明史卷四十 志第十六 地理一
総説――明代の疆域と行政区画
- 黄帝が野を画して監を置き、唐虞が州を分けて牧を建てて以来、三代を経て宋・元に下るまでの廃興・因革は前代の史書に記し尽くされている。
- 明の太祖は江淮に起こり、まず金陵を定め、西は湖湘を攻め取り、東は呉㑹を併せた。そののち将を遣わして北伐させ、山東を併せ河南を収め、幽燕を進み取り、軍を分けて四方に出して秦晉を平らげ嶺表にまで及び、最後に巴蜀を削平して滇南を収復した。禹の足跡の及んだ地はことごとく版図に入り、近古以来なかった広がりである。
- 洪武の初め、都を江表(江南)に建て、元の中書省を廃し、京畿の應天諸府を京師に直𨽻させた。のちに行中書省をすべて廃して十二の布政使司を置き、天下の府・州・県および覊縻の諸司を分けて領させた。また十二の都指揮使司を置いて衛所と番漢の諸軍を領させ、辺境・海疆にはさらに行都指揮使司を増置した。京師には五軍都督府を建て、外の都指揮使司をそれぞれの方角に応じて所属させた。
- 成祖は北京に定都した。北は群山に倚り、東は滄海に臨み、南面して天下に臨む地である。そこで北平を直𨽻とし、さらに貴州・交趾の二布政使司を増設した。仁宗・宣宗のころ、南方の交趾がたびたび叛いたため、まもなくこれを棄てて外徼(版図の外)とした。
- 明一代を通じて直𨽻となったものは二つ、京師と南京である。布政使司となったものは十三、山東・山西・河南・陜西・四川・湖廣・福建・廣東・廣西・浙江・江西・雲南・貴州である。
- その分統する府は百四十、州は百九十三、県は千百三十八。覊縻の府は十九、州は四十七、県は六。編里は六万九千五百五十六。
- 両京の都督府が分統する都指揮使司は十六、行都指揮使司は五(北平・山西・陜西・四川・福建)、留守司は二。所属の衛は四百九十三、所は二千五百九十三、守禦千戸所は三百十五。
- さらに土官の宣慰司十一、宣撫司十、安撫司二十二、招討司一、長官司百六十九、蠻夷長官司五がある。
- 辺境の要地で重鎮と称されるものは九つ、遼東・薊州・宣府・大同・榆林・寜夏・甘肅・太原・固原である。いずれも衛所を分統し、関堡が環をなして列なり、兵戎の綱維の布置は深く堅固であったといえる。
- 明初の封域は、東は朝鮮に起こり、西は土畨に拠り、南は安南を包み、北は大磧に至った。東西一万一千七百五十五里、南北一万九百四里である。
- 成祖が大寧を棄てて東勝を移し、宣宗が開平を獨石に遷し、世宗のときにさらに哈密・河套を棄ててからは、東は遼海に起こり西は嘉峪に至り、南は瓊崖に至り北は雲朔に届いた。東西一万里余、南北一万里である。声教の及ぶ範囲で、季節ごとに贄を納めるだけで、官吏を任命し戸籍を置いて侯尉を設けたわけではない覊属の地は、この数に入らない。
史論
- ああ、盛大なことであった。論者は、交趾を棄てたことは必ずしも失策ではないが、開平を内地寄りに遷したことで守備がいよいよ薄くなったといい、萬全都指揮使司を置いても山後の諸部を抑えるには足りず、そのため二代を経て土木の変が起こったのだ、という。
- しかし睿皇(英宗)が自ら軍律を失って蒙塵したのであって、制度が整っていなかったせいではない。景帝は賢才を任用し守備を整え、国運は移らず、天子の乗輿もほどなく還った。これから見れば、三衛は一隅の要害にすぎず、大局には関わらないことが明らかである。
- 明の末世に至って流賊が西方の辺境で禍を起こし、しだいに中原へ蔓延して天下は糜爛した。金城湯池の堅固さも土崩の勢いを制するに足らず、広大な版図も犄角の勢を成すに足らなかった。国境は昔より縮まってはおらず、要害の地勢も創業のころに劣らなかったのに、強弱がこれほど懸絶し興亡の運命が分かれたのは、天が乱を降し、宦官が内から乱したためであり、人事の誤りであって地の利を失ったからではない。
- 「徳に在りて険に在らず」という言葉は、まことに信ずべきものではないか。いま昇降の差と沿革のいわれを考え、篇に詳しく著して地理志を作る。
京師
- 京師は『禹貢』の冀州・兗州・豫州三州の域にあたる。元では中書省に直𨽻していた。
- 洪武元年(1368年)四月、河南・山東の両行中書省に分けて属させた。二年(1369年)三月、北平等処行中書省を置いた(治所は北平府)。先に山東・河南に属していた地はすべて旧に復し、府八・州三十七・県百三十六を領した。同年八月、燕山都衛を置いた(行中書省と同じ地に治所を置く)。
- 八年(1375年)十月、都衛を改めて北平都指揮使司とした。九年(1376年)六月、行中書省を改めて承宣布政使司とした。
- 永樂元年(1403年)正月、北京を順天府に建て、行在と称した。二月、北平布政使司を廃してその領地を北京行部に直𨽻させ、北平都指揮使司を廃してその所属を北京留守行後軍督都府に直𨽻させた。
- 十九年(1421年)正月、北京を改めて京師とし、北京留守行後軍都督府を廃して後軍都督府に直𨽻させ(衛所のうち実土のあるものは附載し、実土のないものは載せない)、北京行部を廃して六部に直𨽻させた。正綂六年(1441年)八月、行在の称を廃し、正式に京師と定めた。
- 府八、直𨽻州二、属州十七、県百十六(編里は三千二百三十余り。府・州・県の建置沿革はいずれも元代から書き起こす。その沿革の年月がすでに『元史』地理志に見えるものは載せず、『元史』志に見えないもの、および明が元の旧制を改めたもの・併合したもの・新設したもの・新たに廃したものはすべて記す)。
- 北は宣府に至る(その外は辺地)。東は遼海に至る(山東と境を接する)。南は東明に至る(山東・河南と境を接する)。西は阜平に至る(山西と境を接する)。
- 洪武二十六年(1393年)の編戸は三十三万四千七百九十二、口は百九十二万六千五百九十五。
順天府
- 順天府(元の大都路、中書省に直𨽻)。洪武元年八月、改めて北平府とした。十月、山東行省に属した。二年三月、北平に改属。三年(1370年)四月、燕王府を建てた。永樂元年正月、昇格させて北京とし、府を改めて順天府とした。
- 城郭について。永樂四年(1406年)閏七月に北京の宮殿を建て城垣を修め、十九年正月に完成した。宮城は周六里十六歩、紫禁城ともいう。門は八つ。正南の第一重を承天、第二重を端門、第三重を午門、東を東華、西を西華、北を元武という。
- 宮城の外を皇城といい、周十八里余、門は六つ。正南を大明、東を東安、西を西安、北を北安といい、大明門から東に転じたところを長安左、西に転じたところを長安右という。
- 皇城の外を京城といい、周四十五里、門は九つ。正南を麗正(正統の初めに正陽と改称)、南の左を文明(のち崇文)、南の右を順城(のち宣武)、東の南を齊化(のち朝陽)、東の北を東直、西の南を平則(のち阜城)、西の北を彰儀(のち西直)、北の東を安定、北の西を徳勝という。
- 嘉靖二十三年(1544年)に重城を築いて京城の南を包み、東西の角楼まで回り込ませた。長さ二十八里、門は七つ。正南を永定、南の左を左安、南の右を右安、東を廣渠、東の北を東便、西を廣寜、西の北を西便という。
- 州五・県二十二を領する。𢎞治四年(1491年)の編戸は十万五百十八、口は六十六万九千三十三。萬厯六年(1578年)の戸は十万千百三十四、口は七十万六千八百六十一。
- 大興(附郭)。東南に大通河があり、通恵河ともいう。水は玉河から出て都城を巡り、東南に下って高麗莊で白河に入る。すなわち元の運河である。また玉河があり、源は玉泉山、大内を経て都城を出て東南に流れ大通河に下る。
- 宛平(附郭)。西山が西にある。桑乾河は山西の馬邑縣から出て千里を流れ、京師宛平縣の境に入り、蘆溝橋の下に出る。さらに東南で二つに分かれ、一つは通州で白河に入り、一つは武清の小直沽で衛河と合して海に入る。また沙河・高梁河・清河があり、いずれも西北にある。西にはまた沿河口守禦千戸所がある。蘆溝・王平口・石港口・齊家庄の四巡檢司がある。
- 良鄉(府の西南)。琉璃河があり、すなわち古の聖水で、下流は淀に入る。北に天津闗がある。
- 固安(府の西南)。元の固安州で、洪武元年十二月に県に降格した。西南に拒馬河があり、すなわち淶水で、源は代郡、下流は易水と合して白溝となり三角淀に入る。
- 永清(府の西南)。西南に拒馬河がある。
- 東安(府の東南)。元の東安州で、治所は西にあった。洪武元年十二月に県に降格し、三年に現在の治所に移した。南に鳯河があり、桑乾河の分流で南に流れて三角淀に入る。
- 香河(府の東南)。元では漷州に属した。洪武十年(1377年)二月に州に併合され、十三年(1380年)二月に再置して府に改属した。西に板罾口河があり、源は通州の東の孤山、県境を経て白河に入る。
- 通州。洪武の初め、州治の潞縣を州に併合した。西に通恵河、西南に渾河(すなわち桑乾河)があり、州の東の張家灣でいずれも白河に合する。張家灣巡檢司があり、西南に𢎞仁橋巡檢司がある。西に府まで四十里。県四を領する。
- 三河(州の東北)。泃河があり、また西に洳河、西南に鮑邱河(一名を矣榆河、すなわち東潞水)があり、いずれも泃河に流れ込む。西に泥窪舖巡檢司があったが、のち夏店舖に移った。
- 武清(州の南)。元では漷州に属し、洪武十二年(1379年)に来属した。三角淀が県の南にあり、すなわち古の雍奴で、周二百里余、諸水が集まる。直沽が県の東南にあり、衛河・白河・丁字沽がここで合流して海に入る。巡檢司がある。また東北に河西務、東南に楊村の二巡檢司がある。
- 漷縣(州の南)。元の漷州で、洪武十四年(1381年)二月に県に降格して来属した。漷河(一名を新河)があり、東流して白河に入る。すなわち蘆溝の下流である。
- 寳坻(州の東南)。元では大都路に直𨽻し、洪武十年二月に来属した。東に潮河、南に泃河がある。また県の東南に梁城守禦千戸所があり、建文二年(1400年)に燕王が置いた。蘆臺巡檢司がある。
- 霸州。洪武の初め、州治の益津縣を州に併合した。拒馬河はもと北にあったが、のち治所の南に移った。また南に沙河、東に宛家口巡檢司がある。北に府まで二百十里。県三を領する。
- 文安(州の南、やや東)。西に易水、東北に得勝・火燒などの淀がある。
- 大城(州の東南)。東北に黄㲼河があり、源は交河からの分流で、県境に至って三角淀に入る。
- 保定(州の南、やや西)。洪武七年(1374年)九月に霸州に併合され、十三年十一月に再置された。玉帯河が北にあり、東流して㑹通河に入る。西南に磁河があり、東南で玉帯河と合する。
- 涿州。洪武の初め、州治の范陽縣を州に併合した。西に獨鹿山、北に涿水、西北に挾河があってこれに合し、南に范水がある。東北に府まで百四十里。県一を領する。
- 房山(州の北、やや西)。西に大房山、北に大安山、西南に青龍潭があり、その下流が挾河(一名を韓村河)で、涿州に至って胡良河と合する。北に磁家務巡檢司がある。
- 昌平州(元の昌平縣、大都路に直𨽻)。正徳元年(1506年)七月に州に昇格したがまもなく取りやめとなり、八年(1513年)に再び州に昇格した。旧治は白浮圖城。景泰元年(1450年)に東に永安城を築き、三年(1452年)に県治をそこへ遷した。北に天夀山があり、成祖以下の陵寝がすべてここにある。東南に白浮山、西南に駐蹕山、また南に榆河(一名を温餘河)があり、下流は沙河となって白河に入る。東南に鞏華城があり、嘉靖十九年(1540年)に築いた。東北に黄花鎮があり、𢎞治年間に渤海守禦千戸所をここに置いた。萬厯元年(1573年)に慕田峪へ移し、四年(1576年)にもとに復した。西に鎮邉城、また常峪城があり、いずれも正徳十年(1515年)五月に築いてそれぞれ守禦千戸所を置いた。また白陽守禦千戸所があり、正徳年間に置かれた。西北に居庸關がある。南に府まで九十里。県三を領する。
- 順義(州の東、やや南)。元の順州で、洪武元年十二月に順義縣と改めて府に属した。正徳元年七月に来属した。東に白河、西南に榆河、また潮河があり、いずれも流れ込む。
- 懐柔(州の東北)。洪武元年十一月に檀州に併合され、十二月に密雲・昌平二県の地を分けて再置し府に属した。正徳元年七月に来属した。東に黍谷山、西に白河がある。
- 密雲(州の東北)。元の檀州で、のち県を置いて州治とした。洪武元年十一月に県を州に併合し、十二月に県を再置して州のほうを併合した。正徳元年七月に来属した。南に白檀山、西に白河、東に潮河、北に古北口がある。洪武十二年九月にここへ守禦千戸所を置き、三十年(1397年)に密雲後衛と改めた。また石塘嶺・牆子嶺などの関がある。
- 薊州。洪武の初め、州治の漁陽縣を州に併合した。西北に盤山、東北に崆峒山、また泃水が北に、沽河が南にある。州の北に黄崖峪・寛佃峪などの関があり、東にはまた石門鎮がある。西に府まで二百里。県四を領する。
- 玉田(州の東南)。東北に無終山、また徐無山があり、東に梨河、北に浭水がある。東南に興州左屯衛があり、永樂元年に旧開平の地からここへ移した。
- 豐潤(州の東南)。南に沙河、西南に浭水がある。
- 遵化(州の東)。東北に五峯山、南に靈靈山および龍門峽があり、東に灤河、西南に梨河がある。北に喜峯口・馬蘭峪・松亭などの関がある。
- 平谷(州の西北)。洪武十年二月に三河縣に併合され、十三年十一月に再置された。東南に泃河、また洳河がある。西北に營州中屯衛があり、永樂元年に旧龍山縣からここへ移した。東に黄松峪闗があり、密雲縣の將軍石闗と接している。
保定府
- 保定府(元の保定路、中書省に直𨽻)。洪武元年九月に府とし、十月に河南分省に属した。二年三月に来属した。州三・県十七を領する。東北に京師まで三百五十里。𢎞治四年の編戸は五万六百三十九、口は五十八万二千四百八十二。萬厯六年の戸は四万五千七百十三、口は五十二万五千八十三。
- 清苑(附郭)。北に徐河(一名を大册水)があり、滿城から県の北を経て安州の東で淀に入る。西に清苑河、南に張登巡檢司があり、嘉靖十三年(1534年)に滿城縣の方順橋からここへ移した。
- 滿城(府の西、やや北)。洪武十年五月に慶都縣に併合され、十三年十一月に再置された。北に徐河、南に方順河がある。
- 安肅(府の北、やや東)。元の安肅州で、洪武二年七月に県に降格した。易水が北、曹河が南、徐河が西にあり、西南にはまた鮑河がある。また西に遂州があり、元では保定路に属したが、洪武の初めに県に降格し、八年二月に廃された。
- 定興(府の北、やや東)。元では易州に属し、洪武六年(1373年)五月に府に改属した。西に拒馬河(すなわち淶水)があり、易水が西から来て合流し、これを白溝河という。南に河陽巡檢司があったが、のち清苑縣境の固城鎮に移った。
- 新城(府の東北)。元では雄州に属し、洪武の初めに北平府に属し、六年五月に府に改属した。南に白溝河、西南に巨河鎮巡檢司がある。
- 雄(府の東北)。元の雄州で、洪武二年七月に州治の歸信縣を併合し、七年四月に県に降格した。北に白溝河、南に瓦濟河がある。
- 容城(府の東北)。元では雄州に属し、洪武七年四月に州に併合され、十三年十一月に再置されて来属した。旧治は拒馬河の南にあったが、景㤗二年(1451年)に河の北に遷した。西に易水、また濡水がある。
- 唐(府の西、やや南)。西北に大茂山、すなわち恒岳(恒山)がある。東の麓に岳嶺口巡檢司がある。唐河が西にあり、源は恒山、定州を経て流れるところを滱水といい、下流は南易水と合する。西北に倒馬關があり巡檢司があったが、のち県の西の横河口に移った。また周家舖・軍城鎮の二巡檢司がある。
- 慶都(府の西南)。南に唐河、北に祁水がある。
- 博野(府の南)。旧治は今の蠡縣の境にあり、保定路に直𨽻した。洪武元年に今の治所に移して祁州に改属し、六年五月に府に戻った。西北に博水、南に唐河(また滱水ともいう)がある。また永安鎮巡檢司・鐵燈盞巡檢司がある。
- 蠡(府の南、やや東)。元の蠡州で真定路に属した。洪武二年七月に来属し、八年(1375年)正月に県に降格した。楊村河が南にあり、滋・沙・唐の三河の下流で、俗にこれも唐河と呼ぶ。
- 完(府の西)。元の完州で、洪武二年七月に県に降格した。西に伊祁山があり祁水がここから出て、その下流が方順河となる。
- 祁州。洪武二年七月、州治の蒲陰縣を州に併合した。北に唐河、西南に滋河があり、州の東南で沙河と合して易水に流れ込む。北に府まで百二十里。県二を領する。
- 深澤(州の南、やや西)。西に滋河がある。
- 束鹿(州の東南)。北に旧城があり、今の治所は天啟二年(1622年)に移したものである。滹沱河が南にあり、また南に百天口巡檢司がある。
- 安州。洪武二年七月、州治の葛城縣を州に併合し、七年に県に降格し、十三年十一月に再び州に昇格した。北に易水があり、府境の九河の水が集まるところで、下流は雄縣の南に至って瓦濟河となる。西に府まで七十里。県二を領する。
- 高陽(州の南)。元では安州に属し、洪武六年五月に府に改属、まもなく蠡州に属し、八年正月に蠡縣に併合され、十三年十一月に再置されてもとに戻った。旧城は東にあり、洪武三年に水で崩れて今の治所に遷った。東に馬家河があり、その上流が蠡縣の楊村河である。
- 新安(州の東、やや北)。元では保定路に直𨽻し、洪武七年七月に安州に併合され、十三年十一月に再置されて来属した。西に長流河(一名を長溝河)があり、その上源は鮑河である。南に曹河、また徐河があって県の南を経て合流し温義河となり、さらに南で長流河と合し、東南で瓦濟河に入る。
- 易州。洪武の初め、州治の易縣を州に併合した。西南に五迴山があり雷溪がここから出る。徐河の上源である。西北に窮獨山があり濡水がここから出る。南に易水があり、州境の西山から出て濡水と並んで東流し白溝河となる。いわゆる北易水である。また雹水(一名を鮑河)があり、県の西南から出て東南に流れ長流河となる。いわゆる南易水である。西に紫荆闗があり、洪武年間にここへ守禦千戸所を置いた。また官座嶺・五迴嶺・金陂鎮・奇峯口・塔崖口の五巡檢司がある。南に府まで百二十里。県一を領する。
- 淶水(州の東北)。東に淶水(また拒馬河ともいう)があり、源は西山の代郡、下流は易水と合する。北に乾河口、西北に黄兒莊の二巡檢司がある。
河間府
- 河間府(元の河間路、中書省に直𨽻)。洪武元年十月に府とし河南分省に属した。二年三月に来属した。州二・県十六を領する。北に京師まで四百十里。𢎞治四年の編戸は四万二千五百四十八、口は三十七万八千六百五十八。萬厯六年の戸は四万五千二十四、口は四十一万九千百五十二。
- 河間(附郭)。西南に滹沱河、西に滱水、西南に景和鎮巡檢司がある。
- 獻(府の南)。元の獻州で、洪武の初めに州治の樂夀縣を州に併合し、八年四月に県に降格した。滹沱河が代郡から境内に流れ入り、県の南を経て青縣で衛河と合し海に達する。單家橋巡檢司がある。
- 阜城(府の南)。元では景州に属し、洪武七年に府に改属した。西北に胡盧河があり、すなわち『禹貢』の衡漳水である。
- 肅寜(府の西)。中堡河が県の東にある。
- 任邱(府の北、やや西)。元では莫州に属し、洪武七年に府に改属した。西北に瓦濟河があり、下流は五官淀となって滹沱河に注ぐ。北に莫州があり、元では莫亭縣を治所として河間路に属したが、洪武七年七月に州・県ともに廃された。
- 交河(府の東南)。元では獻州に属し、洪武八年四月に府に改属、十年五月に獻縣に併合され、十三年十一月に再置された。東に衛河があり、衛輝から流れ出て故城の境に入り、県の東を経て滄州を過ぎ、さらに東北の直沽で海に入る。一名を御河という。また西北に高河があり、県の南を経て滹沱と合するのを交河といい、下流は衛河に入る。県名はこれによる。また南に洚河、東に泊頭鎮巡檢司がある。
- 青(府の東北)。元の清州で、洪武の初めに州治の㑹川縣を州に併合し、八年四月に県に降格、まもなく清を青と改めた。滹沱河が県の南から流れて衛河に入るところを岔河口といい、その支流で県の北を経るものを獨流河という。
- 興濟。元では清州に属し、洪武の初めに廃され、十三年に再置されて府に属した。衛河が城の西にある。
- 靜海(府の東北)。元では靖海といい清州に属した。洪武の初めに改名し、八年四月に北平府に改属、十年五月に来属した。県の北に小直沽があり、衛河が西から来て白河と合し海に入る。また丁字沽・鹹水沽がある。さらに北に天津衛があり、永樂二年(1404年)十一月に置かれた。
- 寜津(府の東南)。南に土河があり、山東の徳州から流れ入り、また東に流れて山東の樂陵縣の境に入る。
- 景州。洪武の初め、州治の蓚縣を州に併合した。東に衛河、東北に胡盧河、また東に安陵、西北に宋門の二巡檢司がある。さらに東北に李晏鎮がある。西北に府まで百八十五里。県三を領する。
- 呉橋(州の東、やや南)。西に衛河がある。
- 東光(州の東北)。洪武七年七月に阜城縣に併合され、十三年十一月に再置された。南に衛河、また胡盧河がある。
- 故城(州の南、やや西)。衛河が山東の武城縣から境内に流れ入る。また西南に索盧枯河がある。
- 滄州。洪武の初め、州の清池縣を州に併合した。旧治は東南にあったが、洪武二年五月に長蘆に移した。すなわち今の治所である。東は海に臨み、西に衛河、南に浮河、北に長蘆巡檢司がある。西に府まで百五十里。県三を領する。
- 南皮(州の西南)。衛河が県の西にある。
- 鹽山(州の東南)。東は海に臨み塩を産する。東南に鹽山がある。
- 慶雲(州の東南)。洪武六年六月に山東の樂安州の北の地を割いて置き、来属させた。
真定府
- 真定府(元の真定路、中書省に直𨽻)。洪武元年十月に府とし河南分省に属した。二年正月に山東に属し、三月に来属した。州五・県二十七を領する。東北に京師まで六百三十里。𢎞治四年の編戸は五万九千四百三十九、口は五十九万七千六百七十三。萬厯六年の戸は七万四千七百三十八、口は十九万三千五百三十一。
- 真定(附郭)。滹沱河が城の南にある。また北に滋河があり、山西の靈邱縣から流れ入り、行唐縣の張茂村を経て伏流して見えなくなり、府の北の南孟社で再び現れ、下流は南易水に合する。
- 井陘(府の西南)。元では廣平路の威州に属し、洪武二年に来属した。東南に城山、また甘淘河(一名を冶河)があり、南で綿蔓水と合する。また故闗がその西にある。
- 獲鹿(府の西南)。西に抱犢山・西屏山、また蓮花山があって白鹿泉がここから出る。東流して西河となり、すなわち洨水の上源である。また土門闗が西にあり、井陘關ともいう。
- 元氏(府の西南)。西北に封龍山があり泜水がここから出て、下流は胡蘆河に入る。西南に槐水があり、下流を野河という。
- 靈夀(府の西北)。衛水があり源は恒山。『禹貢』にいう「恒衛既に従う」とはこれである。俗に雷溝河という。東北で滹沱に入る。北に义頭鎮巡檢司があったが、のち慈峪鎮に遷った。
- 藁城(府の東南)。北に滹沱河、また滋河がある。
- 欒城(府の南)。県の北に旧城があり、今の治所は洪武の初めに移したものである。西に洨河がある。
- 無極(府の東、やや北)。元では中山府に属したが洪武の初めに廃され、四年(1371年)七月に再置されて定州に属し、七年四月に府に改属した。南に滋河がある。
- 平山(府の西、やや北)。北に滹沱河、東北に冶河があってこれに入る。西北に房山、西に十八盤・下口村の巡檢司がある。
- 阜平(府の西北)。東北に大茂山、北に派河、西に龍泉闗がある。
- 行唐(府の北)。元では保定路に属し、洪武二年に定州に属し、正統十三年(1448年)十月に真定府に直𨽻した。西に滋河、西北に兩嶺口巡檢司がある。
- 定州(元の中山府)。洪武二年正月に定州と改め、三年に州治の安喜縣を州に併合した。滱水が北、沙河が南にあり、下流で滱水と合する。西北に倒馬闗と宁禦千戸所(守禦千戸所の誤りか)があり、景㤗二年に置かれた。この関は紫荆・居庸とともに内三闗とされる。北に清風店巡檢司がある。西南に府まで百三十里。県二を領する。
- 新樂(州の西南)。西南に沙河がある。
- 曲陽(州の西北)。元では保定路に属し、洪武二年に来属した。恆山が西北にあり恆水がここから出る。また沙河が南にあり、山西の繁峙縣から流れ入る。
- 冀州。洪武二年、州治の信都縣を州に併合した。西北に漳水、北に滹沱河がある。成化十八年(1482年)に滹沱が漳を挟んで南に注ぎ州の患いとなったが、正徳十二年(1517年)に二水が寜晉縣の南北へ流れて患いはようやく止んだ。また北に洚水(一名を枯洚)があり、下流で漳に合する。西北に府まで二百八十里。県四を領する。
- 南宫(州の南、やや西)。旧城は県の西北にあり、成化十六年(1480年)に今の治所へ遷った。漳水が北、洚水が南にある。東南に董家廟堡巡檢司がある。
- 新河(州の西、やや南)。清水河があったが成化以後に埋まった。
- 棗强(州の東、やや北)。西北に索盧水があり、衛河の支流である。黄盧河ともいう。
- 武邑(州の東北)。西に洚水、西北に漳水がある。
- 晉州。洪武二年、州治の鼓城縣を州に併合した。南に滹沱河がある。西に府まで九十里。県三を領する。
- 安平(州の東北)。滹沱河はもと県の南にあったが、萬厯二十三年(1595年)に束鹿縣の南を流れるようになり、県境を通らなくなった。
- 饒陽(州の東北)。北に滹沱河、西南に饒河があり、滹沱河の支流である。
- 武强(州の東)。漳河が県の東にあり、また南に滹沱河がある。もとは漳に合していたが、萬厯二十六年(1598年)に北へ出て饒陽縣の境を通るようになり、県の滹沱河は涸れた。
- 趙州。洪武元年、州治の平棘縣を州に併合した。南に洨河があり、下流は胡盧河に入る。北に府まで百二十里。県六を領する。
- 栢鄉(州の南)。東北に野河(すなわち槐水)があり、下流は胡盧河に入る。
- 隆平(州の東南)。洪武六年九月に栢鄉縣に併合され、十三年十一月に再置された。東に灃水があり、東北で沙河と合し、下流は胡盧河に入る。沙河も槐水の別名である。また東北に大陸澤(また廣阿ともいう)があり、漳水が集まる。
- 高邑(州の西南)。黒水(すなわち槐水)があり、県の南の泲水と合流する。
- 臨城(州の西南)。南に敦輿山、西南に鐵山、西北に泜水があり、東に鈎盤山の下を経て泲水と合する。
- 贊皇(州の西南)。西南に贊皇山があり泲水がここから出る。沙水ともいう。また城の北に槐水、西北に黄沙嶺巡檢司がある。
- 寜晉(州の東、やや南)。東南に胡盧河があり、その上流はすなわち漳水である。深州・冀州の諸川がすべてここに集まる。東北に百尺口巡檢司がある。
- 深州。洪武二年、州治の靜安縣を州に併合した。南に旧城があり、今の治所はもと呉家莊で、永樂十年(1412年)にここへ遷った。滹沱河が東北、胡盧河が東南にある。𫝊家池巡檢司があったが、のち廃された。西に府まで二百五十里。県一を領する。
- 衡水(州の南、やや東)。旧城は県の西南にあり、永樂十三年(1415年)に今の治所へ遷った。西に漳水、南に洚水、また北に滹沱河がある。もとは漳と合していたが、成化八年(1472年)に北へ移って県境を通らなくなった。西南に鹽池がある。
順徳府
- 順徳府(元の順徳路、中書省に直𨽻)。洪武元年に府とし、十月に河南分省に属した。二年三月に来属した。県九を領する。京師まで千里。𢎞治四年の編戸は二万千六百十四、口は十八万千八百二十五。萬厯六年の戸は二万七千六百三十三、口は二十八万千九百五十七。
- 邢臺(附郭)。西北に夷儀山、また封山(一に西山という)、また黄榆嶺があってその上に黄榆關がある。漳水が東南にあり、河南の臨漳縣から流れ入り、下流は胡盧河となって交河縣で滹沱河と合する。これが漳水の本流である。また東南に百泉水があり、その下流が灃河(一名を渦水、また鴛鴦水)となる。西に西王社巡檢司がある。
- 沙河(府の南)。𢎞治四年に土砂が塞いだため県を西山の小屯に遷したが、十八年(1505年)六月に旧治に戻った。西南に磬口山があり鉄を産する。南に沙河(また湡水ともいう)がある。
- 南和(府の東、やや南)。南に漳河があり、県の西の灃河と合する。また県の西北に泜水があり、伏流して傍らに湧き出たものである。
- 任(府の東北)。東北に泜水、東に灃水がある。
- 内邱(府の北)。東南に泜水がある。
- 唐山(府の東北)。西北に堯山、西に泜水がある。
- 平鄉(府の東、やや南)。西南に漳河、西に沙河、また洺河、東に滏陽河がある。萬厯三十年(1602年)に漳が滏陽河を挟んで北へ出て沙・洺の諸河と合し、漳水の旧流はいっそう乱れた。
- 鉅鹿(府の東北)。漳水はもと県の東にあり、大小二河があってこれを新舊二河ともいったが、のち北へ移って県境に至らなくなり、二河は平地となった。北に鉅鹿澤があり、すなわち隆平縣の大陸澤である。澤のほとりにはもと鹽泉があった。
- 廣宗(府の東、やや北)。洪武十年六月に平鄉・鉅鹿の二県に併合され、十三年十一月に再置された。漳水はもと西にあった。また東に枯洚河がある。
廣平府
- 廣平府(元の廣平路、中書省に直𨽻)。洪武元年に府とし、十月に河南分省に属した。二年三月に来属した。県九を領する。東北に京師まで千里。𢎞治四年の編戸は二万七千七百六十四、口は二十一万二千八百四十六。萬厯六年の戸は三万千四百二十、口は二十六万四千八百九十八。
- 永年(附郭)。北に沙河、また洺水があり、河南の武安縣から流れ入る。西南にはまた滏水があり、河南の臨漳縣から流れ入る。滏陽河ともいう。西に臨洺鎮巡檢司、西南に黄龍鎮がある。
- 曲周(府の東北)。西南に漳水、東に滏陽河がある。
- 肥鄉(府の東南)。漳河が県の西北にある。
- 鷄澤(府の東北)。漳河が県の東にある。また西に洺河、また沙河があり、南から来て合流する。
- 廣平(府の東南)。北に漳河がある。
- 成安(府の南)。元では磁州に属し、洪武の初めに廃され、四年六月に再置されて来属した。西南に恆水があり河南の臨漳縣から流れ入り、その下流は衛河に合する。また南に漳水があり、これも河南の臨漳縣から流れ入る。
- 威(府の東北)。元の威州で、至正年間に州治の洺水縣を州に併合した。洪武二年四月に県に降格した。漳水はもと南にあり、洺水が西から流れ入る。
- 邯郸(府の西南)。元では磁州に属し、洪武元年に来属した。西北に洺河、東に滏陽河がある。
- 清河(府の東北)。元では大名路に属し、洪武六年九月に来属した。東に衛河がある。
大名府
- 大名府(元の大名路、中書省に直𨽻)。洪武元年に府とし、十月に河南分省に属した。二年三月に来属した。州一・県十を領する。東北に京師まで千百六十里。𢎞治四年の編戸は六万六千二百七、口は五十七万四千九百七十二。萬厯六年の戸は七万千百八十、口は六十九万二千五十八。
- 元城(附郭)。旧城は東にあり、洪武三十一年(1398年)に衛河で崩れてここへ移った。東に沙麓山、西に漳河、北に衛河(すなわち永濟渠)があり、河南の汲縣から流れ入り、下流で漳河に合する。東北に小灘鎮巡檢司がある。
- 大名(府の南、やや東)。元では元城縣とともに大名府の治所であった。洪武十年五月に魏縣に併合され、十五年(1382年)二月に再置され、永樂九年(1411年)に今の治所へ移った。北に愜山、東南に衛河がある。
- 魏(府の西、やや北)。旧治は県の西にあり、洪武三年にここへ遷った。南に魏河、また新旧二つの漳河があり、下流はいずれも衛河に合する。
- 南樂(府の東)。南に繁水があり、北流して衛河に入る。
- 清豐(府の東南)。元では開州に属し、洪武七年三月に府に改属した。西南に澶水があり、伏流して古の繁水城の西南に至る。これを繁水という。
- 内黄(府の西南)。元では滑州に属し、洪武七年三月に府に改属した。北に衛河、東に繁水、西に洹水、西北に回隆鎮があって回龍廟巡檢司がある。嘉靖三十六年(1557年)に漳河がここで決壊して衛河に入った。
- 濬(府の西南)。元の濬州で治所は浮邱山の西にあった。洪武二年四月に県に降格し、治所を山の東北の平坡に移した。嘉靖二十九年(1550年)に再び城を山頂に移した。すなわち今の治所である。東に大伾山(一名を黎陽山、また清澶山)、西に衛河、北に淇水があり、河南の淇縣から流れ入り、県の南を経て東流して衛に入る。これを黎水、また濬水という。また西に長豊泊、西南に新鎮巡檢司がある。
- 滑(府の西南)。元の滑州で、洪武二年四月に州治の白馬縣を州に併合し、七年三月に県に降格した。西北に衛河、東南に老岸鎮巡檢司がある。
- 開州。洪武二年四月、州治の濮陽縣を州に併合した。大河の故道が城の南にある。正統十三年に河が決壊してここへ入り、景㤗五年(1454年)に塞いだ。北に府まで百六十里。県二を領する。
- 長垣(州の南)。旧治は県の東北にあり、洪武二年に河の水害のため古の蒲城に遷った。南に黄河の故道、東南に朱家口があり、正統十三年に河がここで決壊した。また南に大社口があり、萬厯十五年(1587年)に河がまたここで決壊した。さらに東南に大岡巡檢司がある。もとは永豐里に置かれ、まもなく竹林に移り、のち大岡に移った。
- 東明(州の北)。洪武十年五月に開州および長垣縣に併合され、𢎞治三年(1490年)九月に再置されて府に属した。萬厯年間にまた州に属した。その旧治は今の県の南にあり、洪武の初めに今の県の西へ移り、𢎞治三年にはじめて今の治所に遷った。南に黄河、杜勝集巡檢司がある。
永平府
- 永平府(元の永平路、中書省に直𨽻)。洪武二年に平灤府と改め、四年三月に永平府とした。州一・県五を領する。西に京師まで五百五十里。𢎞治四年の編戸は二万三千五百三十九、口は二十二万八千九百四十四。萬厯六年の戸は二万五千九十四、口は二十五万五千六百四十六。
- 盧龍(附郭)。東南に陽山、西に灤河があり、開平から県境を流れる。漆河が北から来てこれに入る。東に肥如河があり、城の西を経て漆に入る。北に桃林口闗がある。
- 遷安(府の西北)。北に都山、東に灤河がある。また北に劉家口・泠口・青山口などの関がある。
- 撫寧(府の東、やや南)。旧治は陽河の西にあり、洪武六年十二月に移し、十三年にまた兎耳山の東に遷った。東南は海に臨む。東に檢河、また陽河(一名を洋河)があり、いずれも塞外から流れ入り、東南に海に注ぐ。東に山海闗があり、洪武四年九月に山海衛をここに置いた。北に撫寧衛があり、永樂元年二月に置かれた。また堇家口・義院口などの関がある。東に一片石口があり、一名を九門水口という。
- 昌黎(府の東南)。西北に碣石山、東南に溟海(また七里海ともいう)がある。黒陽河があり、天津から県に達する海路である。また蒲泊があってもと塩を産し、ここに恵民鹽埸を置いた。北に界嶺口・箭捍嶺などの関がある。
- 灤州。洪武二年九月、州治の義豐縣を州に併合した。南は海に臨み、東に灤河がある。また南に開平中屯衛があり、永樂元年二月に沙峪からここへ移した。東北に府まで四十里。県一を領する。
- 樂亭(州の東南)。南は海に臨み、西に灤河があって県の北の岳婆港を経て二つに分かれ、東を葫蘆河、西を定流河といい、それぞれ海に入る。景㤗年間に葫蘆河が塞がり、定流河だけが海に入るようになった。その水は清く碧いので緑洋溝ともいう。また西南に新橋海口巡檢司があり、萬厯四十三年(1615年)に灤州の西の榛子鎮へ移った。
延慶州
- 延慶州(元の龍慶州、大都路に属す)。洪武の初めに永平府に属し、三年三月に北平府に属したがまもなく廃された。永樂十二年(1414年)三月に隆慶州を置いて北京行部に属させ、十八年(1420年)十一月に京師に直𨽻させた。隆慶元年(1567年)に延慶州と改めた。
- 西に阪泉山、南に八逹嶺、東北に媯川(俗に清水河という)があり、下流は桑乾河に注ぐ。また西南に沽河、東南に岔道口があって居庸闗と接する。関口には居庸闗守禦千戸所があり、洪武三年に置かれた。建文四年(1402年)に燕王が改めて隆慶衛とし、隆慶元年に延慶衛と称した。東南にはまた桞溝營があり、隆慶の初めにここに城を築いて防禦のための拠点とした。
- 県一を領する。東南に京師まで百八十里。𢎞治四年の編戸は千七百八十七、口は二千五百四十四。萬厯六年の戸は二千七百五十五、口は一万九千二百六十七。
- 永寧。もと永寧衛で、洪武十二年九月に置かれた。永樂十二年三月に衛城に県を置いた。媯川が西にある。東に四海冶堡があり天順八年(1464年)に置かれた。西北に靖胡堡、東南に黒漢嶺堡、北に周四溝堡があり、いずれも嘉靖年間に置かれた。また劉斌堡は萬厯三十二年(1604年)に置かれたものである。
保安州
- 保安州(元では上都路の順寧府に属す)。洪武の初めに廃された。永樂二年閏九月に保安衛を置き、十三年(1415年)正月に衛城に州を再置して北京行部に属させ、十八年十一月に京師に直𨽻させた。
- 旧州城は西南の山下にあったが、景㤗二年に雷家跕へ移した。すなわち今の治所である。西南にはまた涿鹿山があり涿水がここから出る。西北に磨笄山(また鷄鳴山ともいう)、また鷂皃嶺がある。桑乾河が西南にあり、山西の蔚州から流れ入る。東に媯川があってこれに入る。これを合和口という。西に寗川があり、これも桑乾に入る。東に東八里堡・良田屯堡・麻谷口堡があり、いずれも洪武二十五年(1392年)に置かれた。南に美峪守禦千戸所があり、もとは州の西の美峪嶺にあって永樂十二年に置かれ、十六年(1418年)二月に董家莊へ移り、景㤗二年にまたここへ移した。山西の蔚州と境を接する。
- 東南に京師まで三百里。𢎞治四年の編戸は四百四十五、口は千五百六十。萬厯六年の戸は七百七十二、口は六千四百四十五。
萬全都指揮使司
- 萬全都指揮使司(元の順寧府、上都路に属す)。洪武四年三月に府が廃され、宣徳五年(1430年)六月にここへ司を置いた。
- 衛十五を領する(蔚州・延慶左・永寧・保安の五衛はいずれも当該の州県に設けられている)。守禦千戸所三(廣昌・美峪の二所もその地に設けられている)。堡五。東南に京師まで三百五十里。
- 宣府左衛(元の宣徳縣で順寧府の治所)。洪武四年に県が廃され、二十六年(1393年)二月に衛を置いて山西行都司に属させた。二十八年(1395年)四月に宣府䕶衛と改めて谷王府に属させた。三十五年(1402年)十一月に宣府䕶衛を廃して復置し、治所を保定に移した。永樂元年二月に後軍都督府に直𨽻させ、宣徳五年六月にもとの治所に戻して改属させた。洪武二十四年(1391年)四月に谷王府を建てたが、永樂元年に湖廣の長沙へ遷した。西に灤河があり、源は炭山、下流は開平の境に入る。南に桑乾河があり、洋河が東流してこれに入る。また順聖川があって二百里余に延び、下流もまた桑乾河に合する。北に東西二城があり、その東城は順聖縣で元では順寧府に属し、西城は𢎞州で元では大同路に属した。洪武年間にいずれも廃されたが、天順四年(1460年)に二城を修築した。また東北に大白陽・小白陽および龍門闗などの堡、東南に鷄鳴驛堡、北に葛峪堡、西北に長峪口・青邉口・羊房などの堡がある。
- 宣府右衛。洪武二十六年二月に置かれ、左衛と同じ城にあって山西行都司に属した。二十八年四月に宣府䕶衛と改めて谷王府に属し、三十五年十一月に宣府䕶衛を廃して復置し、治所を定州に移した。永樂元年二月に後軍都督府に直𨽻し、宣徳五年六月にもとの治所へ戻して改属した。
- 宣府前衛。洪武二十六年に置かれ、宣府城を治所として山西行都司に属した。永樂元年二月に後軍都督府に隷属させ、宣徳五年六月に改属した。
- 萬全左衛(元の宣平縣、順寧府に属す)。洪武四年に県が廃され、二十六年二月に衛を置いて山西行都司に属した。三十五年に治所を山西の蔚州に移し、永樂元年二月に通州に移して後軍都督府に直𨽻し、まもなくもとの治所に戻った。宣徳五年に改属した。北に洋河があり、西海子が西から来てこれに入る。また西北に沙城堡、西に會河堡、東に寧逺站堡がある。東に都司まで六十里。
- 萬全右衛。洪武二十六年二月に置かれ、左衛と同じ城にあって山西行都司に属した。三十五年に治所を山西の蔚州に移し、永樂元年二月に通州へ移して後軍都督府に直𨽻し、二年に徳勝堡に移った。宣徳五年に改属した。北に翠屏山、また野狐嶺、西北に白陽河があり下流は灤河に入る。東に張家口堡、西に新河口堡、北に膳房堡・上莊堡、西北に新開口・柴溝・洗馬林などの堡、西南に渡口堡、また西陽河堡がある。東に都司まで八十里。
- 懐安衛(元の懐安縣、興和路に属す)。洪武三年に興和府に属し、山西の大同府に改属したがまもなく廃された。二十六年二月に衛を置いて山西行都司に属し、永樂元年二月に後軍都督府に直𨽻し、宣徳五年六月に改属した。西北に花山、北に蕁蔴嶺、南に水溝口河があって東流して洋河に入る。東北に威寧縣があり元では興和路に属したが洪武年間に廃された。また西に李信屯堡があり、嘉靖十六年(1537年)に置かれた。東に都司まで百二十里。
- 保安右衛。永樂十五年(1417年)に順聖川に置かれ後軍都督府に直𨽻した。十七年(1419年)に治所を西沙城に移し、二十年(1422年)に懐安城内へ移った。宣徳五年六月に改属した。
- 懐來衛(元の懐來縣、龍慶州に属す)。洪武二年に永平府に属し、三年三月に北平府に属したがまもなく廃された。三十年正月に懐來守禦千戸所を置き、永樂十五年に懐來左衛と改め、翌年に懐來衛と称して後軍都督府に直𨽻した。宣徳五年六月に改属した。北に螺山があり、滏山ともいうという説がある。東南に媯川、西に沽河、また西南に土木堡、東南に榆林堡、また殷繁水がある。西北に都司まで百五十里。
- 延慶右衛。もと隆慶右衛で、永樂二年に居庸闗の北口に置かれ後軍都督府に直𨽻した。宣徳五年六月に来属し、治所を懐來城に移した。隆慶元年に改称した。
- 開平衛。もと獨石堡で、宣徳五年に築き、六月に開平の旧城から衛をここへ移した。東に東山があり韭菜川がここから出て、城の南を経て氊㡌山の水と合する。また南に獨石水があり、下流は龍門川に合する。南に半壁店・猫兒峪などの堡、東北に清泉堡がある。西南に都司まで三百里。
- 龍門衛。宣徳六年(1431年)七月に旧龍門縣に置かれた。東に紅石山があり紅石水がここから出て、下流は龍門川に合する。西に大松山、北に洗馬嶺、西北に金家莊堡、東に三岔口堡がある。西に都司まで百二十里。
- 興和守禦千戸所。永樂二十年に興和の旧城から宣府城内へ移り、宣徳五年六月に改属した。
- 龍門守禦千戸所。宣徳六年七月に李家莊に置かれた。西に西高山、東に白河、北に牧馬堡、東に寧遠堡、東北に長仲地・滴水涯などの堡、東南に様田堡がある。西南に都司まで二百四十里。
- 長安嶺堡。永樂九年に置かれ、𢎞治二年(1489年)にここへ守禦千戸所を置いた。長安嶺があり槍桿嶺という。西北に鷹窩山泉がある。西南に都司まで百四十里。
- 鵰鶚堡。宣徳五年六月に置かれた。北に浩門嶺、南に南河があり下流は白河に入る。西南に都司まで百七十里。
- 赤城堡。宣徳五年六月に置かれた。東に赤城山、また東河(すなわち通州の白河の上源)があり、また西河がこれに合する。西北に鎭寧堡があり、𢎞治十一年(1498年)に置かれた。西南に都司まで二百里。
- 雲州堡。元の雲州で上都路に属した。洪武三年七月に北平府に属し、五年七月に廃された。宣徳五年六月に堡を置き、景㤗五年にここへ新軍千戸所を置いた。東北に龍門山(また龍門峽ともいう)があり、その下が龍門川である。また北に灤河、東北に金蓮川、西北に鴛鴦泊がある。また金蓮川の東に鎮安堡があり、成化八年に置かれた。西南に都司まで二百十里。
- 馬營堡。宣徳七年(1432年)に置かれた。西北に冠㡌山、南に灤河、また西北に君子堡、西に松樹堡、東南に倉上堡がある。西南に都司まで二百里。
北平行都指揮使司
- 北平行都指揮使司。もとの大寧都指揮使司で、洪武二十年(1387年)九月に置かれた(治所は大寧衛)。二十一年(1388年)七月に改称し、衛十を領した。永樂元年三月にもとの名に復し、治所を保定府に仮寓させたため、その地は空になった。景㤗四年(1453年)に㤗寧など三衛が大寧の廃地に住むことを願い出たが許さず、塞から二百里外に去って住まわせた。天順以後、ついに三衛のものとなった。西南に北平布政司まで八百里。
- 大寜衛(元の大寧路で大定縣を治所とし遼陽行省に属す)。洪武十三年に府として北平布政司に属したがまもなく廃された。二十年八月に衛を置き、九月に左・右・中の三衛を分置し、まもなくさらに前・後の二衛を置いた。二十八年四月に左・右・後の三衛を營州左・右・中の三䕶衛と改めた。永樂元年二月にこれを廃し、また中・前の二衛を京師に移して後軍都督府に直𨽻させた。洪武二十四年四月に寧王府がここに建てられたが、永樂元年に江西の南昌へ遷った。南に土河、東南に大鹻塲、東北に恵和縣、また武平縣、東に和衆縣があり、元ではいずれも大寧路に属したが洪武年間にすべて廃された。
- 新城衛。洪武二十年九月に置かれ、永樂元年に廃された。行都司まで六十里。
- 富峪衛。もと富峪守禦千戸所で、洪武二十二年(1389年)二月に置かれ、二十四年五月に衛と改めた。永樂元年二月に京師へ移して後軍都督府に直𨽻させた。行都司まで百二十里。
- 會州衛。洪武二十年九月に置かれ、永樂元年に廃された。南に冷嶺、西北に馬孟山があり広さ千里、土河の源がここから出て、下流は漌河に合し、また南に流れて遼水に入る。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 木榆衛。洪武二十年九月に置かれ、永樂元年に廃された。行都司までの里数は底本に「缺」とあり欠けている。
- 全寧衛(元の全寧路、中書省に直𨽻)。洪武年間に廃され、二十二年四月に衛を置いたが、永樂元年に廃された。潢河、また黒龍江がある。西南に行都司まで二百…里(「二百」の下の字は底本が空白になっている)。
- 營州左屯衛。洪武二十六年二月に置かれ、永樂元年三月に治所を順義縣に移して大寧都司に属した。南に塔山がある。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 營州右屯衛(元の建州、大寧路に属す)。洪武年間に州が廃され、二十六年二月にこの衛を置いた。永樂元年三月に治所を薊州に移して大寧都司に属した。西北に行都司まで四百里。
- 營州中屯衛(元の龍山縣、大寧路に属す)。洪武年間に県が廃され、二十六年二月にこの衛を置いた。永樂元年三月に治所を平谷縣の西に移して大寧都司に属した。南に榆河がある。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 營州前屯衛(元の興州、上都路に属す)。洪武三年七月に北平府に属し、五年七月に廃され、二十六年にこの衛を置いた。永樂元年三月に治所を香河縣に移して大寧都司に属した。西に新開嶺、南に老河があり、源は馬孟山、ここを経てさらに行都司の城の南を経て東北に潢河に入る。西南に興安縣があり、元では興州に属したが順帝の後至元五年(1339年)四月に廃された。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 營州後屯衛。洪武二十五年八月に置かれ、永樂元年三月に治所を三河縣に移して大寧都司に属した。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 興州左屯衛。洪武年間に置かれ、永樂元年二月に治所を玉田縣に移して後軍都督府に直𨽻した。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 興州右屯衛。洪武年間に置かれ、永樂元年二月に治所を遷安縣に移して後軍都督府に直𨽻した。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 興州中屯衛。洪武年間に置かれ、永樂元年二月に治所を良鄉縣に移して後軍都督府に直𨽻した。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 興州前屯衛。洪武年間に置かれ、永樂元年二月に治所を豐潤縣に移して後軍都督府に直𨽻した。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 興州後屯衛。洪武年間に置かれ、永樂元年二月に治所を三河縣に移して後軍都督府に直𨽻した。行都司までの里数は底本が空白になっている。
- 開平衛(元の上都路、中書省に直𨽻)。洪武二年に府として北平行省に属したが、まもなく府を廃して衛を置き、北平都司に属させた。永樂元年二月に衛の治所を京師に移して後軍都督府に直𨽻し、四年二月にもとの治所へ戻した。宣徳五年に治所を獨石堡に遷して改属し、兵を班分けしてここに哨備させたが、のち廃された。西北に臥龍山、南に南屏山、また灤河、東北に香河、また簸箕河・閭河、西南に兔皃河があり、下流はいずれも灤河に合する。また東に涼亭・沈阿・賽峯・黄崖の四駅があって道は大寧の古北口に接し、西に桓州・威虜・明安・隰寧の四駅があって道は獨石に接する。いずれも洪武年間に置かれ宣徳以後に廃された。また西北に寧昌路、東北に應昌路、北に㤗寧路、また徳寧路があり、元ではいずれも中書省に直𨽻した。西に桓州があり元では上都路に属した。洪武年間にすべて廃された。北平都司までの里数は底本が空白になっている。
- 開平左屯衛。洪武二十九年(1396年)八月に七合營に置かれ、永樂元年に廃された。都司までの里数は底本が空白になっている。
- 開平右屯衛。洪武二十九年に軍臺に置かれ、永樂元年に廃された。北平都司までの里数は底本が空白になっている。
- 開平中屯衛。洪武二十九年に沙峪に置かれ、永樂元年二月に治所を真定府に移して後軍都督府に直𨽻し、まもなく灤州の西の石城廃縣へ移った。都司までの里数は底本が空白になっている。
- 開平前屯衛。洪武二十九年八月に偏嶺に置かれ、永樂元年に廃された。北平都司までの里数は底本が空白になっている。
- 開平後屯衛。洪武二十九年八月に石塔に置かれ、永樂元年に廃された。北平都司までの里数は底本が空白になっている。
- 興和守禦千戸所(元の隆興路、中書省に直𨽻。皇慶元年〈1312年〉十月に興和路と改めた)。洪武三年に府として北平布政司に属し、四年以後に府が廃され、三十年正月に所を置いた。永樂元年二月に後軍都督府に直𨽻し、二十年にアルタイ(阿魯台)に攻められて治所を宣府衛城に移したため、所の地は空になった。東北に凌霄峯、南に威逺川、西に魚皃灤、また西に集寧路があり元では中書省に直𨽻した。西北に寶昌州があり元では興和路に属し、また高原縣があって元では興和路の治所であった。洪武年間にいずれも廃された。北平都司までの里数は底本が空白になっている。
- 寛河守禦千戸所。洪武二十二年二月に置かれ、永樂元年二月に治所を遵化縣に移して引き続き大寧都司に属し、また寛河衛を京師に仮に置いて後軍都督府に直𨽻させた。東南に寛河(一名を豹河)があり、下流は遷安縣の西北を経てさらに東で灤河に合する。北平都司までの里数は底本が空白になっている。
- 宜興守禦千戸所(元の宜興縣、興州に属す。致和元年〈1328年〉八月に宜興州に昇格)。洪武二年に衛を兼ね置いて永平府に属し、三年三月に北平府に属し、六月に衛を改めて守禦千戸所とした。五年七月に州が廃されて所だけが残り、永樂元年に所も廃された。北平都司までの里数は底本が空白になっている。
南京
- 南京は『禹貢』の揚州・徐州・豫州三州の域にあたる。元では江北の地を河南江北等処行中書省に属させ、さらに淮東道宣慰使司を分置して(治所は揚州路)これに属させた。江南の地は江浙等処行中書省に属した。
- 明の太祖は丙申年(1356年)七月に江南行中書省を置いた(治所は應天府)。洪武元年八月に南京を建て、行中書省を廃して應天等の府を中書省に直𨽻させ、衛所を大都督府に直𨽻させた。
- 十一年(1378年)正月、南京を改めて京師とした。十三年正月己亥、中書省を廃してその領地を六部に直𨽻させ、癸邜に大都督府を改めて五軍都督府とし、その所属を中軍都督府に直𨽻させた。永樂元年正月、あらためて南京と称した。
- 統べる府は十四、直𨽻州は四、属州は十七、県は九十七(編里は一万三千七百四十余り)。北は豐・沛に至る(山東・河南と境を接する)。西は英山に至る(河南・湖廣と境を接する)。南は婺源に至る(浙江・江西と境を接する)。東は海に至る。北京までの距離は三千四百四十五里。
應天府
- 應天府(元の集慶路、江浙行省に属す)。太祖の丙申年三月に應天府と称した。洪武元年八月に都を建てて南京といい、十一年に京師といい、永樂元年にあらためて南京とした。
- 城郭について。洪武二年九月に新城の造営を始め、六年八月に完成した。内側を宮城といい、紫禁城ともいう。門は六つ。正南を午門、左を左掖、右を右掖、東を東安、西を西安、北を北安という。宮城の外の門は六つ。正南を洪武、東を長安左、西を長安右、東の北を東華、西の北を西華、北を𤣥武という。
- 皇城の外を京城といい、周九十六里、門は十三。南を正陽、南の西を通濟、さらに西を聚寶、西南を三山、また石城、北を太平、北の西を神策、また金川、また鍾阜、東を朝陽、西を清涼、西の北を定淮、また儀鳳という。のちに鍾阜・儀鳳の二門を塞ぎ、十一門が残った。
- その外郭は洪武二十三年(1390年)四月に築かれ、周百八十里、門は十六。東を姚坊・仙鶴・麒麟・滄波・高橋・雙橋、南を上方・夾岡・鳳臺・大馴象・大安徳・小安徳、西を江東、北を佛寧・上元・觀音という。
- 県八を領する。洪武二十六年の編戸は十六万三千九百十五、口は百十九万三千六百二十。𢎞治四年の戸は十四万四千三百六十八、口は七十一万千三。萬厯六年の戸は十四万三千五百九十七、口は七十九万五百十三。
- 上元(附郭)。太祖の丙申年に県治を淳化鎮へ遷し、翌年もとの治所に戻した。東北に鍾山があり、山の南に孝陵衛があって洪武三十一年に置かれた。北に覆舟山、西北に鷄鳴山・幕府山、また東北に攝山、東南に方山があり、北は大江に臨む。東南に秦淮水があり、北流して城に入り、また西に出て大江に入る。また北に元武湖、東に青溪、また淳化鎮巡檢司がある。
- 江寧(附郭)。南に聚寶山・牛首山、西南に三山・烈山・慈姥山があり、西は大江に臨む。東北に靖安河、西南に大勝闗・江寧鎮、東南に秣陵闗、西に江東の四巡檢司がある。北に龍江闗があり、ここに戸部の分司を置いた。
- 句容(府の東)。南に茅山、北に華山があり秦淮水はここに源を発する。北は大江に臨み、西北に龍潭巡檢司がある。
- 溧陽(府の東南)。元の溧陽州で、洪武二年に県に降格した。東南に鐡山・銅山、西南に鐡冶山、北に長蕩湖(一名を洮湖)があり宜興・金壇の二県と境を分ける。西北に溧水(一名を瀬水)があり、上は丹陽湖を承け東流して宜興縣の荆溪となり太湖に入る。旧名を永陽江、また中江という。西北に上興埠巡檢司があったが、のち廃された。
- 溧水(府の東)。元の溧水州で、洪武二年に県に降格した。東南に東廬山があり秦淮水の別源がここから出る。南に石臼湖があり、西は丹陽湖に連なり大江に注ぐ。
- 高淳(府の南)。𢎞治四年に溧水縣の高浮鎮を割いて置いた。西南に固城・丹陽・石臼の諸湖がある。東南に廣通鎮があり、俗に東壩という。廣通鎮巡檢司がある。
- 江浦(府の西)。もと六合縣の浦子口巡檢司で、洪武九年六月に県と改め、和州・滁州および江寧縣の地を割いて加えた。二十五年七月に江北の新開路口へ移し、旧治にはひきつづき巡檢司を置いた。東南は大江に臨む。江淮衛があり、洪武二十八年正月に置かれた。また西江口巡檢司がある。
- 六合(府の西北)。元では真州に属し、洪武三年に揚州府に直𨽻し、二十二年二月に来属した。東に瓜歩山があり大江に臨む。滁河の水が西から来てこれに入る。瓜埠巡檢司がある。
鳳陽府
- 鳳陽府(元の濠州、安豐路に属す)。太祖の呉元年(1367年)に臨濠府に昇格した。洪武二年九月にここに中都を建て、留守司を置いた。六年九月に中立府といい、七年八月に鳳陽府といった。
- 城郭について。洪武二年九月に中都城を旧城の西に建て、三年十二月に完成した。周五十里四百四十三歩、門は九つ。正南を洪武、南の左を南左甲第、右を前右甲第、北の東を北左甲第、西を後右甲第、正東を獨山、東の左を長春、右を朝陽、正西を塗山という。中を皇城とし、周九里三十歩、正南の門を午門、北を元城、東を東華、西を西華という。
- 州五・県十三を領する。南京まで三百三十里。洪武二十六年の編戸は七万九千百七、口は四十二万七千三百三。𢎞治四年の戸は九万五千十、口は九十三万千百八。萬厯六年の戸は十一万千七十、口は百二十万二千三百四十九。
- 鳳陽(附郭)。洪武七年八月に臨淮縣の地を割いて置き府治とし、十一年にさらに虹縣の地を割いて加えた。北は淮に臨む。南に鏌鋣山があり濠水が西から出る。また西南に皇陵城があり、洪武二年に衛を置いた。西北に長淮闗があり、洪武六年にここへ長淮衛を置いた。東北に洪塘湖屯田守禦千戸所があり、洪武十一年に置かれた。
- 臨淮(府の東北)。元では鍾離といい濠州の治所であった。洪武二年九月に中立と改め、三年十一月に臨淮と改め、七年に府に属した。北は淮に臨む。二つの濠水があり、東源は濠塘山、西源は鏌鋣山から出て、城の西南で合流し東流して淮に入る。
- 懷遠(府の西北)。荆山が県の西南、塗山が県の東南にあり、淮水は両山の峡間を流れる。北肥水がこれに入る。また北に渦水があってこれも淮に入り、これを渦口という。また西南に洛水があり夀州と境を分け、県の南の新城村を経て淮に入る。洛河鎮巡檢司がある。
- 定遠(府の南)。南に池河、西に洛河がある。また英武衛が北に、飛熊衛が東北にあり、いずれも洪武十一年に置かれた。
- 五河(府の東北)。元では泗州に属し、洪武四年二月に来属した。旧治は県の南にあったが、永樂元年に水で崩れ、西北の境へ移した。嘉靖二十五年(1546年)に澮河の北へ遷った。すなわち今の治所である。東は淮に臨む。東南に漴河、西北に澮河・沱河、東北に潼河があり、並び流れて淮に合する。これを五河口という。また西に上店巡檢司があったが、のち廃された。
- 虹(府の東北)。元では泗州に属し、洪武七年七月に来属した。南に汴河、東南に潼河、西に沱河がある。
- 夀州(元の安豐路、河南江北行省に属す)。太祖の丙午年(1366年)に夀春府といい、呉元年に夀州として臨濠府に属した。洪武二年九月に中書省に隷属させ、四年二月にもとに戻して属させ、のち州治の夀春縣を州に併合した。北は淮に臨み、淮水は山の峡間を通る。これを硤石山といい、西肥水が来て合する。東北に八公山があり、東肥水がその下を経て西へ淮に入る。これを肥口という。また西北に頴水があってこれも淮に入る。また南に芍陂水、西に渒水があり、いずれも淮に入る。また北に下蔡縣、南に安豐縣があったが、いずれも洪武年間に廃された。下蔡鎮巡檢司がある。また東に北爐鎮、西に正陽鎮の二巡檢司がある。東に府まで百八十里。県二を領する。
- 霍邱(州の西南)。西南に大别山があり、北は淮に臨む。史河・灃河がいずれも流れ入る。南に開順鎮・丁塔店、西に髙唐店の三巡檢司がある。
- 䝉城(州の北)。北に渦水、また北肥水がある。
- 泗州(元では淮安路に属す)。太祖の呉元年に臨濠府に属し、洪武二年九月に中書省に直𨽻し、四年二月にもとに戻して府に属し、のち州治の臨淮縣を州に併合した。南は淮に臨み、汴水が城の北から南流して入る。西に府まで二百十里。県二を領する。
- 旴眙(州の南)。東南に都梁山、東北に龜山、西に浮山があり、北は淮に臨む。池河が西から来て入る。また東北に洪澤湖があり、淮水が集まるところである。また西に舊縣巡檢司がある。
- 天長(州の東南)。冶山が県の南にある。西北に石梁河があり、下流は五湖となって高郵州の境に接する。東北に城門鄉巡檢司がある。
- 宿州(元では歸徳府に属す)。洪武四年二月に来属した。龍山が西南にあり北肥水がここから出る。また北に雎河があり河南の永城縣から流れ入り、下流は宿遷縣に至って淮に合する。小河ともいう。南に汴河があり、これも永城縣から流れ入る。また澮河があって渙水と合する。また東南に沱水がある。東南に府まで二百三十三里。県一を領する。
- 靈璧(州の東)。西南に齊眉山、北に磬石山、東北に黄河、南に汴河、北に睢河がある。また南に固鎮巡檢司がある。
- 頴州(元では汝寧府に属す)。洪武四年二月に来属した。淮河が南にあり、河南の固始縣から流れ入り、下流は大河に合して海に入る。また南に汝水があり河南の息縣から流れ入り、朱臯鎮を経て淮に入る。また北に穎河があり河南の沈邱縣から流れ入る。洪武二十四年に黄河が河南で決壊し、陳州から穎に合して太和縣を経、さらに州城の北を経、さらに穎上縣を経て夀州で淮に入った。永樂九年に河はもとの道に復した。宣徳・正統・成化・正徳のあいだ、河と穎は通じたり塞がったりした。俗に穎を小黄河とも呼ぶ。西北にはまた沈邱鎮巡檢司がある。東に府まで四百四十里。県二を領する。
- 潁上(州の東南)。東に潁河、南に淮河、東北に西肥水がある。
- 太和(州の西北)。南に潁水(また沙河ともいう)、北に西肥水がある。また洪山・北原和の二巡檢司がある。
- 亳州(元では歸徳府に属す)。洪武の初めに州治の譙縣を州に併合し、まもなく県に降格して歸徳州に属した。六年に潁州に属し、𢎞治九年(1496年)十月に再び州に昇格した。西に渦河があり河南の鹿邑縣から流れ入る。北に馬尚河があって合流する。南に西肥水があり、すなわち夏肥水である。また東南に城父縣があったが洪武年間に廃された。また義門巡檢司がある。東南に府まで四百五十里。
淮安府
- 淮安府(元の淮安路、淮東道宣慰司に属す)。太祖の丙午年四月に府とした。州二・県九を領する。西南に南京まで五百里。洪武二十六年の編戸は八万六百八十九、口は六十三万二千五百四十一。𢎞治四年の戸は二万七千九百七十八、口は二十三万七千五百二十七。萬厯六年の戸は十万九千二百五、口は九十万六千三十三。
- 山陽(附郭)。北は淮に臨み、高家堰がその西南にある。南に運河があり永樂年間に浚った。西南に永濟河があり、萬厯九年(1581年)に開いた。長さ六十五里、新運河ともいう。東南に射陽湖、東北に馬邏鄉・廟灣鎮・羊寨鄉の三巡檢司がある。
- 清河(府の西)。県治は黄河に臨んでいたが、崇禎の末に県の東南の甘羅城へ遷した。南に淮河があり、東北で黄河と合する。これを清口といい、旧くは泗口といった。徐州からここまではすべて泗水の故道で、黄河に奪われたものである。南に洪澤湖があり洪澤巡檢司がある。また東に馬頭鎮巡檢司がある。
- 鹽城(府の東南)。東は海に臨み鹽埸がある。北に射陽湖、西に清溝、西北に喻口鎮の二巡檢司がある。
- 安東(府の東北)。元の安東州で、洪武二年正月に県に降格した。東北の朐山が南にあり、東北に鬰洲山が海中にある。洪武の初めにここへ東海巡檢司を置いたが、のち州の南の新壩へ移した。西南に漣河、また尋墟湖があり、南は海に臨む。南に淮水があり、東北に雲梯闗を過ぎて折れ曲がり海に入る。清口からここまではすべて淮水の故道で、黄河に奪われたものである。また漣水が西北から来て東南に流れ淮に入る。また西北に碩項湖、東北に五港口・長樂鎮、東南に壩上の三巡檢司がある。
- 桃源(府の西北)。元では桃園といい、洪武の初めに改名した。北に大河があり、すなわち泗水の故道である。西北に古城巡檢司、東に三義鎮巡檢司があり、崇禎の末に県の西の白洋河鎮へ移った。
- 沭陽(府の北)。元では海寧州に属し、洪武の初めに改属した。東南に沭水があり山東の郯城縣から流れ入り、その下流が漣水となる。また北に桑墟湖がある。
- 海州(元では海寧州といった)。洪武の初めに海州に復し、州治の朐山縣を州に併合した。北に于公浦・白溝浦などの浦があり、いずれも塩を産する。南に恵澤、西北に高橋の二巡檢司がある。南に府まで二百七十里。県一を領する。
- 贑榆(州の北)。西北に羽山があり、東は海に臨む。東北に获水鎮、南に臨洪鎮の二巡檢司がある。
- 邳州(元では歸徳府に属す)。洪武の初めに州治の下邳縣を州に併合した。四年二月に中都に改属し、十五年に来属した。北に艾山があり山東の沂水縣の境に接する。西に沂水があり沂州から西流して下邳で泗に入る。また西北に泇河があり、萬厯三十五年(1607年)に泇を開いて漕運を通じた。沛縣の夏鎮から直河口まで長さ二百六十里余で、黄河の難所三百里余を避けるものである。直河口巡檢司がある。また西に新安巡檢司がある。東南に府まで四百五十里。県二を領する。
- 宿遷(州の東南)。北に㟃峿山、南に大河(すなわち泗水の故道)がある。また東南に雎水があって大河に入り、これを睢口、また小河口という。また東南に白洋河、西北に駱馬湖があり、いずれも大河に入る。東北に劉家莊巡檢司がある。
- 雎寧(州の南)。北は大河に臨む。睢水が西から来て県境を経て睢口で河に入る。
揚州府
- 揚州府(元の揚州路、淮東道宣慰司に属す)。太祖の丁酉年(1357年)十月に淮海府といい、辛丑年(1361年)十二月に維揚府といい、丙午年正月に揚州府といった。州三・県七を領する。西に南京まで二百二十里。洪武二十六年の編戸は十二万三千九十七、口は七十三万六千百六十五。𢎞治四年の戸は十万四千百四、口は六十五万六千五百四十七。萬厯六年の戸は十四万七千二百十六、口は八十一万七千五十六。
- 江都(附郭)。元末に廃され、太祖の辛丑年に復置した。西に蜀岡、東に官河(すなわち古の䢴溝、今の運河)があり、南は大江に臨む。東北に艾陵湖、北に邵伯湖があり邵伯鎮巡檢司がある。また東に萬夀鎮、西北に上官橋、南に瓜洲鎮の三巡檢司がある。また東に歸仁鎮巡檢司があり、のち便益河口へ遷った。
- 儀真(府の西)。元の真州で楊子縣を治所とした。洪武二年に州が廃され、県を儀真と改めた。西北に大小の銅山があり、南は江に臨む。南に運河、東南に舊江河巡檢司があり、まもなく県の南の汊河口へ移った。
- 㤗興(府の南)。南は江に臨む。西北に口岸鎮、東に黄橋鎮、南に印莊の三巡檢司がある。
- 高郵州(元の高郵府、淮東道宣慰司に属す)。洪武元年閏七月に州に降格し、州治の高郵縣を州に併合した。西に運河、西北に樊梁・甓社・新開などの湖、西南に白馬塘、北に張家溝、東北に時堡の二巡檢司がある。また西に北阿鎮、東に三垜鎮がある。西南に府まで百二十里。県二を領する。
- 寶應(州の西)。西に運河、また汜光・白馬・射陽などの湖がある。南に槐樓鎮、西南に衡陽の二巡檢司がある。
- 興化(州の東)。南に運河、東に得勝湖、東北に安豐巡檢司がある。また東北に鹽塲がある。
- 㤗州。洪武の初め、州治の海陵縣を州に併合した。東は海に臨み、南は江に臨む。西に運河、東北に西溪鎮、北に寧鄉鎮、東南に海安鎮の三巡檢司がある。西に府まで百二十里。県一を領する。
- 如臯(州の東南)。大江が県の南、運河が県の北にある。東に掘港、南に石莊、北に西塲の三巡檢司がある。また東南に白浦鎮がある。
- 通州。洪武の初め、州治の静海縣を州に併合した。南に狼山があり大江に臨む。狼山巡檢司がある。東南は海に臨み、もと海門島および布州夾があった。西に運鹽河、また東北に石港巡檢司がある。城の南に豐利監があり、宋が置いたものである。西に府まで四百里。県一を領する。
- 海門(州の東)。旧治は禮安鄉にあったが海で崩れ、正徳七年(1512年)に餘中塲へ移し、嘉靖二十四年(1545年)八月に金沙塲へ遷って水害を避けた。海が東にあり、大江はここで海に入る。また西に張港、東に呉陵、また安東壩上、また白塔河の四廵檢司がある。東南に料角嘴がある。
蘇州府
- 蘇州府(元の平江路、江浙行省に属す)。太祖の呉元年九月に蘇州府といった。州一・県七を領する。西に南京まで五百八十八里。洪武二十六年の編戸は四十九万千五百十四、口は二百三十五万五千三十。𢎞治四年の戸は五十三万五千四百九、口は二百四万八千九十七。萬厯六年の戸は六十万七百五十五、口は二百一万千九百八十五。
- 呉(附郭)。西に姑蘇山、西南に横山、また穹窿・光福などの山がある。また太湖があり、縦横三百八十三里、周三万六千頃、蘇州・常州・嘉興・湖州四府の境にまたがる。具區ともいい五湖ともいう。中に包山・莫釐山がある。また南に呉淞江があり、松江・松陵江・笠澤ともいい、太湖から分かれて東流し海に入る。また西に運河、西南に木瀆・東山・舟頭の三巡檢司がある。また横金巡檢司があったが、のち廃された。
- 長洲(附郭)。西北に虎邱山、また陽山、また長蕩湖・陽城湖などがある。東に婁江があり源は太湖。東南に運河、また北に呉塔、東南に陳墓の二巡檢司がある。また東に唐湖巡檢司があったが、のち廃された。
- 呉江(府の東南)。元の呉江州で、洪武二年に県に降格した。西は太湖に臨み、東に呉淞江、また運河、また東南に白蜆江がある。また東に同里、南に平望、西南に震澤、東南に簡村・汾湖の五巡檢司がある。また東に長橋、西南に瀾溪、東南に因瀆の三巡檢司があったが、のち廃された。
- 崑山(府の東)。元の崑山州で、洪武二年に県に降格した。南に呉淞江、西に女婁江、東南に澱山湖がある。また南に千墩浦、東に夏駕浦があり、いずれも婁江に注ぐ。東南に石浦巡檢司があり、のち千墩浦口へ移った。西北に巴城巡檢司があり、のち県の西の真義鎮へ移った。
- 常熟(府の北)。元の常熟州で、洪武二年に県に降格した。萬厯の末に避諱して嘗熟といった。西北に虞山、北に福山があって大江に臨み、福山浦がある。また東に白茒浦、東北に許浦、西北に溪浦・黄泗浦があり、これを五大浦といい、いずれも太湖の西北の水を分けて大江に注ぐ。南に運河がある。許浦・白茅・黄泗・福山の四巡檢司がある。
- 嘉定(府の東)。元の嘉定州で、洪武二年に県に降格した。東は海に臨み、南に運河、また南に呉淞江、西南に白鶴江、西南に青龍江、南に蟠龍江があり、いずれも呉淞江に□(底本欠字)して海に入る。また劉河が県の北にあり、すなわち婁江である。また東南に呉淞江守禦千戸所があり、洪武十九年(1386年)に置かれた。また寶山守禦千戸所があり、もと恊守呉淞中千戸所で、嘉靖三十六年に置かれ萬厯五年(1577年)に改称した。また東に顧逕、東南に江灣の二巡檢司がある。また西南に呉塘、南に南翔の二巡檢司があったが、のち廃された。
- 太倉州。もと太倉衛で、太祖の呉元年四月に置かれた。𢎞治十年(1497年)正月に衛城に州を置き、崑山・常熟・嘉定三県の地を割いて加えた。東は海に臨み、海口に鎮海衛があり洪武十二年十月に置かれ、のち太倉衛城へ移った。南に劉河があり、その海に入るところを劉河口という。劉家港巡檢司がある。北に七鴉浦があり、これも東流して海に入る。また東北に甘草巡檢司がある。また唐茜涇口巡檢司があったが、のち東花浦口へ移り、まもなく廃された。また茜涇巡檢司もあったが廃された。西に府まで百五里。県一を領する。
- 崇明(州の東)。元の崇明州で揚州路に属した。洪武二年に県に降格し、八年に蘇州府に改属、𢎞治十年正月に来属した。旧治は県の東北にあり東沙といったが、海に崩され、永樂十九年(1421年)・嘉靖八年(1529年)・三十三年(1554年)と三たび遷ったがいずれも水に崩された。萬厯十三年(1585年)に平洋沙巡檢司の地へ遷った。すなわち今の治所である。四面は海に囲まれ、西に西沙、北に三沙の二巡檢司がある。
松江府
- 松江府(元では江浙行省に直𨽻)。太祖の呉元年正月にこれを踏襲した。県三を領する。西北に南京まで七百七十里。洪武二十六年の編戸は二十四万九千九百五十、口は百二十一万九千九百三十七。𢎞治四年の戸は二十万五百二十、口は六十二万七千三百十三。萬厯六年の戸は二十一万八千三百五十九、口は四十八万四千四百十四。
- 華亭(附郭)。崑山が県の西北にあり、東南は海に臨んで鹽塲がある。また西北に澱山湖、西に茒湖、東南に黄浦、西北に趙屯・大盈・顧㑹・松子・磐龍などの五浦があり、いずれも呉淞江に合して海に入る。東の海に金山衛があり、また東に青村守禦千戸所があり、いずれも洪武二十年二月に置かれた。西北に小貞村、西南に茒橋の二巡檢司がある。南に金山巡檢司があり、もと張堰に治所を置いたが、のち胡家巷へ遷った。東南に南橋巡檢司があり、もと戚睦にあったが、のち治所を移して改称した。また陶宅巡檢司があったが、のち廃された。また東南に拓林鎮があり、嘉靖年間に城を築いて守備した。
- 上海(府の東北)。東は海に臨み鹽塲がある。北に呉淞江があり巡檢司がある。東に黄浦があり巡檢司がある。東南に南滙觜守禦中後千戸所があり、洪武二十年二月に置かれた。また三林莊巡檢司があり、また南蹌巡檢司があったが、のち廃された。嘉靖三十六年に城を築いて川沙堡といい、兵を置いて守備させた。
- 青浦(府の西北)。嘉靖二十一年(1542年)四月に今の県の東北の新涇巡檢司の地に置き、華亭・上海二県の地を割いて加えた。三十二年(1553年)に廃して青龍鎮とし、あらためて新涇巡檢司を置いた。萬厯元年に唐行鎮に県を再置した。すなわち今の治所である。北に呉淞江、東に顧㑹などの浦、西南に澱山湖がある。また西に安莊鎮があり、澱山巡檢司をここに置いた。
常州府
- 常州府(元の常州路、江浙行省に属す)。太祖の丁酉年三月の丁亥に長春府といい、己丑に常州府といった。萬厯の末に避諱して嘗州府といった。県五を領する。西北に南京まで三百六十里。洪武二十六年の編戸は十五万二千百六十四、口は七十七万五千五百十三。𢎞治四年の戸は五万百三十一、口は二十二万八千三百六十三。萬厯六年の戸は二十五万四千四百六十、口は百万二千七百七十九。
- 武進(附郭)。東は晉陵縣で、元のときは同じ城内に治所を置いていた。太祖の丁酉年三月に武進縣を永定と改め、晉陵縣を京臨と改めたが、まもなく京臨を永定に併合した。壬寅年(1362年)八月にあらためて永定を武進と改めた。東南に馬跡山があり太湖に臨む。北に大江、西に孟瀆、また得勝新河があり、いずれも北へ江に入る。南に運河、西南に滆湖があり宜興と境を接し、東に陽湖があり無錫と境を接する。西に魏村閘守禦百戸所があり、洪武三年に置かれた。また奔牛巡檢司がある。西北に小河巡檢司があり、もと鄭港にあったが、のち小河寨へ移り、まもなくまた孟河城へ遷った。北に澡江巡檢司があり、もと江北の沙新河にあったが、のち県の北の於塘村へ遷った。
- 無錫(府の東)。元の無錫州で、洪武二年四月に県に降格した。西に慧山があり梁溪がここから出て西南で太湖に入る。その支峰を錫山という。西南に太湖、東南に運河がある。また西北に髙橋、東南に望亭の二巡檢司がある。
- 宜興(府の南)。元の宜興州で、太祖の戊戌年(1358年)十月に建寧州といい、まもなく宜興州に復した。洪武二年に県に降格した。西南に荆南山、また固山、また龍池山、東南に香蘭山があって太湖に臨む。また唐貢山があり茶を産する。西北に函山、長蕩湖、北に運河、南に荆溪、西南に百瀆があって荆溪の下流を分けて太湖に注いだが、のち多くが埋まって廃れた。東北に下邾、北に鍾溪、東南に湖㳇、西南に張渚の四巡檢司がある。
- 江陰(府の西北)。元の江陰州で江浙行省に直𨽻した。太祖の甲辰年(1364年)に連洋州といい、まもなく江陰州に復し、呉元年四月に県に降格して来属した。北に君山があり大江に臨む。西南にはまた秦望山、東に香山、南に運河がある。また申浦が西にあり、また黄田などの港があっていずれも大江に注ぐ。東に石頭港巡檢司、西に利港巡檢司があり、のち夏港へ移った。また東に范港巡檢司があったが、のち廃された。また楊舍鎮があり、嘉靖三十七年(1558年)に城を築いた。
- 靖江(府の東北)。成化八年九月に江陰縣の馬馱沙に置いた。大江はもと二派に分かれて県の南北を巡っていたが、天啟以後に潮の砂が積もり、県の北の大江はしだいに平地となった。西南に新港巡檢司がある。
鎮江府
- 鎮江府(元の鎮江路、江浙行省に属す)。太祖の丙申年三月に江淮府といい、十二月に鎮江府といった。県三を領する。西に南京城まで二百里。洪武二十六年の編戸は八万七千三百六十四、口は五十二万二千三百八十三。𢎞治四年の戸は六万八千三百四十四、口は十七万千五百八。萬厯六年の戸は六万九千三十九、口は十六万五千五百八十九。
- 丹徒(附郭)。北に北固山があり大江に臨む。江中の西北に金山、東北に焦山、また城の西の江口に蒜山があり、京峴山が東に、東圌山が北にあって江に臨む要害である。また運河があり、河の西に高資鎮、東北に安巷、東に丹徒鎮、北に姜家觜の四巡檢司がある。
- 丹陽(府の東南)。北は大江に臨む。また練湖、南に運河がある。また東に吕城鎮巡檢司があり、まもなく鎮の東へ移った。また包港巡檢司があり、まもなく顧巷へ移った。
- 金壇(府の東南)。西に芽山、東南に長蕩湖(一名を洮湖)があり湖溪巡檢司がある。北に白鶴溪がある。
廬州府
- 廬州府(元の廬州路、河南江北行省に属す)。太祖の甲辰年七月に府とし、ここに江淮中書行省を置いたがまもなく罷めた。州二・県六を領する。南京まで五百十里。洪武二十六年の編戸は四万八千七百二十、口は三十六万七千二百。𢎞治四年の戸は三万六千五百四十八、口は四十八万六千五百四十九。萬厯六年の戸は四万七千三百七十三、口は六十二万二千六百九十八。
- 合肥(附郭)。西に鷄鳴山があり肥水がここから出て東南に流れ巣湖に入る。西南に紫蓬山、東に浮槎山・横山、また東南に四頂山があって巣湖を見下ろす。湖は周四百里余、中に姥山・孤山がある。また東北に滁水があり源は龍潭、下流は六合縣に至って江に入る。また東に店阜河、南に三汊河があり、いずれも巣湖に入る。東北に梁縣があったが洪武の初めに廃された。西南に廬鎮闗巡檢司があり、のち県の東の石梁鎮へ移った。
- 舒城(府の西南)。西南に龍眼山があり桐城縣と境を接する。西に三角山、東に巣湖、また南に北峽闗があり、これも桐城と境を接する。
- 廬江(府の南)。元では無為州に属し、洪武の初めに府に改属した。東北に冶父山、東に巣湖、東南に黄陂湖、西に冷水闗があり巡檢司がある。
- 無為州。洪武年間に州治の無為縣を州に併合した。大江が東南にある。東に濡湏水(一名を天河)があり、巣湖から分かれて東北に流れ江に入る。また東に奥龍河鎮、東南に泥汊河鎮・土橋河鎮、北に黄落河鎮の四巡檢司がある。西北に府まで二百八十里。県一を領する。
- 巢(州の北)。東南に七寳山があり、含山縣の濡湏山と向かい合ってそびえ、その上に西闗がある。巣湖が西にあり、西北に柘臯河が流れ入る。南に石梁河があり、すなわち濡湏の上流である。東南に清溪がこれに入る。西南に焦湖巡檢司がある。
- 六安州。洪武四年二月に中都臨濠府に属し、州治の六安縣を州に併合した。六十年に改属した(年次は底本のまま。洪武十年の誤りか)。西に淠水(また沘水ともいう)があり、下流は夀州に至って淮に入る。西南に麻埠巡檢司があったが、のち廃された。また西北に和尚灘巡檢司があり、𢎞治年間に霍山縣に属し、のち新店へ移してまた来属させた。東に府まで百八十里。県二を領する。
- 英山(州の西南)。県治はもと直河鄉にあったが、崇禎十二年(1639年)に西北の章山へ移し、十六年(1643年)にまた北境の添樓鄉へ遷った。多雲山が西北にあり湖廣の羅田縣の境に接する。西に英山河があり、湖廣の浠水の上源である。
- 霍山(州の西南)。もと六安州の故埠鎮巡檢司で、𢎞治二年に県に改めた。南に霍山があり、天柱山、衡山ともいい、また南岳という。東南に鐵鑪山があって鉄の産地が多い。また西南に四十八盤山がある。また淠河が東にあり、源は霍山、下流は夀州に至って淮に入る。西北に千羅畈、西南に上土市の二巡檢司がある。
安慶府
- 安慶府(元の安慶路、河南江北行省に属す)。太祖の辛丑年八月に寧江府といい、壬寅年四月に安慶府といった。県六を領する。北に南京まで六百五十里。洪武二十六年の編戸は五万五千五百七十三、口は四十二万二千八百四。𢎞治四年の戸は四万六千五十、口は六十一万六千八十九。萬厯六年の戸は四万六千六百九、口は五十四万三千四百七十六。
- 懷寧(附郭)。南は大江に臨む。西に皖水が流れ入り、皖口という。西北に觀音港巡檢司、東に長風沙鎮巡檢司がある。
- 桐城(府の東北)。東に浮山(一名を浮度山)、西北に龍眠山、北に北峽山があり舒城と境を接する。北峽闗巡檢司がある。また北に西峽山があり、南峽石ともいう。夀州の峽石に対してこちらが南だからである。東南は江に臨み、樅陽河が西北から流れ入る。また東に六百丈、東南に馬踏石・源子港の三巡檢司がある。
- 潛山(府の西北)。元末に廃され、洪武の初めに再置した。西北に灊山があり、天柱山、皖公山ともいう。すなわち霍山である。皖水がここから出て、別流を灊水といい、合流して大江に注ぐ。また天堂山があり後部河がここから出る。天堂寨巡檢司がある。
- 太湖(府の西北)。西北に司空山、城の西に馬路河があり、すなわち後部河の下流で、東で灊水に合する。また西北に南陽・白沙、東北に小池、北に後部の四巡檢司がある。
- 宿松(府の西南)。東に馬頭山、また小姑山が県の南の大江中にあり、江西の彭澤縣と境を接する。小姑山巡檢司がある。また西南に歸林灘、南に涇江口の二巡檢司がある。
- 望江(府の西南)。南は江に臨む。東に雷池があり南へ江に入る。これを雷江口、また雷港という。巡檢司がある。西に泊湖、北に慈湖、東北に漳湖があり、下流はいずれも江に入る。また西南に陽灣鎮巡檢司がある。
太平府
- 太平府(元の太平路、江浙行省江東道に属す)。太祖の乙未年(1355年)六月に府とした。県三を領する。東に南京まで百三十五里。洪武二十六年の編戸は三万九千二百九十、口は二十五万九千九百三十七。𢎞治四年の戸は二万九千四百六十六、口は十七万三千六百九十九。萬厯六年の戸は三万三千二百六十二、口は十七万六千八十五。
- 當塗(附郭)。城の北に采石山(一名を牛渚山)があり大江に臨む。西南に博望山があり、和州の梁山と江を挟んで向かい合う。東梁山ともいう。また丹陽湖が東南にあり周三百里余、蕪湖の西に分流して江に入る。南に姑熟溪、また黄池河、西南に大信河、北に慈湖があり、いずれも大江に入る。采石・大信の二巡檢司がある。
- 蕪湖(府の西南)。西南に戰鳥山が大江中にあり、西北に七磯、南に魯明江(一名を魯港)、また石硊河があり、いずれも大江に注ぐ。西に河口鎮巡檢司があり、のち魯港鎮へ移った。
- 繁昌(府の西南)。西北に磕山が江中にあり、また三山磯が東北にあって江に臨む。また西に荻港があり大江に入る。三山・荻港の二巡檢司がある。
池州府
- 池州府(元の池州路、江浙行省江東道に属す)。太祖の辛丑年八月に九華府といい、まもなく池州府といった。県六を領する。東北に南京まで五百五十里。洪武二十六年の編戸は三万五千八百二十六、口は十九万八千五百七十四。𢎞治四年の戸は一万四千九十一、口は六万九千四百七十八。萬厯六年の戸は一万八千三百七十七、口は八万四千八百五十一。
- 貴池(附郭)。南に齊山、北は江に臨む。東に梅根港、西に池口河(すなわち貴池)、また西に李陽河があり、いずれも大江に流れ入る。池口鎮・李陽河の二巡檢司がある。
- 青陽(府の東)。西南に九華山、北に青山、西に五溪水があって九華山から出る。また南に臨城河があり、いずれも合流して大通河となり江に入る。
- 銅陵(府の東北)。南に銅官山、東に城山があり、西は大江に臨む。また南に大通河、北に荻港河があり、いずれも大江に入る。大通巡檢司がある。
- 石埭(府の東南)。北に陵陽山、西に櫟山があり官溪がここから出る。すなわち池口河の源である。また舒溪が南にあり、下流は蕪湖縣の魯港に合して江に入る。
- 建徳(府の西南)。南に龍口河があり東南へ饒州府の獨山湖に入る。また堯城縣があり、下流は東流縣の江口河となって江に入る。また西南に永豐鎮巡檢司がある。
- 東流(府の西)。西南に馬當山があり大江に枕んで江西の彭澤縣と境を接する。南に香口河があり江に流れ入る。香口鎮巡檢司があり、のち吉陽鎮へ移った。
寧國府
- 寧國府(元の寧國路、江浙行省に属す)。太祖の丁酉年四月に寧國府といい、辛丑年四月に宣城府といい、丙午年正月に宣州府といい、呉元年四月にあらためて寧國府といった。県六を領する。北に南京まで三百十里。洪武二十六年の編戸は九万九千七百三十二、口は五十三万二千二百五十九。𢎞治四年の戸は六万三百六十四、口は三十七万千五百四十三。萬厯六年の戸は五万二千百四十八、口は三十八万七千十九。
- 宣城(附郭)。北に敬亭山、西に清弋江があり西北の蕪湖縣で江に入る。また東に宛溪があり東北の溪と合して北流し大江に入る。また南湖も東北にあり、句溪に注ぐ。北に黄池鎮、東北に水陽鎮の二巡檢司がある。
- 南陵(府の西)。西に工山、南に吕山があり淮水がここから出る。東に青弋江、また西南に漳水があって淮水と合し青弋江に入る。また南に峩嶺巡檢司がある。
- 涇(府の西南)。南に承流山、西に賞溪(また涇溪ともいう)があり、その上流はすなわち舒溪である。また東南に藤溪が来て合し、下流は青弋江に入る。東南に茹蔴嶺巡檢司がある。
- 寧國(府の東南)。西に紫山、西北に文春山、東南に千秋嶺があって関がある。東に東溪があり浙江の於潛縣の天目山から出る。西に西溪があり績溪縣の巃叢山から出る。すなわち句溪の上源である。東南に嶽山巡檢司があり、もと嶽山の下に置かれたが洪武年間に紐口へ遷り、さらに石口鎮へ移った。また西南に胡樂巡檢司がある。
- 旌徳(府の南)。北に石壁山、西に正山、西南に箬嶺があり太平・歙の二県と境を接する。東に徽水があり績溪縣から流れ入る。すなわち藤溪の上流である。東北に烏嶺巡檢司があったが廃された。また北に三溪巡檢司がある。
- 太平(府の西南)。南に黄山があり歙縣と境を分ける。西に龍門山があり巡檢司がある。南に麻川があり舒溪と合流して涇縣に入り賞溪となる。西南に宏潭巡檢司があり、のち郭巖前へ移った。
徽州府
- 徽州府(元の徽州路、江浙行省に属す)。太祖の丁酉年七月に興安府といい、呉元年に徽州府といった。県六を領する。北に南京まで六百八十里。洪武二十六年の編戸は十二万五千五百四十八、口は五十九万二千三百六十四。𢎞治四年の戸は七千二百五十一、口は六万五千八百六十一。萬厯六年の戸は十一万八千九百四十三、口は五十六万六千九百四十八。
- 歙(附郭)。西北に黄山(また黟山ともいう)があり新安江がここから出て、東南に流れて歙浦となり、さらに東を新安江といい、浙江の建徳縣に至って東陽江と合して浙江の上源となる。また楊之水が西にあり徽溪ともいい、歙浦に合する。東南に街口鎮・王干寨の二巡檢司、西北に黄山巡檢司がある。
- 休寧(府の西)。東北に松蘿山、西に白嶽山、東南に率山があり率水がここから出る。新安江の別源である。西南に浙溪があり東流して率水と合する。また西に吉陽水(また白鶴溪ともいう)があり、下流は浙溪に合する。西南に黄竹嶺巡檢司があったがまもなく廃された。東南に□厦巡檢司があり、のち屯溪へ移った。
- 婺源(府の西南)。元の婺源州で、洪武二年正月に県に降格した。北に浙嶺があり浙溪水がここから出る。一名を漸溪といい、新安江の別源である。西北に大廣山があり婺水がここから出て南流して鄱陽湖に達する。また西南に太白、東に大鏞嶺の二巡檢司がある。また西に項村巡檢司があり、もと澆嶺に治所を置いたが、のち県の西北の嚴田へ移り、萬厯九年にもとに復した。
- 祁門(府の西)。東北に祁山、西に新安山、また武陵嶺、北に大共山があり大共水がここから出て南流して江西の浮梁縣の境に入る。大共嶺巡檢司がある。また西南に良禾嶺巡檢司があり、のち苦竹港へ移った。
- 黟(府の西)。西南に林厯山、また武亭山があり横江水がここから出る。また東北に吉陽山があり吉陽水がここから出る。南に魚亭山があり魚亭水がここから出る。いずれも横江に合流する。
- 績溪(府の東北)。西北に徽嶺山、東に大鄣山があり浙水がここから出る。これも新安江の別源である。また巃叢山が東北にあり楊之水がここから出て大鄣山の水と合する。叢山闗があり寧國縣と境を接する。東に西坑寨巡檢司があったがまもなく廃された。西北に濠寨巡檢司がある。
徐州
- 徐州(元では歸徳府に属す)。洪武四年二月に中都臨濠府に属し、十四年十一月に京師に直𨽻した。東南に雲龍山があり、天啟四年(1624年)に州治を雲龍山の東北へ遷した。盤馬山があって鉄を産し、また銅山がある。東南に吕梁山があり泗水が通る。大河が蕭縣から流れ入り州城の北を経て、そのまま泗水の道を奪い、東へ百歩洪・吕梁洪を経て邳州の境に入る。吕梁洪巡檢司がある。また雎水が南にある。
- 県四を領する。南に南京まで千里。洪武二十六年の編戸は二万二千六百八十三、口は十八万八百二十一。𢎞治四年の戸は三万四千八百八十六、口は三十五万四千三百十一。萬厯六年の戸は三万七千八百四十一、口は三十四万五千七百六十六。
- 蕭(州の西南)。旧治は県の西北にあり、今の治所は萬厯五年に移したものである。南に永固山、北に大河があり、もとの汴河の通っていた道である。南に睢水、また西北に趙家圈巡檢司がある。嘉靖四十四年(1565年)に大河がここで決壊した。
- 沛(州の西北)。元では濟寧路に属し、太祖の呉元年に来属した。南に大河、東に泗河があり山東の魚臺縣から境内に流れ入る。また泡河が西、薛河が東にある。また北に南沙河・北沙河があり、いずれも泗に合する。また昭陽湖が県の東にあり、東北に夏鎮がある。
- 豐(州の西北)。元では濟寧路に属し、太祖の呉元年に来属した。大河が南にあり、北に豐水(すなわち泡河)がある。
- 碭山(州の西)。元では濟寧路に属し、太祖の呉元年に来属した。東南に碭山があり、その北に芒山がある。大河が河南の虞城縣から流れ入り、もとは県の南を経ていたが、嘉靖三十七年に北へ移った。また南に雎水がある。
滁州
- 滁州(元では揚州路に属す)。洪武の初め、州治の清流縣を州に併合した。七年に鳳陽府に属し、二十二年二月に京師に直𨽻した。南に琅邪山、西南に清流山があり、清流闗がその南にある。清流水がここから出て滁水に合する。また滁水が全椒縣から流れ入り、下流は六合縣に至って江に入る。西に大鎗嶺巡檢司がある。
- 県二を領する。東に南京まで百四十五里。洪武二十六年の編戸は三千九百四十四、口は二万四千七百九十七。𢎞治四年の戸は四千八百四十、口は四万九千七百十二。萬厯六年の戸は六千七百十七、口は六万七千二百七十七。
- 全椒(州の南)。洪武の初めに廃され、十三年十一月に再置された。東南に九鬬山、西北に桑根山、また滁水が南にあり合肥縣から流れ入る。襄水が北から流れて合する。
- 來安(州の北)。洪武の初めに廃され、十三年十一月に再置された。東北に五湖山があり、その下に五湖がある。北に石固山、また來安水が東にあり、東南で清流河と合する。また東南に湯河があり南へ滁河に入る。東北に白塔鎮巡檢司がある。
和州
- 和州(元は厯陽縣を治所とし廬州路に属す)。洪武の初めに州を県に併合し、二年九月にあらためて県を州として引き続き廬州府に属した。七年に鳳陽府に属し、まもなく京師に直𨽻した。梁山が南にあり、當塗縣の博望山と江を挟んで向かい合う。これを天門山、また西梁山という。また東南に横江があり、南は當塗縣の采石磯に対する。水の南に柵江があり、すなわち濡湏水が江に入る口である。南に白石水、また裕溪河があり源は巣湖、いずれも南流して江に注ぐ。西に麻湖(また厯湖ともいう)があるが永樂年間に埋まった。東北に烏江縣があったが洪武の初めに廃された。東に浮沙口、南に裕溪鎮の二巡檢司がある。また南に牛屯河巡檢司があり、のち烏江鎮(すなわち旧烏江縣)へ移った。
- 県一を領する。東南に南京まで百三十里。洪武二十六年の編戸は九千五百三十一、口は六万六千七百十一。𢎞治四年の戸は七千四百五十、口は六万七千十六。萬厯六年の戸は八千八百、口は十万四千九百六十。
- 含山(州の西)。洪武の初めに廃され、十三年十一月に再置された。南に白石山があり白石水がここから出る。西南に濡湏山があり無為州と境を接し、西は巢縣の七寳山に対する。濡湏水がその間から出る。すなわち東闗口である。また南に三叉河があり、東で裕溪と合して江に入る。
廣徳州
- 廣徳州(元の廣徳路、江浙行省に属す)。太祖の丙申年六月に廣興府といい、洪武四年九月に廣徳州といった。十三年四月に州治の廣徳縣を州に併合し、京師に直𨽻した。西に横山、南に靈山、西北に桐川があり丹陽湖に集まって江に入る。白石水ともいう。南に廣安、西南に陳陽、北に杭村の三巡檢司がある。また東南に苦嶺闗があり、道は浙江の安吉州に通じる。また四安鎮がある。
- 県一を領する。北に南京まで五百里。洪武二十六年の編戸は四万四千二百六十七、口は二十四万七千九百七十九。𢎞治四年の戸は四万五千四十三、口は十二万七千七百九十五。萬厯六年の戸は四万五千二百九十六、口は二十二万千五十三。
- 建平(州の西北)。西南に桐川、また南碕湖(また南湖ともいう)があり宣城縣と境を接し、丹陽湖に流れ入る。北に梅渚、南に陳村の二巡檢司がある。