明季南略投誠安插 康熙四年 1665年

洪承疇行状摘略

  • 洪承疇は福建泉州南安県の人、万暦四十四年(丙辰)の進士。刑部主事から巡撫榆林、三辺総督などを歴任、崇禎十五年(壬午)、清に降った。清朝では厚遇を受け、順治二年には南京の統治を三年にわたり任され、心血を注いで政務にあたった。
  • 順治十年、湖南の混乱と雲南・貴州の未平定を受け太保・五省経略に任じられ、湖南・湖北の防衛体制を整備、広西の要地確保にも尽力した。孫可望の投降(義王封爵)を機に雲南・貴州攻略の方策を上奏、順治十五年の三路進軍による雲南平定を主導した。困窮した現地民への配慮や、物資調達における公正な対価支払いなど、民政面でも手腕を発揮したと伝わる。
  • 大事業を成し遂げた後、視力の衰えなどから辞職を願い出て北京へ戻る途上、順治帝の崩御を知り号泣、喪に服した。その後も特別な待遇を受け続け、三代にわたる封贈や息子の任官など破格の恩遇に浴した人物であった。晩年は子の士銘に聖賢の格言を示し教育に努め、節句には朝服で望闕叩祝する習わしを守ったと伝わる。康熙四年(乙巳)二月十七日に没し、朝廷から丁重な弔意が示された。