明季南略永历至梧州 順治十三年 1656年

鄭之珖伝

  • 鄭之珖は四川広安州の人、崇禎三年(庚午)の挙人。広東高州府推官として清廉な統治で知られ、隆武朝でも工部主事として起用されたが、福建陥落後は出家して身を隠した。戊子、李成栋の帰順を機に還俗し戸部員外郎として復帰するが、庚寅、孫可望が武力で「秦王」への冊封を強要し、拒んだ大学士厳起恒ら五名を殺害するという事件が起こると、之珖は官を辞して隠棲、農耕で自活する清貧な生活を送った。
  • 同じく隠棲していた銭邦芑と親交を結び、邦芑が甲午年に出家すると之珖は深く嘆いたと伝わる。丙申(1656年)十月五日に病没、邦芑が弔問に駆けつけ、友人・門人らが集い「貞確先生」と私諡した。著書に「明書」二十巻、「炉史」八巻など多数を残した。
  • 銭邦芑は、張同敞と鄭之珖の二人を評し、「同敞は初め賊に汚されず終には清に屈しなかった、之珖は初め清に屈せず終には賊に汚されなかった。死に方は異なれど、その清廉潔白と節義を全うした点では同じである」と述べ、孔子の「志を降さず、身を辱めず」との言葉に相応しい人物として讃えている。