南道・東兖道・海右道(いずれも省城)。山西は冀寧道(省城)・河東道(蒲州)・冀北道(大同)・冀南道(汾州)。陜西は闗内道(省城)・闗西道(鳯翔)・西寧道(凉州)・闗南道(興安)・河西道(慶陽)・隴右道(鞏昌)。河南は大梁道(省城)・河南道(河南)・汝南道(南陽)・河北道(懷慶)。湖廣は武昌道・下荆南道(鄖陽)・上荆南道(兵偹を兼ね、澧州)・荆西道(兵偹を兼ね、安陸)・上湖南道・下湖南道・上江防道(荆州または岳州)・下江防道。福建は興泉道(駐萊州。泉州の誤りか)・福寧道(興化)・漳南道(漳州)・建南道(延平)・汀漳道(上杭縣)。廣東は嶺東道(潮州)・嶺西道(髙州)・羅定道(兵偹を兼ね、羅定州)・嶺北道・嶺南道(南雄)。四川は川西道・川北道(保寧)・上下川廣道(涪州)・上川南道(雅州・嘉定の二署)・下川南道(叙州・瀘州の二署)。廣西は桂平道(省城)・蒼梧道(梧州)・左江道(潯州)・右江道(桞州)。貴州は安平道・貴寧道(省城)・新鎮道(平越)・思仁道(思南)。雲南は臨安道・騰衝道・瀾滄道。以上は㕘政または𠫭議が当たる。

按察司副使僉事が分司する諸道

  • 提督學道・清軍道・驛傳道――十三布政司にそれぞれ一員ずつ。ただし湖廣の提學は二員、浙江・山西・陜西・福建・廣西・貴州は清軍が驛傳を兼ね、江西は右布政使が清軍を兼ねる。
  • 分巡道――浙江は杭嚴道・寧紹道・嘉湖道・金衢道。江西は饒南九江道(饒州)・湖西道(吉安)・南昌道・湖東道・嶺北道。山東は兖州道(沂州)・濟寧道・青州海防道・濟南道(徳州)・海右道(省城)・海道(萊州)・登萊道・遼海道。山西は冀寧道・冀南道(潞安)・雁門道。陜西は闗内道(邠州)・闗西道(平涼)・隴右道(秦州)・河西道(鄜州)・西寧道。河南は大梁道・汝南道(信陽州)・河南道(汝州)・河北道(磁州)。湖廣は武昌道・荆西道(駐河陽。安陸の誤りか)・上荆南道・下荆南道・湖北道・上湖南道・下湖南道・沅靖道。福建は巡海道(糧儲を兼理)・福寧道・興泉道(泉州)・建南道(建寧)・武平道・漳南道(上杭縣)・建寧道・海道(漳州)・汀漳道。廣東は嶺東道(恵州)・嶺西道(肇慶)・嶺南道(省城)・海北道(雷州)・海南道(瓊州)。四川は上東道(重慶)・下東道(達州)・川西道・川北道(保寧)・下川南道・上川南道。廣西は府江兵巡道(平樂)・桂林兵巡道(省城)・蒼梧兵巡道(梧州、のち鬱林州へ移す)・左江兵巡道(南寧)・右江兵巡道(賔州)。以上の五道はいずれも兵備を兼ねる。貴州は貴寧道・思石道(銅仁)・都清道(兵備を兼ね、都匀)。雲南は安普道・臨沅道・洱海道・金滄道。
  • 整飭兵備道――浙江は寧紹道・嘉興道・温處道・台海道。江西は南瑞道・廣建道(建昌)。山東は臨清道・武徳道(武定州)・曹濮道(曹州)・沂州道・遼東道。山西は雁北道(代州)・大同道(二員。一人は大同、一人は朔州に駐する)・陽和道・潞安道・岢嵐道。陜西は肅州道・固原道・臨洮道(蘭州)・洮岷道(岷州)・靖逺道・榆林中路道・榆林東路道(神木縣)・寧夏河西道(寧夏)・寧夏河東兵糧道(花馬池)・莊浪道・漢羌道・潼闗道。湖廣は辰沅道。河南は雎東道。福建は兵備道・巡海道。廣東は南韶道・南雄道。四川は松潘道・威茂道・建昌道・重䕫道・安綿道・叙瀘道。廣西の分巡が兵備を兼ねる五道は分巡の項に見える。貴州は威清道(安順)・畢節道。雲南は曲靖道。
  • そのほか協堂道(副使。河南・浙江で随時置く)、水利道(浙江)、屯田道(江西・河南・四川の三省では屯田が驛傳を兼ねる)、管河道(河南)、鹽法道、撫治道(陜西の撫治啇洛道。湖廣にはさらに撫民道・撫苖道がある)、監軍道(事に応じ常置でない)、招練道(山東で随時置く)がある。
  • 北直𨽻の道で山東に銜を寄せるものは宻雲道・大名道・天津道・霸州道、山西に寄せるものは易州道・口北道・昌平道・井陘道・薊州道・永平道など。南直𨽻の道で山東に寄せるものは太倉道・潁州道・徐州道、浙江・江西・湖廣に寄せるものは蘇松道・漕儲道・常鎮道・廬鳯道・徽寧池太道・淮揚道。
  • 明初の制度では、守令が貪鄙で不法を働くことを恐れ、直𨽻の府州縣に巡按御史を置き、各布政司の所属には試僉事を置いた。試僉事を廃したのち按察分司四十一道と改めたのが分巡の始まりである。分守は永樂年間に始まり、方面官に民の苦しみを巡視させたのが後に定まって、右參政・右參議が所属の府州縣を分守することになった。
  • 兵道の設置は洪熙年間(1425年)に倣う。武臣は文墨に疎いため、參政や副使の沈固・劉紹らを各総兵のもとへ遣わして文書を整理させ機密を商議させたが、自ら軍務を領したわけではない。宏治年間に至り、本兵の馬文升が武職の不備を憂え、副使・僉事一員を増して敕を与えることを議し、これ以後、兵備の員は天下に満ちた。
  • 両京には布政・按察の二司を置かないため、督學は御史をもって当て、後に守巡の諸員を置くにあたっては所属がないので、近隣の省の布政・按察司の官に銜を寄せて行わせた。

行太僕寺

  • 卿一人(從三品)、少卿一人(正四品)、寺丞は定員なし(正六品)。属官に主簿一人(從七品)。
  • 各邊の衛所・營堡の馬政を掌り、兵部の指揮を受ける。騎操馬匹の印烙・俵散・課掌・孳牧を時に応じて督察し、毎年春秋にその増減・齒色を閲視し、三年に一度稽査する。布政・按察の二司は関与できない。損耗があれば兵部の弾劾と処罰に任せる。苑馬寺も同様である。
  • 沿革――洪武三十年、山西・北平・陜西・甘肅・遼東に行太僕寺を置いた。山西・北平・陜西の各寺には少卿一人・丞三人、甘肅・遼東の各寺には少卿・丞各一人を設け、致仕した指揮や千戸・百戸を選んでこれに充てた。永樂四年、寺官が所轄の衛所の鎮撫・首領官吏を按治することを許した。十八年に北京行太僕寺を太僕寺とした。宣徳七年(1432年)、雜犯死罪で充軍に当たる者を陜西行太僕寺へ送って馬を養わせた。𢎞治十年(1497年)、平素より才望のある者を選んで本寺の官に補し、太僕寺官並みの昇進を認めた。嘉靖三年(1524年)、御史陳講の請により陜西・甘肅の二寺に各少卿一員を増設し、延綏・寧夏を分管させた。二十九年(1550年)、寺官が聖節にあたり年ごとの輪番で表文を齎進することとした。

苑馬寺

  • 卿一人(從三品)、少卿一人(正四品)、寺丞は定員なし(正六品)。属官に主簿一人(從七品)。各牧監に監正一人(正九品)・監副一人(從九品)・録事一人、各苑に圉長一人(從九品)。
  • 六監二十四苑の馬政を掌り、兵部の指揮を受ける。苑は広狭により三等に分け、上苑は馬一万匹、中苑は七千匹、下苑は四千匹を牧する。牧地には草場・荒地・熟地の別があり、禁令を厳しくして境を標示する。牧人には恩軍・隊軍・改編の軍・充發の軍・召募の軍・抽選の軍があり、いずれも籍に登録して給養する。馬駒は毎年その監苑ごとの数を籍にして兵部に上げ、考課に備える。監正・副は監苑の牧事を掌り、圉長は羣長を率いて馬匹を殖やす。
  • 沿革――永樂四年に苑馬寺を四か所、北直𨽻・遼東・平涼・甘肅に置いた。五年、北直𨽻苑馬寺に六監二十四苑を増設した。割注――順義・長春・咸和・馴良の四苑は清河監に属し、水州・隆萃・大牧・遂寧は金臺監に属し、汧池・鹿鳴・龍河・長興は涿鹿監に属し、遼陽・龍山・萬安・蕃昌は盧龍監に属し、清流・廣蕃・龍泉・松林は香山監に属し、河陽・崇義・興寧・永成は通州監に属する。
  • 六年(1408年)に甘肅・平涼の二寺の監を増した(寺ごとに各六監二十四苑)。十八年に北京苑馬寺を廃して太僕寺に併合した。正統四年(1439年)に甘肅苑馬寺を廃し、恩軍の牧を黒水口に移して長樂監に属させた。宏治二年(1489年)に平涼の寺丞一員を廃した。十七年(1504年)、都御史楊一清が奏請し、行太僕寺・苑馬寺の二寺に欠員が出たときは才望ある參政・副使を選んで卿に昇補し、參議・僉事を少卿に昇補して馬政を振るわせることとした。十八年(1505年)にもさらに寺員の添設を請うた。嘉靖三十二年(1553年)、遼東の寺卿張思に金州・復州・蓋州の三衛の軍民を兼轄させ、四十二年(1563年)にはさらに兵備の事を帯理させた。

都轉運鹽使司

  • 都轉運使一人(從三品)、同知一人(從四品)、副使一人(從五品)、判官は定員なし(從六品)。属官に經歴司經歴一人(從七品)、知事一人(從八品)、庫大使・副使各一人。管轄下に各場の鹽課司大使・副使、各鹽倉の大使・副使、各批驗所の大使・副使をそれぞれ一人ずつ置く(いずれも未入流)。
  • 都轉運使は鹽盬の事を掌り、同知・副使・判官が分司する。
  • 都轉運鹽使司は六つ、すなわち兩淮・兩浙・長蘆・河東・山東・福建。分司は十四で、秦州・淮安・通州は兩淮に属し、嘉興・松江・寧紹・温台は兩浙に属し、滄州・青州は長蘆に属し、膠萊・濵樂は山東に属し、解鹽の東場・西埸・中場は河東に属する。副使や判官を分けてこれに臨ませ、各場・各倉の鹽課使を督して都轉運使に総べさせ、ともに巡鹽御史または鹽法道臣の政令を奉ずる(福建・山東には巡鹽御史がない。詳細は食貨志の鹽法の項)。

鹽課提舉司

  • 提舉一人(從五品)、同提舉一人(從六品)、副提舉は定員なし(從七品)。属官に吏目一人(從九品)、庫大使・副使一人。管轄下に各鹽倉の大使・副使、各場・各井の鹽課司大使・副使をそれぞれ一人ずつ置く。
  • 提舉司は七つ、すなわち四川、廣東海北(亷州)、黒鹽井(楚雄)、白鹽井(姚安)、安寧、五井(大理)、察罕腦兒。ほかに遼東煎鹽提舉司がある(提舉は正七品、同提舉は正八品、副提舉は正九品)。職掌はいずれも都轉運司と同じ。
  • 沿革――明初に兩淮へ都轉運司を置き、吳元年に杭州へ兩浙都轉運司を置いて、都轉運使の秩を正三品と定め、同知(正四品)・副使(正五品)・運判(正六品)・經厯(正七品)・知事(正八品)・照磨・綱官(正九品)を設け、鹽場には司令(從七品)・司丞(從八品)・百夫長(品は省注)を置いた。
  • 洪武二年(1369年)に長蘆・河東の二都轉運司および廣東海北鹽課提舉司を置き、まもなく山東・福建の二都轉運司を置いた。三年、陜西の察罕腦兒の地に鹽課提舉司を置き、以後は各地に次第に増置した。建文年間に廣東の提舉を都轉運司と改めたが、永樂年間に旧に復した。十四年(1416年)にはじめて御史に巡鹽を命じた。景泰三年(1452年)に長蘆・兩淮の巡鹽御史を廃し、撫按官に兼理させたが、のちにまた御史を遣わし、御史のない所は按察司が分掌して処理した。
  • また洪武年間、四川に茶鹽都轉運司を置いた(洪武五年〔1372年〕に置き、官の設けは都轉運鹽使司と同じ。十年〔1377年〕に廃止)。納溪・白渡の二鹽馬司も置いた(洪武五年に置き、常選官を司令、内使を司丞とした。十三年に廃し、まもなく復置。十五年に大使・副使各一人へ改めた)。後にいずれも廃止された。順龍鹽馬司もあったが、これも廃止された。

市舶提舉司

  • 提舉一人(從五品)、副提舉二人(從六品)。属官に吏目一人(從九品)。
  • 海外諸蕃の朝貢・市易の事を掌り、使人の表文・勘合の真偽を弁別し、通番を禁じ私貨を徴し、交易を公平にし、その出入を統制して館での接待を慎重に行う。
  • 沿革――吳元年に市舶提舉司を置いた。洪武三年に太倉黄波の市舶司を廃し、七年に福建の泉州・浙江の明州・廣東の廣州の三市舶司を廃した。永樂元年に復置し、官の設けは洪武の初めと同じにしたが、まもなく内臣に提督させた。嘉靖元年(1522年)、給事中の夏言が倭禍は市舶に起こると奏し、福建・浙江の二市舶司を廃して廣東市舶司だけを存した。

茶馬司

  • 大使一人(正九品)、副使一人(從九品)。市馬の事を掌る。
  • 洪武年間に洮州・秦州・河州の三茶馬司を置き、司令・司丞を設けた。十五年に大使・副使各一人へ改め、まもなく洮州茶馬司を廃して河州茶馬司に兼領させた。三十年に秦州茶馬司を西寧茶馬司と改めた。
  • また洪武年間、四川の永寧茶馬司を置いたが後に廃し、雅州碉門茶馬司を復置した。廣西には慶逺裕民司を置き(洪武七年に置き、大使二人〔從八品〕・副使一人〔正九品〕を設けた)、八番溪洞の馬を買い入れたが、これも後に廃止された。

  • 知府一人(正四品)、同知(正五品)、通判は定員なし(正六品)、推官一人(正七品)。属官に經厯司經厯一人(正八品)、知事一人(正九品)、照磨所照磨一人(從九品)、檢校一人、司獄司司獄一人(管轄の官は別に見える)。
  • 職掌――知府は一府の政を掌り、風化を宣べ獄訟を公平にし賦役を均して百姓を教養する。三年ごとに属吏の賢否を審査して考課を上下し、省を経て吏部へ達する。朝賀・弔祭は布政使司に準じるが、直𨽻の府は直接上申できる。詔赦・例令・勘劄が至れば謹んで受け、所属へ下して奉行させる。所属の政はみな府の約束を受け、軽重を量って命じ、重大なものは撫按と布政・按察に諮って議が通ってから行う。賓興・科貢、學校の提調、祀典の修明はすべて掌る。籍帳・軍匠・驛逓・馬牧・盗賊・倉庫・河渠・溝防・道路の事は専任の官があっても、すべて総領して稽核する。
  • 同知・通判は清軍・巡捕・管糧・治農・水利・屯田・牧馬などの事を分掌し、常職はない(府ごとに掌る所が異なる。延安・延綏の同知はさらに牧民を兼ねるなど、すべては記さない)。定員もない(辺境の府では同知が六、七員に増えることもある)。推官は刑名を治め計典を助ける(各府の推官は洪武三年にはじめて設けた)。經厯・照磨・檢校は上下の文書の受発と六房の巻宗の磨勘を掌る。
  • 沿革――明初に諸路を府と改めた。洪武六年(1373年)に天下の府を三等に分け、糧二十萬石以上を上府として知府の秩を從三品、二十萬石以下を中府として正四品、十萬石以下を下府として從四品としたが、のちすべて正四品に統一した。七年に北方の府州縣の官三百八人を減じた。十三年に國子監生二十四人を選んで府州縣の官とし、六月に各府の照磨を廃したが、二十七年(1394年)に復置した。宣徳三年に交阯布政司を棄てて以降、天下の府は総計百五十九である。

  • 知州一人(從五品)、同知(從六品)、判官は定員なし(從七品)。里が三十に満たず属縣もなければ同知・判官を裁減し、属縣があれば同知を裁減する。属官に吏目一人(從九品。管轄の官は別に見える)。
  • 知州は一州の政を掌る。州には二種あり、知州の州と直𨽻州で、属州は縣に準じ、直𨽻州は府に準じるが品秩は同じである。同知・判官はその州の事務の繁簡に応じて職務に当たる。天下の州は総計二百三十四である。

  • 知縣一人(正七品)、縣丞一人(正八品)、主簿一人(正九品)。属官に典史一人(管轄の官は別に見える)。
  • 職掌――知縣は一縣の政を掌る。賦役は毎年集計して実徴し、十年ごとに黄册を作って丁産に応じて等差をつける。賦には金穀・布帛および諸貨物の賦があり、役には力役・雇役・借債・臨時の役があって、いずれも天候の良否、地味の豐耗、人力の貧富を見て調整し均等にする。凶作の年は府もしくは省に請うて減免する。養老・祀神・貢士・讀法・表善良・恤窮乏・稽保甲・嚴緝捕・聴獄訟はすべて自ら勤め慎んで行う。山海や沼沢の産物で國用に足るものは籍に照らして貢納させる。
  • 縣丞・主簿は糧馬・巡捕の事を分掌し、典史は文書の出納を掌る。縣丞がないか主簿がない場合は、丞・簿の職を分けて領する(縣丞・主簿の増置・廃止は一様でなく、編戸が二十里に満たない縣ではいずれも裁減する)。
  • 沿革――吳元年に縣を三等に定め、糧十萬石以下を上縣として知縣を從六品、六萬石以下を中縣として正七品、三萬石以下を下縣として從七品としたが、のちすべて正七品に統一した。新任の郡縣官には道中の費用を給した。洪武元年(1368年)に天下の賢才を徴して府州縣の職に就け、敕命と厚い賜与によって廉恥を励まし、繰り返し敕諭した。十七年(1384年)に府州縣の條例八事を定めて天下に頒示し、永く遵守させた。
  • 当時は天下の府州縣の官で廉能正直な者には必ず行人を遣わして敕を齎して労い、秩を増し金を賜わった。仁宗・宣宗のころまではなおそうであったが、英宗・憲宗より下は日ごとに稀となり、以後は内を重んじ外を軽んずる風が強まって、この気風は絶えた。天下の縣は総計千七百七十一である。

儒學

  • 府は教授一人(從九品)・訓𨗳四人、州は學正一人・訓𨗳三人、縣は教諭一人・訓𨗳二人。教授・學正・教諭は所属の生員の教誨を掌り、訓𨗳がこれを補佐する。
  • 生員の廩膳・増廣は府學四十人、州學三十人、縣學二十人。附學生に定数はない。儒學官は月ごとに士子の学業を課して奨励する。學政は臥碑に従い、すべて提學の憲臣の指揮を受け、提調は府は府に、州は州に、縣は縣に聴く。その優劣は郷試の合格者の有無・多寡で判定する。
  • 沿革――明初に儒學提舉司を置いた。洪武二年に天下の府州縣にすべて學を立てるよう詔した。十三年に各州の學正を未入流に改めた(それ以前は從九品)。二十四年(1391年)に儒學の訓導の席次を雜職の上と定めた。三十一年(1398年)、天下の學官を近隣の郡州縣へ改め授けるよう詔した。正統元年(1436年)にはじめて提督學校の官を設けた。
  • また都司儒學(洪武十七年に遼東に置いたのが始まり)、行都司儒學(洪武二十三年に北平に置いたのが始まり)、衛儒學(洪武十七年に岷州衛、二十三年に大寜等の衛に置いたのが始まり)があり、武臣の子弟を教えるためにいずれも教授一人・訓導二人を設けた。河東にはさらに都轉運司儒學を設け、制度は府に同じであった。その後、宣慰・安撫などの土官にもみな儒學を設けた。

巡檢司

  • 巡檢・副巡檢(いずれも從九品)。盗賊の捕縛と奸偽の詮議を主とし、外方の各府州縣の関津・要害の地にはすべて置き、徭役の弓兵を率いて不慮に備えさせる。
  • 洪武二年、廣西の地が猺・獞と接するため、はじめて関隘の要衝に巡檢司を置いて奸盗を警めた。以後、各地に増置した。十三年二月に特に敕諭を賜わり、まもなく雜職に改めた。

  • 驛丞は郵傳と迎送の事を掌る。舟車・夫馬・廩糗・庖饌・禂帳は使客の品秩と僕夫の多寡に応じて慎重に供応し、その費用を府もしくは州縣から支給して出納を帳簿に記す(巡檢・驛丞は府州縣ごとに有無・多寡が異なる)。

税課司

  • 府では司、縣では局と呼ぶ。大使一人(從九品)。税の事を掌る。商賈・儈・屠・雜市にはみな常徴があり、時に応じて徴収してその代金を府もしくは縣へ納める。民間で田宅を売買するときは必ず契劵を作り印を請うてはじめて戸に収めることができ、その代金の百分の三を徴する。
  • 明初、在京の官店を宣課司と改め、州縣の官店を通課司と改めた(底本は「武州縣官店」に作る)。のち通課司を税課司・税課局と改めた。

倉庫・織染局

  • 倉大使一人(府は從九品、州縣は未入流)、副使一人。庫大使一人(州縣に置く)。
  • 織染局・雜造局は大使一人(從九品。州の織染局は未入流)、副使一人。

河泊所(閘官・壩官を附す)

  • 河泊所の官は魚税の徴収を掌り、閘官・壩官は水門の開閉と蓄洩を掌る。
  • 洪武十五年に天下の河泊所を二百五十二と定め、年間の課糧が五千石以上一萬石までの所には官三人、千石以上には二人、三百石以上には一人を設けた。

批騐所・遞運所・鐡冶所

  • 批騐所は大使一人・副使一人。茶引・鹽引の検査を掌る。
  • 遞運所は大使一人・副使一人。糧物の運送を掌る。洪武九年にはじめて置いた。それ以前は外方では多く衛所の戍守軍士に軍囚の護送をさせていたが、太祖はそれが練習・守禦の妨げになるとして兵部に命じ、各地に遞運所を増置して逓送に便ならしめた。大使・副使各一人を設け、人夫の多寡を検して百夫長を置き統率させた(後に副使を汰し、百夫長を廃止した)。
  • 鐡冶所は大使一人・副使一人。洪武七年にはじめて十三所を置き、所ごとに大使・副使各一人を置いた(当初は大使が正八品、副使が正九品、のちいずれも未入流とした)。

醫學・陰陽學

  • 醫學は府に正科一人(從九品)、州に典科一人、縣に訓科一人。洪武十七年に置いたが、官を設けても禄は給さない。
  • 陰陽學は府に正術一人(從九品)、州に典術一人、縣に訓術一人。これも洪武十七年に置き、官を設けても禄は給さない。

僧綱司・道紀司

  • 府の僧綱司に都綱一人(從九品)・副都綱一人、州の僧正司に僧正一人、縣の僧㑹司に僧㑹一人。
  • 府の道紀司に都紀一人(從九品)・副都紀一人、州の道正司に道正一人、縣の道㑹司に道㑹一人。
  • いずれも洪武十五年に置いたが、官を設けても禄は給さない。