明史卷二十三 本紀苐二十三 莊烈帝一
明の莊烈愍皇帝 朱由檢(1610年–)、光宗の第五子で母は賢妃の劉氏。天啟二年に信王に封ぜられ、天啟七年八月に兄の熹宗の遺命を受けて即位し、翌年を崇禎元年とした。即位早々に魏忠賢を鳳陽に安置して自尽させ、『三朝要典』を焼き、逆案を定めて一党を断罪した。しかし陝西の飢饉から流賊が蜂起して李自成・張獻忠・髙迎祥らが各地を荒らし、崇禎八年には鳳陽の皇陵が焼かれた。清の兵はたびたび長城を越えて畿内に入り、崇禎二年には京師が戒厳となって袁崇煥が獄に下され、翌年殺された。本巻は崇禎十年までを記す。
年表(41件)
- 萬歴三十八年1610年十二月に生まれる
- 天啟二年1622年信王に封ぜられる
- 天啟七年1627年八月、熹宗の遺命を受けて即位し、翌年を崇禎元年とする
- 天啟七年1627年十一月、魏忠賢を鳳陽に安置して逮捕を命じ、魏忠賢が縊れて死ぬ
- 天啟七年1627年十一月、各辺の鎮守の宦官を撤去する
- 崇禎元年1628年四月、袁崇煥を兵部尚書として薊遼の軍を督させる
- 崇禎元年1628年五月、『三朝要典』を焼却する
- 崇禎元年1628年この年、陝西の飢民が加徴に苦しみ流賊が大いに蜂起する
- 崇禎二年1629年正月、逆案を定めて崔呈秀以下を六等に分ける
- 崇禎二年1629年六月、袁崇煥が雙島で毛文龍を殺す
- 崇禎二年1629年八月、侯良柱らが紅土川で奢崇明・安邦彦を斬り、水西の賊が平定される
- 崇禎二年1629年十一月、清の兵が遵化から徳勝門に迫り、京師が戒厳となる
- 崇禎二年1629年十二月、袁崇煥を平台に召して錦衣衛の獄に下す
- 崇禎三年1630年二月、皇長子の慈烺を皇太子に立てて大赦する
- 崇禎三年1630年五月、清の兵が東へ帰り、永平・遷安・遵化が回復される
- 崇禎三年1630年六月、流賊の王嘉允が府谷・米脂を陥れ、張獻忠が徒党を集めて応じる
- 崇禎三年1630年八月、袁崇煥を殺す
- 崇禎四年1631年九月、楊鶴を下獄させ、洪承疇に三辺の軍務を総督させる
- 崇禎四年1631年九月、太監の張彛憲に戸部・工部の銭糧を総理させ、諫めを容れない
- 崇禎四年1631年閏十一月、登州遊撃の孔有徳が呉橋で反乱を起こす
- 崇禎五年1632年正月、孔有徳が登州を陥れる
- 崇禎五年1632年八月、朱大典が莱州の包囲を解き、黄県で孔有徳を大破する
- 崇禎六年1633年二月、孔有徳が海に逃れて山東が平定される
- 崇禎六年1633年五月、孔有徳と耿仲明らが海を渡って清に降る
- 崇禎六年1633年七月、清の兵が旅順を取り、總兵官の黄龍らが死ぬ
- 崇禎七年1634年正月、五省総督を設けて陳竒瑜を充て、尚可喜が清に降る
- 崇禎七年1634年この夏、車箱峽で降った髙迎祥・李自成らが逃れてふたたび叛く
- 崇禎七年1634年七月、清の兵が宣府に至り、京師が戒厳となる
- 崇禎七年1634年十一月、陳竒瑜を下獄させ、洪承疇に五省の軍務を兼ね摂らせる
- 崇禎八年1635年正月、張獻忠が鳳陽を陥れて皇陵の楼と殿を焼く
- 崇禎八年1635年六月、曹文詔が真寧の湫頭鎮で伏兵に遭い力戦のすえ死ぬ
- 崇禎八年1635年八月、盧象昇に直隷・河南・山東・湖廣・四川の軍務を総理させる
- 崇禎八年1635年十月、詔を下して自らを責め、武英殿に退いて食膳を減らす
- 崇禎九年1636年七月、清の兵が昌平に入り、京師近郊の州県を次々と落とす
- 崇禎九年1636年七月、孫傅庭が盩厔で髙迎祥を捕らえ、京師に送って処刑する
- 崇禎九年1636年十二月、清の兵が朝鮮を征する
- 崇禎十年1637年二月、朝鮮が清に降る
- 崇禎十年1637年三月、楊嗣昌を起用して兵部尚書とする
- 崇禎十年1637年四月、清の兵が皮島を攻め落とす
- 崇禎十年1637年閏四月、熊文燦を兵部尚書として六省の軍務を総理させ鄖陽で賊を討たせる
- 崇禎十年1637年十月、李自成が七盤関から西川に入り、成都に迫る
出自と生い立ち
- 莊烈愍皇帝、諱は由檢。光宗の第五子で、萬歴三十八年(1610年)十二月に生まれた。母は賢妃の劉氏で、早くに没した。
- 天啟二年(1622年)に信王に封ぜられ、天啟六年(1626年)十一月に信王邸へ移り住んだ。
天啟七年(1627年)
- 八月、熹宗の病が重篤となり、王を召して遺命を受けさせた。丁巳、皇帝の位に即き、天下に大赦し、翌年を崇禎元年とした。
- 九月甲申、生母の賢妃に孝純皇后の諡を追贈した。丁亥、刑の執行を停止。庚寅、妃の周氏を皇后に冊立した。
- 冬十月甲午朔、太廟に親祭。癸丑、南京に地震。
- 十一月甲子、魏忠賢を鳳陽に安置し、まもなく逮捕・処断を命じた。戊辰、各辺の鎮守の宦官を撤去した。己巳、魏忠賢が縊れて死んだ。癸酉、天啟年間に逮捕されて死んだ諸臣の追徴金を免じ、その家族を釈放した。癸巳、黄立極が退官。
- 十二月、前南京吏部侍郎の錢龍錫、禮部侍郎の李標、禮部尚書の來宗道、吏部侍郎の楊景辰、禮部侍郎の黄道登(周道登の誤りか)、少詹事の劉鴻訓を、いずれも禮部尚書兼東閣大學士として機務に参与させた。魏良卿と客氏の子の侯國興がともに処刑された。
崇禎元年(1628年)
- 春正月辛巳、宦官は命を受けた場合でなければ禁門を出てはならないと詔した。壬年(壬午の誤りか)、熹宗の后を懿安皇后と尊んだ。丙戌、魏忠賢およびその一党の崔呈秀の屍を斬った。
- 二月乙未、上奏文の冗長・煩瑣を禁じた。癸丑、経筵に臨む。丁巳、廷臣が宦官と結託することを戒めた。
- 三月己巳、悊皇帝(熹宗)を徳陵に葬った。癸未、施鳳來・張瑞圖が退官。乙酉、冤罪で陥れられた諸臣に追贈と撫恤を行った。
- 夏四月癸巳、劉若宰らに進士及第・出身を差をつけて賜った。甲午、袁崇煥を兵部尚書として薊遼の軍を督させた。庚戌、指揮の卓銘が鉱山の開発を請うたが許さなかった。
- 五月己巳、李國□(底本欠字)が退官した。庚午、『三朝要典』を焼却した。甲戌、各部の増員した官を整理した。辛巳、雨乞い。乙酉、地方官の長期在任と、推薦・保証に伴う連座の法を復活させ、官司が私的に賦課することを禁じた。
- 六月、魏忠賢の一党である馮銓・魏廣微の官籍を削った。壬寅、許顯純が処刑された。壬子、來宗道・楊景辰が退官。
- 秋七月癸酉、廷臣および袁崇煥を平台に召して意見を諮った。壬午、浙江で海が溢れた。癸未、海賊の鄭芝龍が降伏した。甲申、寧遠で兵変が起き、巡撫都御史の畢自肅が自殺した。
- 八月乙未、酷暑・厳寒の日でなければ文華殿に出御して政を議すると詔した。
- 九月丁卯、京師に地震。
- 冬十月戊戌、劉鴻訓が罷免され、まもなく辺地に流された。
- 十一月癸未、南郊で天を祀る。
- 十二月丙申、韓爌がふたたび入閣した。
- この年、広寧および薊鎮の塞外の諸部への賞賜を廃した。諸部は飢えて穀物の買い付けを願い出たが許さなかった。陝西の飢えた民は加徴に苦しみ、流賊が大いに蜂起して鄜州・延安を手分けして掠奪した。三辺の飢えた兵もまた群れをなして盗賊となった。
崇禎二年(1629年)
- 春正月丙子、先師孔子に釋奠を行った。丁丑、逆案(魏忠賢一党の断罪)を定め、崔呈秀以下すべて六等に分けた。
- 二月戊子、社稷を祀る。庚寅、皇長子の慈烺が生まれ、天下に赦を行った。
- 三月戊寅、薊州で兵変が起きたが、官司がこれを鎮めた。
- 夏四月甲午、駅卒を整理・削減した。
- 閏四月癸亥、流賊が三水を侵し、遊撃の髙從龍が戦死した。癸未、北郊で地を祀る。
- 五月乙酉朔、日食。庚子、暦法の改定を議した。
- 六月戊午、袁崇煥が雙島で毛文龍を殺した。癸亥、久しい旱魃により文華殿に潔斎して居り、群臣に反省を勅した。
- 秋八月甲子、總兵官の侯良柱と兵備副使の劉可訓が紅土川で奢崇明・安邦彦を撃って斬り、水西の賊が平定された。甲戌、熹宗の神主を太廟に合祀した。
- 九月丁未、楊鎬が市中で処刑された。
- 冬十月戊寅、我が大清の兵が大安口に入った。
- 十一月壬午朔、京師が戒厳となった。乙酉、山海関總兵官の趙率教が遵化で戦死した。甲申、我が大清の兵が遵化に入り、巡撫都御史の王元雅、推官の何天球らが死んだ。丁亥、總兵官の滿桂が救援に入った。己丑、吏部侍郎の成基命を禮部尚書兼東閣大學士として機務に参与させ、前大學士の孫承宗を召して兵部尚書・中極殿大學士とし、通州で軍を視察させた。辛卯、袁崇煥が救援に入り薊州に宿営した。戊子、宣府・大同・保定の兵が相次いで救援に入り、天下の鎮・巡の官に勤王を徴した。辛丑、我が大清の兵が徳勝門に迫った。甲辰、袁崇煥らを平台に召したが、袁崇煥が入城して兵を休ませたいと請うたのを許さず、兵部尚書の王洽を獄に下した。
- 十二月辛亥朔、ふたたび袁崇煥を平台に召し、錦衣衛の獄に下した。甲寅、總兵官の祖大受(祖大壽の誤りか)の兵が潰えて東へ関を出た。乙卯、孫承宗が山海関に移駐した。庚申、廷臣に馬を献上せよと諭した。丁卯、宦官を遣わして滿桂を急がせ出戦させたが、滿桂と前總兵官の孫祖壽はともに戦死した。總兵官の馬世龍に援軍を総理させた。壬申、錢龍錫が罷免。癸酉、山西の援兵が良郷で潰走した。丁丑、禮部侍郎の周延儒、尚書の何如寵、侍郎の錢象坤をいずれも禮部尚書兼東閣大學士として機務に参与させた。
崇禎三年(1630年)
- 春正月甲申、我が大清の兵が永平を攻め落とし、副使の鄭國昌、知府の張鳳竒らが死んだ。丙戌、城外の戦死者の遺骸を埋葬した。戊子、我が大清の兵が灤州を攻め落とした。庚寅、防備を怠った總督薊遼都御史の劉䇿を逮捕して下獄させ、死罪と論じた。乙未、辺境の報を書き写して伝えることを禁じた。韓爌が退官。壬寅、兵部右侍郎の劉之綸が遵化で敗れて戦死した。この月、陝西諸路の總兵官呉自勉らが軍を率いて京師の護衛に入ったが、延綏・甘粛の兵は潰えて西へ去り、群がる賊と合流した。
- 二月庚申、皇長子の慈烺を皇太子に立て、大赦を行った。
- 三月壬午、李標が退官。戊申、流賊が山西を侵した。
- 夏四月乙卯、久しい旱魃により文華殿に潔斎して居り、百官に反省を諭した。丁丑、流賊が蒲県を陥れた。
- 五月辛卯、馬世龍・祖大壽の諸軍が灤州に入った。壬辰、我が大清の兵が東へ帰り、永平・遷安・遵化が相次いで回復された。
- 六月癸丑、流賊の王嘉允が府谷・米脂を陥れ、賊の張獻忠が徒党を集めてこれに応じた。己未、宋儒の邵雍の子孫に五経博士を授けた。辛酉、禮部尚書の温體仁・呉宗達にともに東閣大學士を兼ねさせ機務に参与させた。
- 秋八月癸亥、袁崇煥を殺した。
- 九月己卯、錢龍錫を逮捕して下獄させた。
- 冬十月癸亥、刑の執行を停止。丙寅、延綏巡撫副都御史の洪承疇と總兵官の杜文煥が清澗で賊の張獻忠を破った。
- 十一月壬辰、懐寧で賊を破った。甲午、山西總兵官の王國樑が河曲で賊を追ったが敗れた。
- 十二月乙巳朔、田賦を増やして兵糧に充てた。戊午、流賦(流賊の誤り)が寧塞を陥れた。
- この年、烏斯藏が入貢した。
崇禎四年(1631年)
- 春正月己卯、流賊が保安を陥れた。丁酉、御史の呉甡に延綏の飢民を賑恤させた。己亥、内閣・九卿・科道および朝覲に来た布政使司・按察使司の官を文華殿に召して意見を諮り、都察院に巡按御史を厳しく審査せよと命じた。
- 二月壬子、流賊が慶陽を包囲し、兵を分けて合水を陥れた。
- 三月丁丑、副將の張應昌らがこれを撃破し、慶陽の包囲が解けた。癸未、總督陝西三邊軍務侍郎の楊鶴が寧州で流賊を招撫したが、群賊は偽って降り、まもなくふたたび叛いた。己丑、陳于泰らに進士及第・出身を差をつけて賜った。
- 夏四月庚戌、雨乞い。辛酉、廷臣に時政を条陳せよと詔した。この月、延綏副將の曹文詔が河曲で賊の王嘉允を撃ち殺した。
- 五月甲戌朔、徒歩で南郊に祈った。庚辰、錢龍錫を辺地に流した。
- 六月丁未、錢象坤が退官。
- 秋七月甲戌、總兵官の王承恩が鄜州で賊を破り、賊の首領の上天龍を降した。
- 八月癸卯、總兵官の賀虎臣が慶陽で賊の劉六を撃って斬った。丁未、我が大清の兵が大凌城で祖大壽を包囲した。丙辰、何如寵が退官。
- 九月庚辰、ふたたび宦官の王應朝・鄧希詔らを遣わして関寧・薊鎮の兵と兵糧、および各辺の慰撫・賞賜を監視させた。甲午、楊鶴を逮捕して下獄させ流刑と論じ、洪承疇に三辺の軍務を総督させた。丁酉、太監の張彛憲に戸部・工部両部の銭糧を総理させた。給事中の宋可久らが相次いで諫めたが聴き入れなかった。戊戌、山海總兵官の宋偉らが大凌を救援したが長山で敗れ、監軍の太僕少卿張春が捕らえられた。
- 冬十月辛丑朔、日食。戊辰、祖大壽が副將の何可剛を殺した。己巳、祖大壽が大凌から脱出して帰り、錦州に入った。
- 十一月丙戌、太監の李竒茂を遣わして陝西の茶馬を、吕直を遣わして登州・島の兵糧と海禁を監視させた。群臣がそろって上疏して諫めたが聴き入れなかった。壬辰、孫承宗が退官。癸巳、廷臣を文華殿に召して意見を諮り、軍国の諸事を次々と尋ねた。話が宦官に及ぶと、帝は「諸臣がまごころをもって事に当たるならば、朕とてこの輩を必要としようか」と言った。己亥、流賊の羅汝才が山西を侵した。
- 閏十一月乙丑、陝西で降っていた賊がふたたび叛き、甘泉を陥れて參政の張允登を殺した。丁卯、登州遊撃の孔有徳が軍を率いて遼を援けに向かい、呉橋に宿営したところで反乱を起こし、兵を返して陵県を陥れ、続いて臨邑・商河・齊東を陥れ、新城を虐殺した。
- 十二月丙子、済南の官軍が阮城店で賊を防いだが敗れた。丁丑、大凌に築城して紛争を招いたとして孫承宗の官を奪った。
- この冬、延安・慶陽で大雪が降り、民は飢え、盗賊はいよいよ勢いを増した。
崇禎五年(1632年)
- 春正月辛丑、孔有徳が登州を陥れ、遊撃の陳良謨が戦死し、總兵官の張可大が死んだ。巡撫都御史の孫元化、副使の宋光蘭らが捕らえられ、まもなく釈放されて戻された。辛亥、孔有徳が黄県を陥れた。丙寅、總兵官の楊御蕃・王洪が軍を率いて孔有徳を討ったが、新城鎮で敗れた。この月、延綏の賊が宜君・鄜州を陥れた。
- 二月己巳朔、孔有徳が莱州を包囲したが、巡撫都御史の徐從治が固く守った。辛巳、孔有徳が平度を陥れた。
- 三月壬寅、兵部侍郎の劉守烈(劉宇烈の誤りか)に山東の軍務を督理させ、孔有徳を討たせた。
- 夏四月甲戌、劉守烈が沙河で敗れた。癸未、徐從治が負傷して死んだ。この月、總兵官の曹文詔・楊嘉謨が隴安・靜寧で続けて賊を破ったので、賊は水落城へ逃げたが、平涼・莊浪の飢民がこれに加わり、勢いはふたたび盛んになった。
- 五月丙午、參政の朱大典を僉都御史として山東を巡撫させた。辛亥、禮部尚書の鄭以偉・徐光啟にともに東閣大學士を兼ねさせ機務に参与させた。
- 六月、京師で大雨と洪水。壬申、黄河が孟津で決壊。
- 秋七月辛丑、太監の曹化淳に京営の軍政を提督させた。癸卯、孔有徳が偽って降り、登萊巡撫都御史の謝璉を誘い出して捕らえ、萊州知府の朱萬年が死んだ。己未、孫元化が市中で処刑され、劉守烈は逮捕・下獄されて流刑と論じられた。
- 八月甲戌、洪承疇が甘泉で賊を破り、賊の首領の白廣恩が降った。甲申、朱大典が軍を督して莱州を救援し、前鋒の參將祖寛が沙河で賊を破った。乙酉、莱州の包囲が解けた。癸巳、官軍が黄県で孔有徳を大いに破り、進んで登州を包囲した。
- 九月丁酉、海賊の劉香が福建を侵した。
- この秋、陝西の賊が山西に入り、続けて大寧・沢州・寿陽を陥れ、部隊を分けて河北へ走り、懐慶を侵して修武を陥れた。
- 冬十一月戊戌、劉香が浙江を侵した。
崇禎六年(1633年)
- 春正月癸卯、曹文詔に山東の諸将を節制させて賊を討たせた。丁未、副將の左良玉が涉県で賊を破り、賊は林県の山中へ逃げたが、飢民が争ってこれに加わった。庚申、使者を遣わして直隷・諸省の未納賦税の徴収を手分けして督させた。この月、曹文詔が山西の賊を撃ち、たびたびこれを破った。
- 二月壬申、左副都御史の王志道の官籍を削った。癸酉、流賊が畿南を侵した。戊子、總兵官の陳洪範らが登州の水城を攻め落とした。辛卯、孔有徳が海に逃れ、山東が平定された。
- 三月癸巳、曹文詔ら諸将に三か月を期限として賊を平らげよと勅した。
- 夏四月己巳、延安・慶陽・平涼の新旧の遼餉(遼東用の付加税)を免除した。壬申、總兵官の鄧玘・左良玉に河南の賊を討伐させた。
- 五月乙巳、太監の陳大金らを分けて曹文詔・張應昌・左良玉・鄧玘の軍を監視させた。壬子、孔有徳とその一党の耿仲明らが海を渡って我が大清に降った。癸丑、河套部が寧夏を侵し、總兵官の賀虎臣が戦死した。
- 六月辛酉朔、太監の髙起潛に寧遠・錦州の兵糧を監視させた。乙丑、鄭以偉が没した。庚辰、周延儒が退官。甲申、延綏副將の李卑が河南の討伐を援けた。庚寅、太監の張彛憲が未納賦税一千七百余万の督促を請い、給事中の范淑泰が諫めたが聴き入れなかった。
- 秋七月甲辰、我が大清の兵が旅順を取り、總兵官の黄龍らが死んだ。癸丑、曹文詔を大同鎮に移した。山西巡撫都御史の許鼎臣が曹文詔を留めて賊を討たせるよう請うたが許さなかった。
- 八月己巳、曹文詔が済源で賊を破り、さらに懐慶でこれを破った。
- 九月庚戌、南京禮部侍郎の錢士升を禮部尚書兼東閣大學士として機務に参与させた。
- 冬十月戊辰、徐光啟が没した。
- 十一月癸巳、禮部侍郎の王應熊・何吾騶をいずれも禮部尚書兼東閣大學士として機務に参与させた。辛亥、保定・河南・山西に兵を合わせて賊を討てと詔した。壬子、賊が黄河を渡り、乙卯、澠池を陥れた。
- 十二月、続けて伊陽・盧氏を陥れ、手分けして南陽・汝寧を侵し、そのまま湖廣に迫った。
- この年、安南が入貢した。
崇禎七年(1634年)
- 春正月己丑、廣陸島(広鹿島の誤りか)の副將尚可喜が我が大清に降った。河南・山東・陝西・四川・湖廣の五省総督を設け、延綏巡撫の陳竒瑜に兵部侍郎を兼ねさせてこれに充てた。庚寅、總兵官の張應昌が黄河を渡り、靈寶で賊を破った。壬辰、賊が鄖陽から漢水を渡り、癸巳、襄陽を侵し、続けて紫陽・平利・白河を陥れ、南下して四川に入った。
- 二月戊寅、夔州を陥れ、大寧など諸県はみな守りを失った。甲申、耤田を耕す儀を行う。乙酉、張獻忠が商州・雒南に突入し、あわせて十三営が漢南に流れ込んだ。この月、登州・莱州の飢民を賑恤し未納賦税を免除した。
- 三月丁亥朔、日食。甲辰、劉理順らに進士及第・出身を差をつけて賜った。乙巳、張應昌が五嶺山で賊を撃ったが敗れた。庚戌、賊が四川から湖廣へ逃げ、副將の楊世恩が追撃して石河口でこれを破った。山西は前年八月から雨が降らず、この月に至って民は大いに飢えた。
- 夏四月、賊が湖廣から盧氏・靈寶へ逃げた。癸酉、内帑を出して陝西・山西の飢民を賑恤。
- 五月丙申、副將の賀人龍らが藍田で賊を破った。
- 六月辛未、總督侍郎の陳竒瑜と鄖陽撫治都御史の盧象昇が上津で軍を合わせ、湖廣の賊を討った。甲戌、黄河が沛県で決壊。
- この夏、官軍が髙迎祥・李自成ら諸賊を興安の車箱峽に包囲すること二か月、賊は食料が尽きて偽って降り、陳竒瑜がこれを受け入れて険路から出してやったところ、ふたたび叛いて通過する州県を陥れた。張應昌が清水から賊を追ったが敗れた。
- 秋七月壬辰、我が大清の兵が上方堡に入り、宣府に至った。乙未、總兵官の陳洪範に居庸を、巡撫保定都御史の丁魁楚らに紫荊・雁門を守れと詔した。辛丑、京師が戒厳となった。庚戌、我が大清の兵が保安を攻め落とし、辺境沿いの諸城堡の多くが守りを失った。
- 八月、總兵官の尤世威らを手分けして派遣し辺境を救援させた。戊辰、宣大總督侍郎の張宗衡に各鎮の援兵を節制させた。
- 閏八月甲申、賊が隆徳・固原を陥れ、參議の陸夢龍が救援に赴いて敗れて戦死した。丁亥、我が大清の兵が萬全左衛を攻め落とした。庚寅、軍を返して塞外に出た。總督の張宗衡は罪に問われて流刑となった。壬寅、李自成が隴州で賀人龍を包囲した。
- 九月庚申、盔甲厰が火災。庚辰、洪承疇が隴州の包囲を解いた。甲戌、賊が陝西に集まったため、河南の兵を潼関・華州に、湖廣の兵を商州・雒南に、四川の兵を興安・漢中方面から、山西の兵を蒲州・韓城から出して合同で討伐せよと詔した。
- 冬十月庚戌、湖廣の兵が漢中を救援し、副將の楊正芳が戦死した。
- 十一月庚辰、陳竒瑜を逮捕して下獄させ流刑と論じた。乙酉、洪承疇に五省の軍務を兼ね摂らせた。
- この冬、陝西の賊が手分けして湖廣・河南を侵し、李自成が陳州を陥れた。
- この年、暹羅が入貢した。
崇禎八年(1635年)
- 春正月乙卯、賊が上蔡を陥れ、続けて氾水・滎陽・固始を陥れた。己未、洪承疇が関を出て賊を討った。辛酉、張獻忠が潁州を陥れ、知州の尹夢鼇らが死んだ。丙寅、鳳陽を陥れ、皇陵の楼と殿を焼き、留守の朱國相らが戦死した。まもなく廬州を侵し、廬江・無為を陥れた。李自成は帰徳へ逃げ、羅汝才とともにふたたび陝西に入った。
- 二月、張獻忠が潛山・羅田・太湖・新蔡を陥れたが、應天巡撫都御史の張國維が防ぎ退けた。甲午、皇陵を失ったとして總督漕運尚書の楊一鵬を逮捕して下獄させ、まもなく市中で処刑した。丁酉、總兵官の鄧玘が羅山で賊を破った。この月、曹文詔が隨州で賊を破った。
- 夏四月、張獻忠がふたたび漢中へ逃げ、平涼・鳳翔を侵した。丁亥、鄭芝龍が海賊の劉香を撃破し、劉香は自殺してその一党はことごとく降った。辛卯、洪承疇が汝州で軍を合わせ、諸将を手分けして豫(河南)・楚(湖廣)の要害を防がせた。乙巳、四川の兵が樊城で反乱を起こし、鄧玘が自殺した。丙午、洪承疇が西に還り靈寶に駐軍した。
- 五月乙亥、呉宗達が退官。
- 六月己丑、官軍が亂馬川で賊と遭遇して敗れた。壬辰、副將の艾萬年・柳鎮國が寧州の襄樂で李自成を撃ったが戦死した。丙午、曹文詔が賊を追って真寧の湫頭鎮に至り、伏兵に遭って力戦のすえ死んだ。
- 秋七月甲戌、少詹事の文震孟と刑部侍郎の張至發をいずれも禮部侍郎兼東閣大學士として機務に参与させた。この月、張獻忠が朱陽関に突入し、總兵官の尤世威が敗れ、賊はふたたび河南へ逃げた。
- 八月、李自成が咸陽を陥れ、賊将の髙傑が降った。壬辰、監視・総理の宦官を撤収せよと詔したが、京営および関寧だけは元のままとした。辛丑、盧象昇に直隷・河南・山東・湖廣・四川の軍務を総理させた。
- 九月辛亥、洪承疇が副將の曹變蛟らを督して関山鎮で賊を破り、李自成は東へ逃げて張獻忠と合流した。壬戌、官軍が沈丘の瓦店で敗れ、總兵官の張全昌が捕らえられた。壬申、王應熊が退官。
- 冬十月庚辰、詔を下して自らを責め、武英殿に退いて居り、食膳を減らし音楽をやめて将士と苦楽を共にする姿勢を示した。丙戌、戸部尚書の侯恂が新旧の未納賦税の厳しい徴収を請い、これに従った。辛卯、李自成が陝州を陥れた。
- 十一月庚戌、何吾騶・文震孟が罷免。庚申、南郊で天を祀る。總兵官の祖寛が汝州で賊を破った。
- 十二月戊寅、鳳陽に城を築いた。乙酉、盧象昇と祖寛が確山で李自成を破った。戊子、左良玉が閿郷で賊を破った。癸巳、賊が江北を侵し滁州を包囲した。乙巳、老回回ら諸賊が河南から陝西を侵したが、洪承疇が臨潼でこれを破った。
- この年、安南・暹羅・琉球が入貢した。
崇禎九年(1636年)
- 春正月甲寅、總理侍郎の盧象昇、總兵官の祖寛、遊撃の羅岱が滁州を救援し、朱龍橋で賊を大いに破った。丁卯、前禮部侍郎の林釬に元の官のまま東閣大學士を兼ねさせ機務に参与させた。
- 二月、前副將の湯九州が嵩県で賊と戦って敗れ戦死した。山西で大飢饉となり、人が人を食らった。乙酉、寧夏で飢えた兵が反乱を起こし、巡撫都御史の王楫を殺したが、兵備副使の丁啟睿がこれを鎮めた。辛卯、武挙の陳起新を給事中とした。
- 三月、盧象昇と祖大樂が河南の賊を討伐した。髙迎祥と李自成は部隊を分けて陝西に入り、残りの賊は光化から湖廣へ逃げた。南陽の飢民を賑恤し、山西の被災州県の新旧二餉(付加税)を免除した。
- 夏四月戊子、錢士升が退官。
- 五月壬子、脅されて従った諸賊のうち帰郷を願う者は護送して郷里に返し、官司が安置すること、軍に従って働きたい者は功があれば同様に叙録することを詔した。丙辰、延綏總兵官の俞冲霄が安定で李自成を撃ったが敗れて戦死した。李自成が榆林を侵したが、賀人龍がこれを撃破した。癸酉、畿内の五年以前の未納賦税を免除。
- 六月乙亥、林釬が没した。甲申、吏部侍郎の孔貞運を禮部尚書とし、禮部尚書の賀逢聖と黄士俊を本官のまま東閣大學士を兼ねさせ、機務に参与させた。己亥、總兵官の解進忠が浙川で賊を招撫しようとして殺された。
- 秋七月甲辰、宦官の李國輔らに紫荊・倒馬など諸関を分け守らせた。庚戌、成國公の朱純臣に辺関の巡視を命じた。癸丑、諸鎮に急ぎ救援に入れと詔した。己未、我が大清の兵が昌平に入り、巡関御史の王肇坤らが死んだ。壬戌、陝西巡撫都御史の孫傅庭が盩厔で賊の首領の髙迎祥を撃って捕らえ、京師に送って処刑した。癸亥、廷臣に兵糧の援助を諭した。甲子、兵部尚書の張鳳翼に援軍を督させ、髙起潛を総監とした。この月、我が大清の兵が寳坻に入り、京師近郊の州県を次々と落とした。
- 八月癸酉、勲臣・外戚と文武の諸臣から馬を徴発した。乙未、盧象昇が救援に入り真定に宿営した。丙申、唐王の聿鍵が兵を起こして勤王したが、任国へ帰らせ、まもなく庶人に落として鳳陽に幽閉した。この月、我が大清の兵が塞外に出た。
- 九月辛酉、盧象昇を宣府・大同・山西の軍務総督に改めた。
- 冬十月乙亥、工部侍郎の劉宗周が宦官および大學士の温體仁を論じたため官籍を削られた。甲申、張獻忠が襄陽を侵した。丙申、銀・鉄・銅・鉛など諸鉱の開発を命じた。
- 十一月丁未、山東の五年以前の未納賦税を免除。
- 十二月、我が大清の兵が朝鮮を征した。
- この年、洪承疇が隴州で賊を破り、賊は慶陽・鳳翔へ逃げた。暹羅が入貢した。
崇禎十年(1637年)
- 春正月辛丑朔、日食。丙午、老回回ら諸賊が江北へ向かい、張獻忠・羅汝才が襄陽から安慶を侵したので、南京は大いに動揺した。
- 二月甲戌、使者を遣わして直隷・諸省の逋賊(逋賦の誤りか)を督させた。丁酉、賊が潛山を侵したが、總兵官の左良玉と副使の史可法が楓香驛でこれを破った。この月、朝鮮が我が大清に降った。
- 三月辛亥、陝西の災害を賑恤。丁巳、劉同升らに進士及第・出身を差をつけて賜った。甲子、官軍が安慶を救援したが酆家店で敗れた。この月、楊嗣昌を起用して兵部尚書とした。
- 夏四月戊寅、我が大清の兵が皮島を攻め落とし、副總兵の金日觀が力戦のすえ死に、總兵官の沈冬魁は石城島へ逃れた。癸巳、旱魃により刑獄を整理した。この月、洪承疇が漢南で賊を討伐した。
- 閏四月壬寅、群臣に、身を清くし民を愛して天意に応えよと勅した。江北の賊が手分けして河南を侵したので、總督兩廣都御史の熊文燦を兵部尚書として南京・河南・山西・陝西・四川・湖廣の軍務を総理させ、鄖陽に駐屯して賊を討たせた。
- 五月戊寅、李自成が秦州から四川を侵した。
- 六月戊申、温體仁が退官。
- この夏、両畿・山西で大旱魃。
- 秋七月、山東・河南で蝗害があり、民が大いに飢えた。
- 八月己酉、吏部侍郎の劉宇亮、禮部侍郎の傅冠をいずれも禮部尚書、僉都御史の薛國觀を禮部侍郎とし、いずれも東閣大學士を兼ねさせて機務に参与させた。庚申、城壁を検分した。
- 九月丙子、左良玉が虹県で賊を破った。辛卯、洪承疇が漢中で賊を破った。癸巳、李自成が寧羌を陥れた。
- 冬十月丙申、李自成が七盤関から西川に入った。壬寅、昭化・剣州・梓潼を陥れ、兵を分けて潼川・江油・綿州へ向かい、總兵官の侯良柱が戦死し、そのまま彰明・鹽亭など諸県を陥れた。庚戌、成都に迫った。
- 十一月庚辰、星の異変により反省し、率直な意見を求めた。
- 十二月癸卯、黄士俊が退官。癸亥、洪承疇と曹變蛟が四川を救援し広元に宿営した。
- この年、安南・琉球が入貢した。