明史卷二十七 志第三 天文三

  • この巻は天文志の第三で、星晝見・客星・彗孛・天變・日變月變・暈適・星變・流隕・雲氣の九項目を収める。

星晝見――恒星

  • 洪武十九年(1386年)七月癸亥、二十年(1387年)五月丁丑と七月壬寅、二十一年(1388年)十二月丁夘、いずれも三辰が昼間に見えた。
  • 𢎞治十八年(1505年)九月甲午の申刻、河鼓と北斗が見え、庚子にも星が昼間に見えた。
  • 正徳元年(1506年)二月癸酉、星と斗が昼間に見えた。
  • 天啟二年(1622年)五月壬寅、日に随って昼間に見える星があった。
  • 崇禎十六年(1643年)十二月辛酉朔、星が昼間に見えた。

星晝見――嵗星

  • 景泰二年(1451年)九月甲辰、嵗星が昼間に見えた。
  • 景泰三年(1452年)六月壬戌、四年(1453年)五月丁丑と六月甲辰、五年(1454年)七月庚戌・壬子・癸亥、六年(1455年)七月丁酉。
  • 天順元年(1457年)五月丙子、五年(1461年)七月乙夘、六年(1462年)八月庚午、七年(1463年)三月乙巳。
  • 成化十四年(1478年)六月庚子と八月丁酉、十六年(1480年)七月丙申、十八年(1482年)九月癸亥、二十年(1484年)八月壬申。
  • 𢎞治元年(1488年)六月甲寅、二年(1489年)五月癸亥と六月甲午、五年(1492年)十月己酉、六年(1493年)九月癸夘、七年(1494年)十一月癸夘、九年(1496年)二月辛亥から甲寅まで・四月壬午、十年(1497年)正月甲寅から丙辰まで、十一年(1498年)八月甲申、十三年(1500年)四月庚子から乙巳まで、十四年(1501年)六月壬辰から乙未まで、いずれも同様であった。
  • 𢎞治十五年(1502年)六月には連日にわたり昼間に見えた。
  • 𢎞治十六年(1503年)七月辛夘、十七年(1504年)七月壬子、十八年(1505年)五月乙未・八月辛巳から九月癸未まで。
  • 正徳元年(1506年)十一月乙酉、二年(1507年)十一月辛酉から丁夘まで、六年(1511年)三月壬寅から四月壬申まで、九年(1514年)八月乙巳から甲寅まで、十二年(1517年)十月甲子から乙巳まで、いずれも同様であった。
  • 嘉靖二年(1523年)三月辛未。二十九年(1550年)八月戊寅には昼間に見えて井宿を守った。
  • 崇禎十一年(1638年)四月壬子、昼間に見えた。

星晝見――熒惑

  • 景泰三年(1452年)八月甲子、熒惑が未の位置に昼間に見えた。

星晝見――太白

  • 洪武四年(1371年)二月戊戌に昼間に見え、四月戊申、六月壬午朔にも見えた。五年(1372年)六月甲申から丁亥まで・十二月甲寅、八年(1375年)八月丁巳、九年(1376年)二月丁巳から己酉まで・三月壬申、十二年(1379年)閏五月戊戌、十三年(1380年)七月甲午、十五年(1382年)四月丁亥・七月戊申と辛酉・九月丁未朔、十六年(1383年)十月壬辰から乙未まで、十八年(1385年)四月己亥から辛丑まで・六月丙申から辛丑まで・辛亥、いずれも同様であった。
  • 洪武十八年九月戊寅、太白が経天し、熒惑と同度になった。乙酉に昼間に見え、丁亥にもまた見えて熒惑を犯した。十月癸巳から丙申まで昼間に見え、戊戌から辛丑まで、および十九年(1386年)十月甲申朔から庚寅まで、いずれも同様であった。
  • 洪武二十年(1387年)六月戊戌に経天し、七月壬寅から甲辰まで昼間に見えた。
  • 洪武二十一年(1388年)四月己巳と七月丙申、二十三年(1390年)三月丁亥、二十四年(1391年)八月辛巳、二十五年(1392年)二月辛酉、二十六年(1393年)四月甲辰、いずれも同様であった。同二十六年八月庚子には太隂とともに昼間に見えた。
  • 建文四年(1402年)七月庚子、経天した。
  • 永樂元年(1403年)五月癸未と癸夘、いずれも太隂とともに昼間に見えた。六月壬申にも太隂とともに昼間に見えた。四年(1406年)七月壬寅に昼間に見え、五年(1407年)八月丙申、六年(1408年)二月甲辰、八年(1410年)十月庚戌、十二年(1414年)九月癸未、十五年(1417年)七月己酉・八月庚戌にも見えた。
  • 洪熙元年(1425年)六月戊戌、七月乙巳、八月癸巳。
  • 宣徳六年(1431年)十月乙巳、八年(1433年)九月戊戌から甲寅まで、九年(1434年)十二月甲子、十年(1435年)七月丁亥。
  • 正統四年(1439年)七月壬子・十月丙申、六年(1441年)五月庚戌、いずれも同様であった。十一年(1446年)七月甲申に経天し、十三年(1448年)二月辛酉に昼間に見え、十四年(1449年)正月辛亥・八月丙子にも見えた。
  • 景泰元年(1450年)十月乙酉、二年(1451年)五月庚子と辛亥、いずれも同様であった。同二年壬子に経天し、三年(1452年)五月丁巳に昼間に見え、十一月壬戌、五年(1454年)正月甲戌・二月丙戌・六月癸夘、七年(1456年)正月戊戌にも見えた。
  • 天順元年(1457年)四月甲午・八月壬子、二年(1458年)十月己未、三年(1459年)四月癸亥と癸酉、四年(1460年)十一月庚寅・十二月丙戌、五年(1461年)正月丁未・十二月癸巳、六年(1462年)六月己丑・八月庚午、七年(1463年)閏七月辛酉と癸未、八年(1464年)正月庚申。
  • 成化元年(1465年)二月癸未、三年(1467年)四月癸丑、四年(1468年)六月丙申、六年(1470年)六月丙戌、七年(1471年)八月癸夘、いずれも同様であった。八年(1472年)正月乙夘には経天して日と明るさを争った。十一年(1475年)五月己未に昼間に見え、十二年(1476年)十月丙戌、十三年(1477年)十二月甲午も同様であった。十四年(1478年)六月庚子には嵗星とともに昼間に見え、八月甲午にも昼間に見えた。十五年(1479年)十二月丙子、十七年(1481年)三月癸未・八月癸亥、十八年(1482年)九月庚戌、十九年(1483年)四月癸亥朔、いずれも同様であった。二十年(1484年)八月壬申には嵗星とともに昼間に見え、二十一年(1485年)十一月丙辰に昼間に見え、二十二年(1486年)六月己丑、二十三年(1487年)九月丙午にも見えた。
  • 𢎞治元年(1488年)五月庚午、二年(1489年)正月壬戌・三月庚申・五月丙戌・八月癸巳と庚子、四年(1491年)四月辛未、五年(1492年)五月乙亥・十月辛酉、六年(1493年)十二月乙丑、七年(1494年)五月庚戌、八年(1495年)七月戊子、九年(1496年)二月己酉朔、十年(1497年)正月甲子から丁夘まで、いずれも同様であった。同十年六月丙子の未刻に経天した。八年癸未および十一年(1498年)十月辛巳に昼間に見えた(八年癸未は前後の順序が乱れており、底本のまま)。十二年(1499年)三月戊辰から壬申まで・八月庚寅も同様であった。十三年(1500年)四月庚子から乙巳までは嵗星とともに昼間に見え、十月丁未・巳酉(己酉の誤りか)にも見えた。十四年(1501年)十二月庚戌、十五年(1502年)五月庚寅から癸巳まで、十六年(1503年)七月壬辰、十七年(1504年)二月戊戌および六月癸亥、十八年(1505年)二月壬戌、いずれも昼間に見えた。同十八年五月辛亥に経天し、八月癸亥から戊辰まで昼間に見えた。
  • 正徳元年(1506年)十月己未も同様であった。二年(1507年)正月庚辰に経天し、三月戊辰に昼間に見えた。三年(1508年)五月乙巳から丁未まで・十月己夘と庚辰、四年(1509年)十月戊戌から乙巳まで、五年(1510年)五月丙子、六年(1511年)七月壬申から八月癸未まで、八年(1513年)正月丙戌から己丑まで・四月壬戌と癸亥・八月庚戌から乙夘まで、九年(1514年)十一月甲申から十二月壬辰まで、十一年(1516年)六月甲寅から己未まで、十四年(1519年)八月丙寅から庚辰まで、十五年(1520年)正月己未から二月辛酉まで、十六年(1521年)八月丁亥。
  • 嘉靖元年(1522年)九月辛未、いずれも同様であった。二年(1523年)三月辛未には嵗星とともに昼間に見えた。三年(1524年)四月庚戌に昼間に見え、五年(1526年)五月庚子、十一年(1532年)四月癸巳・十月辛巳と戊子・十一月甲寅、十三年(1534年)閏二月庚申、いずれも同様であった。同十三年五月癸巳には月とともに昼間に見えた。十七年(1538年)九月辛夘に昼間に見え、十八年(1539年)四月癸亥・十一月壬寅、二十年(1541年)十一月乙巳から丁未まで、二十二年(1543年)七月丙午、二十三年(1544年)二月辛巳、二十四年(1545年)閏正月戊寅、二十五年(1546年)十月辛夘、二十六年(1547年)四月丙申、二十七年(1548年)四月丁巳・十一月丙戌から乙未まで、二十八年(1549年)十一月乙酉から己丑まで、二十九年(1550年)六月戊申と甲寅、三十年(1551年)六月丙子から辛巳まで、三十一年(1552年)正月丙戌から丙申まで、三十二年(1553年)二月辛未から甲戌まで・七月戊辰から辛未まで、三十五年(1556年)五月壬午・十月癸夘から丙午まで、三十六年(1557年)十二月庚辰朔、三十八年(1559年)七月癸酉、三十九年(1560年)正月庚寅から壬辰まで、いずれも同様であった。四十年(1561年)三月丙子には昼間に見えること二十四日に及び、八月辛未にも昼間に見えた。四十一年(1562年)九月乙未、四十二年(1563年)四月己巳から壬申まで、四十三年(1564年)五月甲寅、いずれも同様であった。同四十三年十月戊子には昼間に見えること二十二日に及んだ。四十五年(1566年)正月己亥にも昼間に見えた。
  • 隆慶元年(1567年)七月辛酉、二年(1568年)正月甲寅、いずれも同様であった。三年(1569年)三月甲子には昼間に見えること二十二日に及び、四年(1570年)十一月乙丑から丁夘まで昼間に見えた。
  • 萬厯十一年(1583年)七月辛丑、十二年(1584年)七月癸巳、十六年(1588年)九月丁丑、二十一年(1593年)八月甲午、二十四年(1596年)十月丙寅、いずれも同様であった。二十七年(1599年)九月辛夘に経天し、三十七年(1609年)三月辛丑に昼間に見え、三十八年(1610年)十月辛巳、四十年(1612年)五月壬寅にも見えた。
  • 天啟二年(1622年)二月丙戌、三年(1623年)三月丁巳・十二月乙丑、五年(1625年)四月癸巳、いずれも同様であった。同五年七月癸酉に経天した。
  • 崇禎元年(1628年)七月壬戌に昼間に見え、三年(1630年)四月己夘・十二月丙辰も同様であった。

客星――名称についての議論

  • 『史記』天官書には客星という名はあるがその形状を詳しく述べず、国皇・昭明などの異星は詳しく叙べながら瑞星・妖星の名を立てていない。とすれば客星とは常には現れない星をいうもので、諸々の異星の総称であって特定の星に専属する名ではないのだろう。
  • 李淳風の志と晉書・隋書の天文志になって初めて、景星・含譽の類を瑞星とし、彗・孛・国皇の類を妖星とし、さらに周伯・老子などを客星とする区分が立てられ、その典拠を漢末の劉叡『荆州占』に置くという。
  • しかし含譽は瑞星とされながらその光芒は彗に似ており、国皇は妖星とされながらその形色はまた南極老人星に類する。瑞と妖にはたして定まった区別があるのか。
  • しかも周伯は一つの星でありながら、瑞星に属させては「その国は大いに昌える」といい、客星に属させては「その国に兵が起こり喪がある」という。この程度の説を法則とすることができようか。司馬遷が区別を立てなかったのには理由があったのである。
  • そこで今は実録に拠り、彗・孛は変異が特に甚だしいのですべて別に記し、老人星は長江以南では常に見えるが燕京では見えるはずがないので記さず、残りはすべて客星として年次順に編んだ。

客星――記録

  • 洪武三年(1370年)七月、太史が文星の出現を奏上した。
  • 洪武九年(1376年)六月戊子、弾丸ほどの大きさで白色の星が現れ、天倉に止まり、外屏・卷舌を経て紫微垣に入り、文昌を掃き、内厨を指し、張宿に入った。七月乙亥に消えた。
  • 洪武十一年(1378年)九月甲戌、五車の東北に星が現れ、一丈余りの芒を発し、内堦を掃いて紫微宮に入り、北極の五星を掃き、東垣の少宰を犯し、天市垣に入って天市を犯した。十月己未に至り曇って見えなくなった。
  • 洪武十八年(1385年)九月戊寅、太㣲垣に星が現れて右執法を犯し、端門から出た。乙酉に翼宿へ入り、彗の長さは一丈余り。十月庚寅に軍門を犯し、彗が天廟を掃いた。
  • 洪武二十一年(1388年)二月丙寅、東壁から星が出た。占に「文士が用いられる」とあり、帝は大いに喜んで、進士を策問するにあたっての吉兆だとした。
  • 永樂二年(1404年)十月庚辰、輦道の東南に盞ほどの星があり、黄色でつやのある光を放って動かなかった。
  • 永樂二十二年(1424年)九月戊戌、斗宿に星が現れた。椀ほどの大きさで色は黄白、光が地を照らし、砂石を撒くような音がした。
  • 宣徳五年(1430年)八月庚寅、南河のそばに星が現れた。弾丸ほどの大きさで色は青黒、二十六日で消えた。十月丙申、蓬星が外屏の南に現れ、東南へ進んで天倉・天庾を経て、八日で消えた。十二月丁亥、弾丸ほどの星が九斿のそばに現れ、黄白でつやのある光を放ち、十五日で隠れた。
  • 宣徳六年(1431年)三月壬午、またこれが現れた。
  • 宣徳八年(1433年)閏八月戊午、景星が西北方の天門に三つ現れた。青・赤・黄が各一つで大きさは椀ほど、明るく澄んでおり、長らくして半月の形に集まった。丁丑には黄赤色のものが東南方に現れ、星のようで星ではなく、雲のようで雲ではなかった。おそらく歸邪星であろう。
  • 景泰三年(1452年)十一月癸未、鬼宿の積尸気のそばに星が現れ、ゆっくり西へ動いた。
  • 天順二年(1458年)十一月癸夘、星宿に白色の星が現れて西へ動き、丙午にはその体が微かになり、粉絮のような形で軒轅のそばにあった。庚戌に五寸の芒を生じ、爟位の西北の星を犯し、十二月壬戌に東井に没した。
  • 天順五年(1461年)六月壬辰、天市垣の宗正のそばに粉白色の星が現れ、乙未に白気となって消えた。
  • 天順六年(1462年)六月丙寅、䇿星のそばに星が現れた。色は蒼白で、紫㣲垣に入って天牢を犯し、癸未に中台の下に居て、形が次第に微かになった。
  • 𢎞治三年(1490年)十二月丁巳、天市垣に星が現れて東南へ動き、戊辰には天倉の下に見えて次第に壁宿の方へ向かった。
  • 𢎞治七年(1494年)十二月丙寅、天江のそばに星が現れ、ゆっくり動いて斗宿に近づき、八年(1495年)正月庚戌に危宿へ入った。
  • 𢎞治十二年(1499年)七月戊辰、天市垣の宗星のそばに星が現れ、紫㣲垣の東藩に入り、少宰・尚書を経て太子・后宮に至り、西藩の少輔のそばから出て、八月己丑に消えた。
  • 𢎞治十五年(1502年)十月戊辰、天廟のそばに星が現れ、張宿から翼宿に至り、また退いて張宿に戻り、戊寅に消えた。
  • 正徳十六年(1521年)正月甲寅朔、東南に火のような星が現れて白く変わり、長さは六、七尺ほどで東西に横たわり、さらに勾屈した形に変わって、長らくして散った。
  • 嘉靖八年(1529年)正月立春の日、長星が天を横切った。七月にもまた同様であった。
  • 嘉靖十一年(1532年)二月壬午、東南に星が現れた。色は蒼白で芒があり、十九日を積んで消えた。
  • 嘉靖十三年(1534年)五月丁夘朔、螣蛇に星が現れ、天廐を経て閣道に入り、二十四日で消えた。
  • 嘉靖十五年(1536年)三月戊午、天梧のそばに星が現れ、東へ動いて天厨を経、西へ天漢に入り、四月壬辰に没した。
  • 嘉靖二十四年(1545年)十一月壬午、天棓から星が出て箕宿に入り、転じて東北へ動き、一月を越えて没した。
  • 萬厯六年(1578年)正月戊辰、日のような大星が西方から出て、衆星がみな西を巡った。
  • 萬厯十二年(1584年)六月己酉、房宿から星が出た。
  • 萬厯三十二年(1604年)九月乙丑、尾宿の分野に弾丸ほどの星があり、色は赤黄で西南方に見え、十月になって隠れた。十二月辛酉に転じて東南方に出たが、なお尾宿の分野であった。翌年二月に次第に暗くなり、八月丁夘に消えた。
  • 萬厯三十七年(1609年)、西南に大星が現れ、芒が刺のように四方へ射した。
  • 萬厯四十六年(1618年)九月乙夘、東南に白気が一条あり、幅は一尺余り、長さは二丈余りで、東は軫宿に至り西は翼宿に入り、十九日で消えた。十一月丙寅の朝、花白色の星が東方に現れた。
  • 天啟元年(1621年)四月癸酉、赤い星が東方に現れた。
  • 崇禎九年(1636年)冬、天狗が豫州の分野に現れた。

彗孛――総説

  • 彗の光芒は日に付いて生じる。ゆえに夕方に見えるものは必ず東を指し、明け方に見えるものは必ず西を指す。
  • 孛もまた彗の類だが、その芒気は四方へ出る。天文家は、その災いは彗よりもさらに甚だしいという。

彗孛――記録

  • 洪武元年(1368年)正月庚寅、彗星が昴・畢に現れた。三月辛夘、彗星が昴の北、大陵と天船の間から出た。長さは八尺余りで文昌を指し、五車に近づき、四月己酉に五車の北で没した。
  • 洪武六年(1373年)四月、彗星が三つ、紫㣲垣に入った。
  • 洪武二十四年(1391年)四月丙子、彗星が二つ現れた。一つは紫㣲垣の閶闔門に入って天牀を犯し、一つは六甲を犯して五帝内座を掃いた。
  • 永樂五年(1407年)十一月丙寅、彗星が現れた。
  • 宣徳六年(1431年)四月戊戌、東井に孛星が現れ、長さは五尺余りであった。
  • 宣徳七年(1432年)正月壬戌、彗星が東方に出た。長さは一丈余りで尾が天津を掃き、東南へ動いて十月にようやく消えた。この月の戊子にはまた西方に出て、十七日で消えた。
  • 宣徳八年(1433年)閏八月壬子、彗星が天倉のそばに出た。長さは一丈ほど。己巳に貫索へ入って七公を掃き、己夘にはまた天市垣に入って晉星を掃き、二十四日で消えた。
  • 正統四年(1439年)閏二月己丑、彗星が張宿のそばに現れた。大きさは弾丸ほど。丁酉には長さ五丈余りとなり、西へ動いて酒旗を掃き、北へ寄って鬼宿を犯した。同年六月戊寅、彗星が畢宿のそばに現れた。長さは一丈余りで西南を指し、あわせて五十五日で消えた。
  • 正統九年(1444年)七月庚午、彗星が太㣲の東垣に現れた。長さは一丈ほどで、日を重ねるごとに次第に伸び、閏七月己夘に角宿へ入って没した。
  • 正統十四年(1449年)十二月壬子、彗星が天市垣の市樓のそばに現れ、尾宿の度を経て長さ二尺余り、乙亥に没した。
  • 景泰元年(1450年)正月壬午、彗星が天市垣の外に出て、天紀星を掃いた。
  • 景泰三年(1452年)三月甲午朔、畢宿に孛星が現れた。
  • 景泰七年(1456年)四月壬戌、彗星が東北の胃宿に現れた。長さ二尺で西南を指した。五月癸酉に次第に伸びて一丈余りとなり、戊子には西北の栁宿に見えて長さ九尺余り、軒轅星を掃いて犯した。甲午には張宿に見えて長さ七尺余り、太㣲の北を掃いて西南へ動いた。六月壬寅に太㣲垣へ入り、長さ一尺余り。十二月甲寅にはまた畢宿に現れ、長さ五寸で東南へ動きながら次第に伸び、癸亥に没した。
  • 天順元年(1457年)五月丙戌、彗星が危宿に現れ、揺れ動くようであった。東へ一度進み、芒の長さは五寸で西南を指した。六月癸巳朔には室宿に見えて長さ一丈余り、尾から東壁に及び、天大将軍・卷舌第三星・井宿水位南第二星を犯した。十月己亥には彗星が角宿に現れ、長さ五寸余りで北を指し、角の北星および平道の東星を犯した。
  • 天順五年(1461年)六月戊戌、彗が東方に見え、西南を指して井宿の度に入り、七月丙寅にようやく消えた。
  • 成化元年(1465年)二月、彗星が現れた。三月にもまた西北に現れ、長さ三丈余り、三か月を経て没した。
  • 成化四年(1468年)九月己未、星宿の五度に星が現れ、東北へ動いた。五日を越えて芒の長さは三丈余りとなり、尾は西南を指して彗星に変わった。その後、明け方には東方に見え、夕方には室宿の南に見えて、三公・北斗の瑶光・七公を犯し、転じて天市垣に入り、垣を出ると次第に小さくなって天屏の西第一星を犯した。十一月庚辰にようやく消えた。
  • 成化七年(1471年)十二月甲戌、彗星が天田の西に現れ、まもなく北へ動いて右攝提を犯し、太㣲垣の上将および幸臣・太子從官を掃き、尾は正西を指して太微垣の郎位を横に掃いた。己夘には光芒が長大となって東西に天を貫き、北へ二十八度余り進んで天槍を犯し、北斗・三公・太陽を掃き、紫㣲垣の内に入って真昼にもなお見えた。帝星・北斗魁・庶子・后宮・勾陳・天樞・三師・天牢・中台・天皇大帝・上衞・閣道・文昌・上台と、犯さないものがなかった。乙酉に南へ動いて婁・天河・天隂・外屏・天囷を犯し、八年(1472年)正月丙午に奎宿の外屏を行くころ次第に微かになり、長らくしてようやく消えた。
  • 𢎞治三年(1490年)十一月戊戌、彗星が天津の南に現れ、尾は東北を指して人星を犯し、杵・臼を経た。十二月戊申朔に營室へ入り、庚申に天倉を犯した。
  • 𢎞治十三年(1500年)四月甲午、彗星が壘壁陣の上に現れ、室宿と壁宿の間に入って次第に長さ三尺余りとなり、離宮を指して造父を掃き、太㣲垣を過ぎて次第に微かになり、紫㣲垣に入って女史に近づき、尚書を犯した。六月丁酉に没した。
  • 正徳元年(1506年)七月己丑、紫㣲の西藩の外に弾丸のような星が現れ、色は蒼白であった。数日を越えて参宿と井宿の間に微かな芒が見え、次第に伸びて二尺ほどの箒のようになり、西北の文昌に及んだ。庚子に彗星が現れ、光が東南へ流れて長さ三尺、三日を越えて五尺ほどとなり、下台の上星を掃いて太㣲垣に入った。
  • 正徳十五年(1520年)正月、彗星が現れた。
  • 嘉靖二年(1523年)六月、天市に孛星が現れた。
  • 嘉靖十年(1531年)閏六月乙巳、彗星が東井に現れた。長さは一尺余りで軒轅の第一星を掃き、芒が次第に伸びて翼宿に至るころ長さ七尺余りとなり、東北へ天罇を掃き、太㣲垣に入って郎位を掃き、角宿の度を行って東南へ亢の北第二星を掃き、次第に縮まって三十四日を積んで没した。
  • 嘉靖十一年(1532年)八月己夘、彗星が東井に現れた。長さは一尺ほどで、のち東北へ動いて天津を経、次第に一丈余りとなって太微垣の諸星および角宿の天門を掃き、十二月甲戌に至るまで、あわせて百十五日で消えた。
  • 嘉靖十二年(1533年)六月辛巳、彗星が五車に現れた。長さは五尺余りで大陵および天大将軍を掃き、次第に一丈余りとなって閣道を掃き、螣蛇を犯して、八月戊戌に消えた。
  • 嘉靖十八年(1539年)四月庚戌、彗星が現れた。長さは三尺ほどで光は東南を指し、軒轅を掃いてその第八星に入り、十日ほどでようやく消えた。
  • 嘉靖三十三年(1554年)五月癸亥、彗星が天權のそばに現れ、文昌を犯し、進んで地平近くの濁気に入り、二十七日を積んで没した。
  • 嘉靖三十五年(1556年)正月庚辰、彗星が進賢のそばに現れた。長さは一尺ほどで西南を指し、次第に三尺余りとなって太㣲垣の次相を掃き、東北へ紫㣲垣に入って天牀を犯し、四月二日に消えた。
  • 嘉靖三十六年(1557年)九月戊戌、彗星が天市垣の列肆のそばに現れ、東北を指して、十月二十三日に消えた。
  • 隆慶三年(1569年)十月辛丑朔、彗星が天市垣に現れ、東北を指して、庚申に消えた。
  • 萬厯五年(1577年)十月戊子、彗星が西南に現れた。蒼白色で長さは数丈、気が白虹をなし、尾宿・箕宿から斗宿・牛宿を越えて女宿に迫り、一月を経て消えた。
  • 萬厯八年(1580年)八月庚申、彗星が東南方に現れ、夜ごとに次第に伸びて天の川を縦横に横切り、あわせて七十日余りに及んだ。
  • 萬厯十年(1582年)四月丙辰、彗星が西北に現れた。形は一匹の練絹のようで尾は五車を指し、二十日余りを経て消えた。
  • 萬厯十三年(1585年)九月戊子、彗星が羽林のそばに出た。長さは一尺ほどで、夕ごとに東へ動いて次第に小さくなり、十月癸酉に消えた。
  • 萬厯十九年(1591年)三月丙辰、西北に彗のような星があり、長さ一尺余り、胃・室・壁を経て長さ二尺となった。閏三月丙寅朔に婁宿へ入った。
  • 萬厯二十一年(1593年)七月乙夘、彗星が東井に現れ、乙亥に逆行して紫㣲垣に入り、華盖を犯した。
  • 萬厯二十四年(1596年)七月丁丑、彗星が西北に現れた。弾丸のようで翼宿に入り、長さ一尺余りで西北へ動いた。
  • 萬厯三十五年(1607年)八月辛酉朔、彗星が東井に現れ、西南を指し、次第に西北へ向かった。壬午、房宿から心宿を経て消えた。
  • 萬厯四十六年(1618年)十月乙丑、彗星が氐宿から出た。長さは一丈余りで東南を指し、次第に西北を指すようになり、太陽守星を掃いて犯し、亢宿の度に入り、西北へ北斗の璿璣・文昌・五車を掃いて紫㣲垣の右に迫った。十一月甲辰に消えた。
  • 萬厯四十七年(1619年)正月の末、彗が東南に見えた。長さは数百尺、光芒が下方へ射し、末は曲がって鋭かった。まもなく東北に見え、さらにまもなく西に見えた。
  • 崇禎十二年(1639年)秋、彗星が参宿の分野に現れた。
  • 崇禎十三年(1640年)十月丙戌、彗星が現れた。

天變

  • 洪武二十一年(1388年)八月壬戌から甲子まで、天鼓が鳴り、昼夜やまなかった。
  • 洪武二十八年(1395年)三月戊午の昏刻、天が鳴って風と水がぶつかり合うような音を立て、一鼓(初更)に至ってやんだ。九月戊戌の初め、天鼓が水を注ぐような音で鳴り、東北から南へ移り、二鼓(二更)に至ってやんだ。
  • 宣徳元年(1426年)八月戊辰の昏刻、天が鳴って雨脚が次々に来るような音を立て、東南から西南へ移り、長らくしてようやくやんだ。辛未、東南で天が鳴り、その音は万の太鼓のようであった。
  • 正統十年(1445年)三月庚寅、西北で天が鳴り、鳥の群れが飛ぶような音であった。
  • 正德元年(1506年)二月壬子の夜、東北で天が鳴り、風と水がぶつかり合うような音が五回から七回に及んだ。
  • 隆慶二年(1568年)八月甲辰、綘州の西北で天が裂け、丑の刻から寅の刻に至ってようやく合わさった。
  • 萬厯十六年(1588年)九月乙丑、甘肅の石灰溝で天が鳴り、雲の中に犬のような形のものがあって、乱れ吠える声がした。
  • 崇禎元年(1628年)三月辛巳の明け方、天が血のように赤く、窓に射して一面が紅くなった。
  • 崇禎十年(1637年)九月、朝夕ごとに天の色が赤黄であった。

日變月變

  • 洪武二年(1369年)十二月甲子、日中に黒子があった。
  • 洪武三年(1370年)九月戊戌、十月丁巳、十一月甲辰、四年(1371年)三月戊戌・五月壬子から辛巳まで・九月戊寅、五年(1372年)正月庚戌・二月丁未・五月甲子・七月辛未、六年(1373年)十一月戊戌朔、七年(1374年)二月庚戌から甲寅まで、八年(1375年)二月辛亥・九月癸未・十二月癸丑、十四年(1381年)二月壬午から乙酉まで、十五年(1382年)閏二月丙戌・十二月辛巳、いずれも同様であった。
  • 正統元年(1436年)八月癸酉から己夘まで、月の出入りのたびに游気があり、赤色で光がなかった。
  • 正統十四年(1449年)八月辛未、月が昼間に見えて日と明るさを争った。十月壬申、日の上に煙のような黒気があり、まもなく紅い光を発して火のような焰を散らした。
  • 景泰二年(1451年)四月己夘、月の色が赭土のようであった。
  • 景泰七年(1456年)九月丙子、日の色が赤く変わった。
  • 天順二年(1458年)閏二月己巳、日に光がなく、たちまち赭土のように赤くなった。
  • 天順三年(1459年)八月丁夘、日の色が赭土のようであった。
  • 天順六年(1462年)十月丙子、日が血のように赤かった。
  • 天順七年(1463年)四月癸未も同様であった。乙酉、日の色が白く変わった。
  • 天順八年(1464年)二月己亥、日に光がなかった。
  • 成化五年(1469年)閏二月己夘、日の色が白く変わった。
  • 成化十一年(1475年)二月己亥、日の色が赭土のようであった。四月辛夘も同様であった。
  • 成化十三年(1477年)三月壬申、日が白く光がなかった。十月辛夘、十四年(1478年)三月庚午、十六年(1480年)三月丙戌、いずれも同様であった。
  • 成化十七年(1481年)三月丁酉、日が赭土のように赤かった。
  • 成化十八年(1482年)四月壬寅、日が赤く光がなかった。十二月癸酉、日が赭土のように赤かった。
  • 成化二十年(1484年)二月癸酉も同様であった。
  • 𢎞治元年(1488年)十一月己夘、月が歯のような芒を生じ、長さは三尺余り、色は蒼白であった。
  • 𢎞治十八年(1505年)八月癸酉から九月甲午まで、日に光がなかった。
  • 嘉靖元年(1522年)正月丁夘、日が青ざめた白から青に変じ、光がなかった。
  • 嘉靖二十八年(1549年)三月丙申から庚子まで、日の色が青ざめて白かった。
  • 嘉靖三十四年(1555年)十二月庚申の晦日、日が突然暗くなり、青黒紫の盤のような日影が数十現れて互いに擦れ合い、長らくして千百となって飛び交い天に満ち、西北へ向かって散った。
  • 萬厯二十五年(1597年)三月癸丑、黒い日が二三十余り日のそばを巡り、しばらくして雲に隠れて見えなくなった。五月辛夘朔、日光が揺れ動き、たちまち黒い餅のようになった。
  • 萬厯三十年(1602年)三月甲申、日の光が地を照らして黄赤色であった。
  • 萬厯三十五年(1607年)十一月丙午、日が赤く光がなく、地を照らすさまが血のようであった。
  • 萬厯四十二年(1614年)三月庚辰、日が赤黄で、赭土のよう血のようであることが数日続いた。
  • 萬厯四十四年(1616年)八月戊辰、日中に黒い光があった。
  • 萬厯四十六年(1618年)閏六月丙戌から戊子まで、黒気が日中に出入りして擦れ合った。
  • 天啟四年(1624年)正月癸未、日が赤く光がなく、黒子が二つ三つそばで揺れ動き、次第に百ほどにまで増えて、あわせて四日に及んだ。二月壬子、日が淡い黄で光がなかった。癸丑、黒い日が日のそばで擦れ動いた。四月癸酉、日中の黒気が擦れ動いた。十二月辛巳の午刻、煙でも霧でもないものが日の上を覆い圧し、蓋のよう呑み込むように擦れ動いて、天一面が赤くなった。
  • 崇禎四年(1631年)正月戊戌、日の色が血のようで、照らされた人も物もみな赤かった。二月乙巳朔、日が血のように赤く光がなかった。十月丙午、月が昼間に見えた。
  • 崇禎十一年(1638年)十一月癸亥、日中に黒子および黒・青・白の気があり、日の入るときには日光が擦れ動いて二つの日のようであった。
  • 崇禎十二年(1639年)正月己未朔、日が白く光がなかった。辛酉、日光が終日擦れ動き、日中から気が出て、鏡黛が花を吹き出すようであった。二月庚子、日のそばに紅白の丸いものがあり、また白い芒と黒気が交互に掩って、日光が擦れ動いた。
  • 崇禎十三年(1640年)九月己巳、日が二つ並び、辰刻になって合して一つとなり、日の入るときにはまた二つに分かれた。
  • 崇禎十四年(1641年)正月壬寅、日が青く光がなかった。
  • 後三年正月癸丑、月に入る星があった。三月壬寅、日の色に光がないことが二十日に及んだ。

暈適

  • 洪武六年(1373年)三月戊辰、日に交暈が生じた。
  • 洪武十年(1377年)正月己巳、白虹が日を貫いた。十二月甲子、白虹が月を貫いた。
  • 洪武十二年(1379年)四月庚申、日に交暈が生じた。
  • 洪武十四年(1381年)正月壬子、日に珥があり、白虹がこれを貫いた。九月甲辰、白虹が日を貫いた。
  • 洪武十五年(1382年)正月丁未、十九年(1386年)三月己巳、二十二年(1389年)十二月戊午、いずれも同様であった。
  • 洪武二十三年(1390年)正月壬辰、日暈が生じ、白虹が珥を貫いた。
  • 洪武二十八年(1395年)十一月乙亥、日の上に赤気があって長さ五丈余り、まもなく直気・背気を生じていずれも青赤色、さらに半暈を生じ、二本の白虹が珥を貫き、やがて天いっぱいに広がって日を貫いた。
  • 洪武三十年(1397年)二月辛亥、白虹が天を横切って日を貫いた。
  • 永樂十八年(1420年)閏正月癸未、日に重なった半暈が生じ、上に青赤の背気、左右に珥があって白虹がこれを貫き、続いて黄気・璚気を生じた。
  • 洪熙元年(1425年)正月乙末(乙未の誤りか)、日に両珥が生じ、白虹がこれを貫いた。四月丁未も同様で、さらに交暈を生じた。
  • 宣徳元年(1426年)正月庚戌、日に青赤の璚気が生じ、続いて交暈を生じて色は黄赤であった。二月己夘、日に両珥があり、さらに交暈を生じ、左右に珥、上に重なった半暈と背気があった。昏刻には月に両珥が生じ、白虹がこれを貫いた。
  • 宣徳二年(1427年)十二月甲戌、月に交暈と左右の珥が生じ、白虹がこれを貫いた。
  • 宣徳三年(1428年)三月庚寅、日に交暈が生じて色は黄赤、両珥および背気・㦸気が各一つあって色はいずれも青赤であった。丁酉、日暈があり、さらに交暈と㦸気二道があった。十二月己夘、日に交暈が生じた。
  • 宣徳五年(1430年)正月癸亥、日暈があり、続いて交暈を生じた。二月甲午、日に交暈があり、続いて㦸気を生じた。四月庚辰、日に両珥が生じ、白虹がこれを貫いた。
  • 宣徳六年(1431年)二月甲寅、日暈があり、続いて交暈および重なった半暈・璚気を生じた。
  • 宣徳八年(1433年)九月戊戌の辰刻、日暈・両珥・背気があり、申刻には諸気がふたたび生じた。
  • 宣徳十年(1435年)十二月辛亥、日暈があって白虹が両珥を貫き、璚気があり、続いて重なった半暈および背気を生じた。
  • 正統元年(1436年)二月己酉、白虹が月を貫いた。九月丁未も同様であった。十二月丙戌、月に背気と左右の珥が生じ、白虹がこれを貫いた。
  • 正統三年(1438年)四月庚辰、日に両珥が生じ、白虹がこれを貫き、続いて暈が生じた。十二月癸酉、月に両珥が生じ、白虹がこれを貫き、続いて背気を生じた。
  • 正統七年(1442年)十二月辛丑、月暈があり、白虹がこれを貫いた。
  • 正統十一年(1446年)正月乙未、日に背気が生じ、白虹が天いっぱいに広がった。
  • 正統十四年(1449年)八月戊申、日暈のそばに㦸気があり、続いて左右の珥および戴気を生じ、東北には杵のような虹霓が出た。
  • 景泰元年(1450年)二月壬午の酉刻、日の上に黒気が四道あり、長さはおよそ三丈、地を離れること一丈ほど、両端が鋭くて日を貫き、その形は魚のようであった。十二月甲午、日に交暈があり、上下に背気が各一道、両側に㦸気が各一道あった。
  • 景泰二年(1451年)正月癸夘、日に左右の珥が生じ、白虹がこれを貫き、続いて背気を生じた。二月丙戌、日に暈が生じた。
  • 景泰三年(1452年)正月丙辰、日に左右の珥および背気・白虹が生じた。
  • 景泰五年(1454年)十一月壬戌、月暈と左右の珥および背気があり、さらに白虹を生じて右の珥を貫いた。
  • 景泰七年(1456年)六月丁丑、日暈があり、続いて重なった半暈および左右の珥を生じた。
  • 天順元年(1457年)二月庚戌の辰刻、日に交暈と左右の珥があり、たちまち抱気および左右の㦸気を生じ、白虹が日を貫いた。未刻には諸気がふたたび生じた。辛亥、日に交暈と左右の珥および㦸気があり、白虹が日を貫いて天いっぱいに広がることが終日続いた。
  • 天順二年(1458年)二月乙夘、日に交暈があり、上に背気があって、白虹が日を貫いた。
  • 天順七年(1463年)正月戊戌、月に連環の暈が生じた。
  • 成化二年(1466年)四月壬寅、日に交暈があり、右に珥があった。
  • 成化十一年(1475年)六月己酉、日に重なった暈と左右の珥および背気があった。
  • 成化十二年(1476年)正月甲子、日に交暈があった。
  • 成化二十年(1484年)二月己未、日に白虹が生じ、東北に天を横切った。
  • 成化二十一年(1485年)十月癸己(癸巳の誤りか)の巳刻、日暈と左右の珥があり、未刻にふたたび生じ、さらに抱気・背気を生じた。
  • 成化二十三年(1487年)十二月癸巳、日暈と左右の珥があり、さらに背気および半暈を生じた。
  • 𢎞治二年(1489年)正月甲戌の午刻、日暈があり白虹が天いっぱいに広がった。丙戌、日に交暈と左右の珥があり、白虹が天いっぱいに広がった。二月壬寅、日に左右の珥および背気が生じ、さらに交暈・半暈および抱・格の二気を生じた。十一月戊辰、月暈が連環となって左右の珥を貫いた。
  • 𢎞治四年(1491年)二月庚戌の午刻、日に交暈と左右の珥があり、下に㦸気を生じ、白虹が天いっぱいに広がった。
  • 𢎞治六年(1493年)十一月乙巳、月暈があり、左右の珥が連環となってこれを貫いた。
  • 𢎞治十八年(1505年)二月己巳、月暈と左右の珥があり、白虹が天いっぱいに広がった。
  • 正德元年(1506年)正月乙酉、日暈があって上に背気、左右に珥があり、白虹が天いっぱいに広がった。十二月辛酉、月暈があり白虹が天いっぱいに広がった。甲子も同様であった。
  • 嘉靖元年(1522年)四月癸未、月に連環の暈が生じた。
  • 嘉靖二年(1523年)正月己酉、月暈が連環となり、左右に珥があった。
  • 嘉靖七年(1528年)正月乙亥、日に重なった暈と両珥および㦸気があり、白虹が天いっぱいに広がった。
  • 嘉靖十三年(1534年)二月壬辰、白虹が天を横切り、日暈と左右の珥および㦸気があった。
  • 嘉靖十八年(1539年)十二月壬午の立春、日暈と右の珥があり、白虹が天を横切った。
  • 嘉靖二十一年(1542年)十一月甲子、月暈が連環となった。
  • 嘉靖四十一年(1562年)十一月辛丑、日暈と左右の珥があり、上に抱気、下に㦸気があって、白虹が天いっぱいに広がった。
  • 隆慶五年(1571年)三月辛巳、日暈に珥があり、白虹が天を横切った。
  • 萬厯三十五年(1607年)正月庚午、日暈があり、黒気が天を覆った。
  • 萬厯四十八年(1620年)二月癸丑、日に連環の暈があり、下に背気、左右に㦸気があって、白虹が天いっぱいに広がった。
  • 天啟元年(1621年)二月甲午、日に交暈があり、左右に珥があって、白虹が天いっぱいに広がった。
  • 天啟三年(1623年)十月辛巳、日に重なった半暈と左右の珥が生じた。
  • 崇禎八年(1635年)二月丙午、白虹が日を貫いた。

星變

  • 洪武二十八年(1395年)閏九月辛巳、壘壁陣がまばらに離れ、また集まった。
  • 洪武二十九年(1396年)八月戊子、欽天監が、井宿の東北第二星が近年しだいに暗く小さくなり、寄り集まって整った列をなさない、と言上した。
  • 洪武三十一年(1398年)五月癸亥、壘壁陣のまばらであったものが寄り集まった。
  • 正統元年(1436年)九月丁巳、狼星が揺れ動いた。十四年(1449年)十月辛亥も同様であった。
  • 成化六年(1470年)丁巳、熒惑に光がなかった。
  • 成化十三年(1477年)九月乙丑朔、嵗星の光芒がきらめき、玉のような色を帯びた。
  • 正德八年(1513年)八月、大角および心宿の中星が揺れ動き、北斗のうち璿・璣・權の三星が明るくなかった。
  • 萬厯四十四年(1616年)、權星が暗く小さくなり、輔星が沈んで見えなくなった。
  • 萬厯四十六年(1618年)九月、太白の光芒が四方に映って月影のようであった。
  • 天啓五年(1625年)七月壬申、熒惑の色が赤く、体が大きく、芒があった。
  • 崇禎九年(1636年)十二月、熒惑が松明のようで、太㣲垣の東南にあった。
  • 崇禎十二年(1639年)十月甲午、填星が暗く暈をおびた。
  • 崇禎十三年(1640年)六月、泰堦が離れた。九月、五車の中の三柱が隠れた。十月、参宿の足が玉井から突き出た。
  • 後四年二月、熒惑が怒って角を生じた。三月壬辰、欽天監正の戈承科が、帝星が下に移ったと奏上し、さらに軒轅星が途切れたり続いたりして一定せず、大小の順序を失い、文昌星が離れ、天津が離れ、瑶光が離れて、その芒角が黒青である、と述べた。

星流星隕

  • 靈臺の候簿にある流星の記録は、ない夜がないほどである。小さくありふれたものは吉凶に関わらないので、その異常なものを選んで記す。
  • 洪武三年(1370年)十月庚辰、桃ほどの赤い星が天桴から起こり、壘壁陣に至って羽林軍に届き、音を立てて爆散した。五つの小星がこれに随い、土司空のそばに至って光を発し天を照らし、たちまち椀ほどの大きさとなって赤い尾を曳き、天倉に至って没した。ほどなく東南で音がした。
  • 洪武二十一年(1388年)八月乙巳、杯ほどの赤い星が北斗の杓から東南へ三丈余り進んで二つに分かれ、さらに五丈余りで三つに分かれ、昴宿を経てまた二つとなり、天廩を経て一つに合し、天苑に没した。
  • 永樂元年(1403年)閏十一月丁夘、蒼い色で斗ほどの大きさの星があり、光が地を照らした。中天の雲中から出て西南へ動き、隆々と音を立てて雲中に入った。
  • 永樂二年(1404年)五月丙午、斗ほどの大きさの赤い星があり、光が地を照らした。中天から出て西北へ動き、雲中に入った。
  • 永樂十六年(1418年)、斗ほどの大きさの星があり、色は青赤で光が地を照らした。栁宿から東へ動いて地平近くの濁気に至った。
  • 永樂二十二年(1424年)五月己亥、盞ほどの星があり、色は青白で光が地を照らした。東南の雲中から起こって西北へ動き、雲中に入り、砲のような音がした。七月庚寅、椀ほどの星があり、色は赤で光を帯び、奎宿から参宿に入って炸裂し散り、諸星が揺れ動いた。
  • 宣德元年(1426年)十二月己巳、椀ほどの大きさの星があり、光は赤く、卷舌から出て東へ進み東井を過ぎ、地に墜ちて雷のような音がした。
  • 正統元年(1436年)八月乙酉、昏刻から明け方まで、大小の流星が百余りあった。
  • 正統四年(1439年)八月癸夘、大小の流星が数百あった。
  • 正統十四年(1449年)十月癸丑、杯ほどの大きさの星があり、赤い光が地を照らした。三師から西北へ少弼に至り、尾の跡が蒼白の気に変わって長さ五尺余り、くねくねと西へ動いた。十二月戊申、杯ほどの大きさの星があり、色は青白で音を立て、光が地を照らした。太乙のそばから東南へ一丈余り進み、斗ほどの大きさの光を発して天市の西垣に至って没し、四つの小星がこれに随った。
  • 景泰二年(1451年)六月丙申、大小の流星が八十余りあった。八月壬午、赤い星が二つあり、一つは桃ほど、一つは斗ほどで、光が地を照らした。一つは紫微の西藩から出て北へ動き陰徳に至り、三つの小星がこれに随った。一つは天津から出て東南へ動き河南に至り、十余りの小星がこれに随い、尾の跡が炸裂して散り、雷のような音がした。
  • 天順三年(1459年)四月癸丑、椀ほどの大きさの星があり、赤い光が地を照らした。左旗から東南へ動いて女宿に届き、尾の跡が炸裂して散った。
  • 天順八年(1464年)二月壬子、椀ほどの星があり、光が地を照らした。天市から天津に至り、尾が蒼白の気に変わって蛇の形をなし、長さ一丈余り、長らくして散った。
  • 成化十二年(1476年)十一月乙丑、延綏の波羅堡に星が二つあり、形は轆轤の軸のようで、一つは樊家溝に、一つはその堡に墜ち、紅い光が天を照らした。
  • 成化二十年(1484年)五月丙申、大星が番禺県の東南に墜ち、雷のような音を立てて十余りの小星に散った。ほどなく天地がみな暗くなり、長らくしてようやく元に戻った。
  • 成化二十一年(1485年)正月甲申朔の申刻、火の光が中天からやや西へ下って墜ち、白気に変わり、また曲折して上へ昇り、音を立てた。しばらくして西方に椀ほどの大きさの赤い星が現れ、中天から西へ動いて地平近くの濁気に至り、尾の跡が白気に変わってくねくねと蛇の行くようであった。長らくして真西で雷震のような轟音がした。
  • 𢎞治元年(1488年)八月戊申の已刻(巳刻の誤りか)、南方に盞ほどの流星があり、南から一丈余り進んで椀ほどの大きさとなり、西南へ地平近くの濁気に至り、尾が白雲に変わって屈曲し蛇のように行って散った。
  • 𢎞治四年(1491年)十月丁巳、稲妻のような赤い光の星が西南から東北へ向かい、太鼓のような音を立てて光山県に隕ち、斗ほどの石に変わった。光州・商城でも大星が空を飛ぶのが見え、光山で見えたものと同じであった。十一月甲戌、星が真定の西北に隕ち、紅い光が天を照らし、西南で天が太鼓のように、また走る車のように鳴った。
  • 𢎞治七年(1494年)五月、宣府・山西・河南で星が昼間に隕ちた。
  • 𢎞治八年(1495年)四月辛未、車輪のような星があり、流れて西北に至り、鉛山県に隕ちて、その音は雷のようであった。
  • 𢎞治九年(1496年)閏三月戊午、平涼の東南に月のような流星があり、紅い光が地を照らして西北に至って止まり、ほどなく天鼓が鳴った。
  • 𢎞治十年(1497年)正月壬子、斗ほどの大きさの星があり、色は黄白で光の長さは三十丈余り、一つの小星がこれに随い、寧夏の西北隅に隕ちて、天が雷のように数度鳴った。九月乙巳、斗ほどの星があり、その光が月を掩い、西北から流れて永平に隕ち、音を立てた。
  • 𢎞治十一年(1498年)正月癸亥、流星が肅州に隕ちた。大きさは家ほどで、雷のような響きを立て、長らくして消えた。十月壬申の明け方、東方に椀ほどの赤い星があり、一丈余り進んで光が地を照らし、東南へ動いて、数十の小星がこれに随った。
  • 𢎞治十四年(1501年)閏七月辛巳、山東に車輪ほどの大きさの星があり、赤い光が天を照らし、東南から西北へ向かって夀光に隕ち、天鼓が鳴った。
  • 𢎞治十六年(1503年)正月己酉、南京で星が昼間に流れた。
  • 正德元年(1506年)十二月庚午、椀のような星が寧夏中衞に隕ち、空中に二畝ほどの大きさの紅い光があった。
  • 正德二年(1507年)八月己亥、寧夏で大星が真南から西南へ流れて墜ち、後ろに赤い光が一条あって、幅三尺、長さ五丈であった。
  • 正德五年(1510年)四月丁亥、雷州で月のような大星が東南から西北へ流れて二つに分かれ、尾は彗のようで、そのまま没し、雷のような音がした。
  • 正德六年(1511年)八月癸卯、箕のような形の星があり、尾の長さは四、五丈、紅い光が天を照らした。西北から転じて東南へ向かい、三つの頭に一つの尾で、四川の崇寧衞に墜ち、色が白に変わり、また緑の焰を起こして高さ二丈余り、雷震のような音がした。
  • 正德十五年(1520年)正月丁未の酉刻、星が山西の龍舟谷巡檢司の庁舎に隕ちた。四月丙戌、陝西の鞏昌府に日のような星があり、色は赤で、東方から西南へ流れて隕ち、天鼓が鳴った。
  • 嘉靖十二年(1533年)九月丙子、盞のような流星があり、光が地を照らし、中台から東北へ動いて地平近くの濁気に至り、尾の跡が白気に変わった。四更から五更にかけて、四方の大小の流星が縦横に行き交って数えきれず、夜明けになってようやくやんだ。
  • 嘉靖十四年(1535年)九月戊子、開封で白昼に天鼓が鳴り、盌のような星が東南へ流れ、多くの小星が珠のようにこれに従った。
  • 嘉靖十九年(1540年)五月辛丑、星が棗强に隕ちて四つの石となった。
  • 萬厯三年(1575年)五月癸亥の昼、景州で天鼓が鳴り、星が二つ隕ちて黒い石に変わった。
  • 萬厯四年(1576年)十一月甲午、四つの星が費県に隕ち、火の光が地を照らした。夜明けに城の西北に赤い点が落ちており、色は硃砂のようで、長さ二里、幅は一、二尺であった。この月、臨漳に長さ一尺ほどの星があり、白昼に北へ飛んだ。
  • 萬厯十三年(1585年)七月辛巳、盌のような星が沈邱の蓮花集に隕ち、天鼓が鳴った。
  • 萬厯十五年(1587年)六月丙寅、平陽で昼に星が隕ちた。丁夘の辰刻、斗のような星が平隂に隕ち、雷のような響きを立てた。
  • 萬厯十七年(1589年)正月庚申、星が西寧衞に隕ちた。大きさは月ほどで、天鼓が鳴った。
  • 萬厯二十年(1592年)二月丙辰、三つの星が閩県の東南に隕ちた。
  • 萬厯二十二年(1594年)正月戊戌、保定の青山口に大きな飛星があり、残光は彗のようで、長さ二十丈余りであった。
  • 萬厯二十七年(1599年)三月庚子、盖州衞で天鼓が鳴り、大星が続けて三つ隕ちた。
  • 萬厯三十年(1602年)九月己未朔、大星が東南に現れた。血のように赤く、椀ほどの大きさで、たちまち五つに変わり、中央の星がいっそう明るく、長らくして一つに会し、簏ほどの大きさとなった。辛巳、大小の星が数百、交錯して動いた。十月壬辰の五更、流星が中天から起こり、光が七道に散って、雷のような音がした。
  • 萬厯三十三年(1605年)九月戊子、椀のような星が南京の龍江後營に墜ちた。光は火のようで、地に至ると蛍のように走り回り、しばらくして消えた。翌日にはまた月のような星が西北から流れて閱兵臺に至り、三つに分かれて地に墜ち、音を立てた。十一月、星が南京の教場に隕ちたが、地に入って跡がなかった。
  • 萬厯三十五年(1607年)十一月癸巳、星が涇陽・淳化の諸県に隕ちた。大きさは車輪ほど、赤色で尾の長さは一丈余り、轟く雷のような音がした。
  • 萬厯三十八年(1610年)二月癸酉、斗ほどの大きさの星が陽曲の西北に墜ち、砕けた星が絶え間なく降り、天鼓が一斉に鳴った。
  • 萬厯四十一年(1613年)正月庚子、真定で天鼓が鳴り、流星が昼間に隕ちて光を放った。
  • 萬厯四十三年(1615年)三月戊申、昼に星が清豐の東流邨に墜ち、雷のような音がした。
  • 萬厯四十六年(1618年)十月辛酉、斗のような星が南京の安徳門外に隕ちた。霹靂のような音を立て、石に変わって重さ二十一斤であった。
  • 天啓三年(1623年)九月甲寅、固原州で星が雨のように隕ちた。
  • 崇禎十五年(1642年)夏、流星が織るように飛んだ。
  • 後二年三月己丑朔、星が御河に隕ちた。

雲氣

  • 洪武四年(1371年)四月辛丑、五色の雲が現れた。同年四月戊申・乙酉、十一月壬戌、五年(1372年)正月庚午と丙子・六月辛巳・七月己酉と壬子・八月己亥、六年(1373年)六月丁丑・七月癸夘、七年(1374年)四月丙午・五月丙戌と癸巳と甲午・六月乙未と乙夘・七月己夘・八月辛酉、八年(1375年)正月壬申・四月丁未・五月庚午と癸未・六月壬辰と己亥・十月庚戌、九年(1376年)八月癸巳、十四年(1381年)九月甲申、十五年(1382年)正月甲申・五月庚申・九月乙夘と丙寅・十一月辛酉、十八年(1385年)四月癸巳と乙未・五月辛未と甲申・六月癸丑、十九年(1386年)九月壬午、二十年(1387年)十一月丁亥・五月乙酉(底本の月の順が前後している)、二十七年(1394年)六月乙卯、いずれも同様であった。
  • 永樂元年(1403年)六月甲寅、日の下に五色の雲が現れた。八月壬申、日珥があり、続いて五色の雲が現れた。
  • 永樂八年(1410年)二月庚戌、御車が永安甸に泊まったとき、日の下に五色の雲が現れた。
  • 永樂十一年(1413年)六月戊申朔、武當山の頂に五色の雲が現れた。
  • 永樂十七年(1419年)九月丙辰と十二月癸未、慶雲が現れた。
  • 永樂二十二年(1424年)十一月丙戌、月の下に五色の雲が現れた。
  • 洪熙元年(1425年)二月癸酉・庚辰、三月乙未、いずれも五色の雲が現れた。
  • 宣德元年(1426年)八月庚辰、白い雲が東南から起こり、その形は羊の群れが驚いて走るようであった。十一月丙辰、北方に蒼白の雲があり、東西に天を横切った。
  • 宣德二年(1427年)十二月乙未、日の下に五色の雲が現れた。
  • 宣德四年(1429年)六月戊子の夜、五色の雲が現れた。
  • 宣德六年(1431年)二月壬子の夕暮れ、西方に蒼白の雲があり、南北に天を横切った。
  • 宣德十年(1435年)三月丁亥、月に五色の雲が生じた。
  • 正統二年(1437年)七月庚子、月に五色の雲が生じた。十月己丑、日に五色の雲が生じた。十二月癸亥も同様であった。
  • 正統三年(1438年)七月己亥の夜、中天に蒼白の雲があり、南北に天を横切って南斗と北斗を貫いた。
  • 正統八年(1443年)十一月戊辰の夜、東南方に蒼白の雲があり、東西に天を横切った。
  • 正統九年(1444年)十一月甲午、月に五色の雲が生じた。
  • 正統十年(1445年)九月丁酉、日に五色の雲が生じた。十一月甲午、月に五色の雲が生じた。
  • 正統十四年(1449年)十月庚申、昼に蒼白の雲が生じ、さらに三つに変わって、東西南北に天を横切った。
  • 景泰元年(1450年)六月乙酉、赤い雲が四道あり、両端が鋭くて耕した畝のような形で、ゆっくり東北へ動いて散った。八月甲戌、山のような黒雲が龍・虎・麋・鹿の形に変わった。九月丙寅、蒼白の雲気が南北に天を横切った。
  • 景泰二年(1451年)六月戊寅、日の上に五色の雲があった。九月辛酉の夜、蒼白の雲が三つ、東西に天を横切った。
  • 景泰三年(1452年)正月癸亥、東南に、人が笠をかぶって会釈するような形の黒雲があった。
  • 景泰四年(1453年)十一月丁夘、月に五色の雲が生じた。
  • 天順二年(1458年)十月壬申、四年(1460年)十月戊午も同様であった。
  • 成化二年(1466年)三月辛未、白い雲が南方から起こり、東西に天を横切った。
  • 成化十一年(1475年)正月丙寅、月に五色の雲が生じた。
  • 成化十八年(1482年)十月庚午、五色の雲が泰陵に現れた。
  • 成化二十一年(1485年)閏四月壬辰、開州・濮州の二州および清豐・金鄊で、未・申の時刻に黒雲が西北から起こって五色に変わり、たちまち夜のように暗くなった。
  • 𢎞治二年(1489年)正月辛巳、日に五色の雲が生じた。
  • 𢎞治十四年(1501年)三月己酉朔、嘉靖十七年(1538年)九月戊子、いずれも同様であった。
  • 嘉靖十八年(1539年)二月庚子朔の正午どき、日の下に五色の雲が現れた。長さと差し渡しは二寸余りで、形は龍鳳のようであった。
  • 萬厯五年(1577年)六月庚辰、祥雲が月をめぐった。
  • 天啓四年(1624年)六月癸巳の午刻、南方に五色の雲が現れた。